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探偵流儀シリーズcase-07 老文豪は死なず

 落ち着け。
 ベテランミステリ作家、ばん代位だいいは、自らに言い聞かせた。
 万は、若手ミステリ作家、芭暮暗斗ばくれあんとを――正確には、その死体を見下ろしながら、頭の中で計画を練り上げた。その計画は非常にシンプルだ。この部屋で自分が素手で触れた部分を入念に拭き、芭暮愛用のパソコンを鞄に入れて、ここ、ホテルの一室を抜け出すだけ。拭き取る場所には、芭暮を死に追いやったガラス製の灰皿も当然含まれていた。
 幸いにも万は、ハットを被りサングラスをかけ、口元もマスクで覆い、さらにはロングコートを羽織うという、決して顔や体型を窺い知られない格好で部屋を訪れている。防犯カメラに映ったとて、それが自分であるとは決して見抜かれないはずだ。今日身につけた衣類は全て、帰宅後に慎重に処分する。警察は、防犯カメラに映ったその謎の人物を追うという空しい努力を続けることになるだろう。自分が今日ここに来るということを知っているものは、誰も――死んだ芭暮を除き――ひとりもいない。もし「あの噂」を警察が知り(間違いなく知るだろうが)自分に嫌疑がかかることになったとて物証もアリバイも何もない。逃げ切る自信はあった。
 万は改めて、自分が手に掛けた若者の骸を見下ろした。
 お前が悪いんだ。お前の才能を開花させてやった自分を裏切ろうとした、お前が……。



 芭暮の死体は翌日早くに発見された。事件について話を訊きたいと掛かってきた警察からの電話に、万は快く応じた。話をする場所を万は自宅に指定した。落ち着ける場所のほうが「ぼろ」を出さずに済むだろう。もっとも、自分は「ぼろ」を出すほど喋るつもりはないが。万は通話を終えた携帯電話を折り畳んだ。



 約束の時刻ちょうどに警察はやってきた。二人組の男で、片方はどこからどう見ても刑事以外何者でもないという風体をしていたが、もうひとりの、白いジャケットを着たほうは違った。刑事というには重みがないが、一般人というには眼光が鋭すぎる。疑問に感じた万に、向こうから身分を明かしてきた。刑事らしからぬのも無理はなかった。白いジャケットの男は民間探偵だったのだ。
 探偵が警察の捜査に協力する。古風なミステリ小説のようなことが実際に行われていることに万は驚いた。時代錯誤も甚だしい。いまどきそんな設定のミステリを書いたら、「リアリティがない」との誹りは免れないだろう。

「ミステリ小説界の大御所、万代位先生のことは、僕も当然存じ上げていますよ」

 探偵は気さくな口調で話してきた。それはどうも、と万は答える。

「万先生が凄いのはですね、お年を召されても全く創作意欲が衰えないことです。衰えないのは意欲だけではありません。書かれる作品自体についてもです。先生は大時代的な本格でデビューされ、その路線を独走してこられましたが、それだけにこう拘でい泥せず、時代の要請や流れを読み、常に作風を変化してこられました」

 大ミステリ作家に対する探偵の賛美は続いた。が、どこか白々しくも聞こえるのは万の穿ちすぎだろうか。

「かつてのミステリの花形だった、警察を出し抜く民間探偵や、閉ざされた空間で起こる連続猟奇殺人といった設定に『リアリティがない』と世間の批判が集まるようになったら、警察官を主人公にし、都市で起こる現実感に満ちた、それでいてミステリ的ガジェットも巧みに盛り込んだ小説を書くようになりました。かと思えば、また王道復古的に『本格』の人気が再燃してくると、かつてのシリーズ探偵を復活させて『これぞ本格』という傑作を送り出しもする。脱帽以外に言葉が見つかりません」

 ひとり語っている探偵の隣で、刑事のほうは挨拶以降、ひと言も口を開いていない。まるで、全てを探偵に任せているとでもいうように。

「特に、この数年上梓し続けている『幻想探偵シリーズ』は白眉ですね」

 探偵がその話題を口にすると、万の動きが一瞬だけ止まった。

「中世ファンタジー風の異世界に住む賢者が、その世界で起こる不可能犯罪に対し、別世界にいる『名探偵』たちと意識の交信をすることで事件を解決していくという。伝統的なミステリの仕掛けを現代風の舞台と設定に落とし込んだ傑作で、話題となりましたね。それまで万代位のことは名前しか知らなかったような若い読者にも読まれ人気を博し、アニメ化までしましたからね。今や万代位は、三世代に訴求するミステリ作家ですよ」

「そんなに買ってくれるのは嬉しいがね、まさか、君たちは私のことを褒めちぎるために来たわけじゃないだろう」

 万は半ば呆れながら言った。

「ええ、実は」と、ここで探偵は口調を変えた。「その『幻想探偵シリーズ』なのですが……」

 来たな、と万は感じ取った。勝負はここからだ。

「業界の一部で、先生にとってあまり愉快でない噂が囁かれているそうですね」
「私の耳にも入っているよ」万は、やれやれ、という態度を作り、「ゴーストライターが書いているんじゃないか、というんだろう」
「ええ、しかも……そのゴーストというのが、先日他殺体で発見された芭暮暗斗さんなのではないかという」

 ふふっ、と万は笑った。

「芭暮暗斗さんは、万先生のお弟子さんだったとか」
「公募の最終審査で落とされたのを、私が拾っただけだ」
「その逸話も聞きました。結局、公募の大賞作品よりも、万先生が手直しさせて出版した芭暮さんの作品のほうが世間の評判もいいとか」
「審査員連中に見る目がなかったというだけの話だよ」

 僅かな間、喋るのをやめ、じっと万の目を見つめていた探偵は、

「ああ、すみません。そろそろ事件の話を訊かないと、こちらの警部に怒られてしまいますね」探偵は横目で隣にいる刑事を見てから、「芭暮さんの死体は、ホテルの一室で発見されたのですが、芭暮さんがどういった理由でホテルに宿泊していたのか、先生、何かご存じありませんか?」
「いや、知らないな。彼の行動をいちいち把握しているわけではないのでね」
「そうですか……実はですね、容疑者らしき人物が、ホテルの防犯カメラに映っていたのですが、その人物は帽子にサングラスにマスクという完全装備で、何者か皆目見当がつかないんです。先生、芭暮さんの知り合いで、そういった人に心当たりはありませんか?」
「存じ上げないな」
「……そうですか」

 探偵は声のトーンを落とした。
 いかにも怪しまれそうな素っ気ない応対に思われたかもしれないが、これでいい。
 万自身も、先に犯人が判明した状態で話が展開される、いわゆる「倒叙もの」と呼ばれるミステリをいくつか書いたことがあったが、自作にしても、また他人が書いたものにしても、犯人がとにかく喋りすぎる。刑事や探偵が突きつけてくる様々な疑問(その中には犯人のミスも含まれる)に対して、何かうまい理由や言いわけを付けようと、あれこれ「提案」をしすぎるのだ。たいていの場合、それらは「ぼろ」を誘発する蛇足にしかならない。「知らないものは知らない」それで通せばよいのだ。

「ところで、また話は変わりますが、先生はデビュー依頼、ずっと原稿は肉筆だったそうですね」
「ああ」

 万は意識を高ぶらせた。

「それが最近になって、ワープロソフト打ちのデジタル原稿に転向なされたとか。ちょうど、『幻想探偵シリーズ』からですね。何か心境の変化でも?」
「さっき、君が言っていたとおりのことだよ」
「と言いますと?」
「時代の変化に乗ったんだよ。正直、今の時代、肉筆原稿は嫌われるからね」
「そういうことですか。いえ、話を蒸し返しますが、ゴーストライターの噂が出たのは、それが原因の一端にもなっていたからだそうで。どんなに編集者が嫌な顔をしても、ペンで紙に書く肉筆に拘りを持っていた万先生が、どうして今になって、と」
「まあ、肉筆原稿じゃ、ゴーストライターを使うことは無理だからな」
「はい。誰が書いても見分けが付かないというのが、デジタル原稿の特徴ですから」

 そう、まさにこの探偵が言ったとおりだった。『幻想探偵シリーズ』から万がデジタル原稿に移行した理由、それは、芭暮が書いた原稿を自分のものとして提出するためだ。肉筆ではそもそも筆跡の問題が出るし、若い芭暮は、むしろ肉筆で小説の執筆をしたことなどないだろう。

「君、私だってパソコンくらい使えるよ」

 正確には、最近になって使えるようになった、だ。芭暮に原稿を書かせるようになってから時間が出来たので、自分でもパソコンを使って原稿を書く練習を地道に続けていたのだ。もしも今、自分たちの目の前でパソコンを使って原稿を書いてみろと言われても、万は滞りなくタイピングをこなす自信があった。

「先生のことを疑うわけじゃありませんが……ちょっとデジタルで原稿を書いてもらえますか? この場で」

 万は目を丸くした。本当に試そうとしてくるとは。万は、やれやれ、というふうに嘆息すると、

「いいですよ。ちょうど、仕上げなければならないエッセイが一本あったところです」

 応接室のソファから立ち上がり、書斎に向かおうとした、が、

「いえ、この場で構いません」

 探偵の声に立ち止まり、振り向いた。見ると、探偵は万に対して何かを差し出していた。まさか、芭暮のやつ……。万は、全身にひやりとした汗が湧くのを感じた。

「先生がいつも編集者に渡すUSBメモリに入っていた原稿は、“これ”専用のワープロソフトで書かれたものだそうですね。まったく、お見それしますよ。先生ほどのお歳で〈これ〉を使って、原稿用紙数百枚にも上る量の長編小説を執筆なさるとは。調べたのですが、先生が契約されているのは、まだいわゆる“ガラケー”だそうですが……」

 探偵が差し出すスマートフォンを凝視したまま、万は自分が追い詰められつつある事を知った。




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