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リンゴアップルアナグラム

作者注:本文において作家や絵師の方の名前は敬称を省略しています。また、『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を執筆された凛野冥先生、及びその本の表紙絵を担当されたしおごはん先生に心より敬意を表します。



目次

1.プロローグ

 僕の名前はゆきずりアップル。産声をあげてこの世に生まれ落ちてすくすく育って物心ついて本を読むようになった頃僕は本の登場人物たちが皆漢字で読みにくい変な名前をしているのは何故だろうと日々疑問に思っていた。小学校に入り佐藤とか田中とかとにかく漢字だらけの奇妙な名前に囲まれた時まるで本の中に入ったみたいで少しわくわくしていたがある日のふとした気づきで僕の世界は反転する。名前が変なのは僕の方なのだ。ゆきずりアップル。
 名前というのは第一印象とか覚えられやすさとか習字の大変さとかあらゆることに関わってくるのにそれを決めるのは親という一般人による雑かつ昔の感性なのだ。猿みたいなしわくちゃの赤子が溌剌とした子どもになり笑顔の減った大人になり再びしわくちゃになって老いて80歳で死んだとすると、その千変万化の身体は平均40年前の感覚でつけられたたった1つの名前に貫かれている。
 苗字のゆきずりはさておき名前をアップルにしたのは紛れもなく僕の親の意志だ。名前をカタカナにすることはこの国では何ら違法ではないけれど、役所の人はとめてくれなかったんだろうか? 悪魔という名前を役所が拒んで裁判が起こされたニュースを見たとき、僕は僕の出生届を受理した顔も分からない役所の職員を心底恨んだ。でもそもそも、なんで僕の親は自分の子どもにアップルという名前をつけたのだろうか? 僕の親は僕が幼い時に事故で死んだから直接問いただすことは叶わない。

 名前のせいで周囲から孤立していつも1人で本を読んでいた僕は小学6年生の春に保護者である親族の都合で転校することになっても失う友達はいなかったが転校先で1人の女の子の友達ができる。名前はアップル隅々。隅々は名字にアップルが含まれているからか僕の名前がアップルであることを冷やかすことは全くなかったし、むしろそれが親近感の源となっていた。休み時間、いつも隅々は僕の机に腰掛けて楽しそうに語る。その内容は様々だ。
「ねえゆきずり、私たちの名前ってとっても近いよね。双子でも何でもないのにさ」
「僕の下の名前はアップルで、隅々の苗字もアップルだけど、そのこと?」
 ゆきずりアップルとアップル隅々。
「それは勿論だけど、ゆきずりと隅々もよく似てると思わない? だって平仮名にすると両方4文字で、かつ3文字目が濁音でしょ。しかも母音がUIUIで一緒。これって何かの運命じゃない?」
 隅々は言葉遊びが大好きで、単語を見るとそれを使った言葉遊びを考えずにはいられない質だった。僕もそんな隅々に毒され似たようなことを考えるようになる。アップルは4文字で、3文字目が半濁音。
「言葉遊びって面白いわよね。ミステリでは緻密なロジックとか精巧な物理トリックとかあるけど、言葉遊びは細かい整合性とかを無視してすっごく大胆な論理が組めちゃうのよ。アナグラムってあるでしょ。文字を並び替えて新しい言葉を作るやつ。日本語なんてローマ字にして並び替えるだけで、魔法のように意味や内容を変えられるのよね」
 そう呟いた隅々の手元には『誘拐されたので解決RTAします!』という題名の本がある。著者は視葭よみ。きっとその本にアナグラムが登場するのだろう。
 別の日の隅々はやけに真剣な顔でこんなことを言った。
「ミステリって多重解決が広まって推理がどんどん覆されるようになった結果、本の最後の推理でさえその正しさが実感できない状態になってるじゃない。でもそんな中言葉遊びは異質だと思うのよね。だって真相がどんなに二転三転したとしても、言葉遊びが成立しているという事実は揺らぐことがないでしょう?」

 そして僕は隅々の屋敷に毎日行くような仲になる。隅々の屋敷は町から外れた森の中の豪邸であり出入口が複数ある上部屋もやたらと多いのだが何より大量のミステリが収められている巨大な書斎があった。隅々と一緒に書斎でミステリを読んだり、書斎とは別の勉強部屋で宿題をやったりするのが僕の日常になる。隅々の屋敷に泊まることもよくある。僕の保護者はそのことを承知しているから、僕が帰らなくても何も文句を言わない。僕と隅々の関係を冷やかしてくるクラスメイトを僕は無視する。アップルとアップルのカップルだとか、もし僕が隅々と結婚して姓を隅々に合わせたらアップルアップルという名前になるとか、とても馬鹿馬鹿しい。でも少し面白い。

 ある日隅々の屋敷の書斎で、言葉遊びが大好きな隅々でもこじつけることができなかった僕の名前の由来というともすれば一生の謎になったかもしれない問題がついに解決する。書斎の本棚のミステリは図書館ほど精密ではないものの概ね著者名の五十音順で並べられていて、ま行の中で題名が1文字であることにより存在感が強いのは道尾秀介の『N』。だが僕はその真上にあった舞城王太郎の『ディスコ探偵水曜日』の文庫版に既視感を抱いた。そういえばこの本は僕が両親と住んでいた前の家でも見かけたけれど読むことはついぞなかったなと思って読み始めた僕の目を釘付けにしたのは上巻中盤の一文。
 『その女の子の幽霊(と思われるもの?)には『パイナップル〜』の主人公で人気の《雪塚パイナップル》の名前が付けられて、最近では関係者たちによって奇妙に“萌え”られているとのこと。』
 これだ。雪塚パイナップル→ゆきずりアップル。これが僕の名前の由来だ。雪塚パイナップルは作中に登場する推理作家暗病院終了の代表作であるパイナップルシリーズに登場する名探偵。ミステリの作中作の主人公のおかしな名前というふざけた由来に目眩がするが、ゆきずりという奇妙な名字には合っているのかもしれない。東郷平八郎が日露戦争で活躍したときトルコで男児にトーゴーという名前をつけることが流行したという逸話を思い出す。子どもの名前は親が基本好き勝手に決められるものなのだ。

 隅々とミステリの話をしながら日々を過ごしていたらあれよあれよという間に1学期が終わり小学生最後の夏休みが始まって終わって2学期が始まる。9月上旬の日曜日、朝隅々が突然大阪に行くと言って屋敷を出て深夜に沢山の本が詰め込まれた鞄を抱えて帰ってくる。
「文学フリマっていう同人誌即売会に行ってきたの」
 そう言うと隅々は買ってきた本を勉強部屋の机の上に並べる。大きさも厚さも様々。僕はそれらを興味深く眺め、適当に1冊を手に取って眺める。ゲームブック『クトゥルフのいざない』。著者は杉本=ヨハネ。
「ゲームブックって、一冊の中に沢山パラグラフがあってそれらを行ったり来たりして読むやつだよね」
 ゲームブックを実際に見るのは多分初めてだったが、その概要は知っていた。貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』に登場し物語の鍵を握るからだ。隅々が、ゲームブックではパラグラフ14で主人公を死亡させる風習があるというどこから仕入れたのか分からない知識を披露してくれる。『クトゥルフのいざない』も、パラグラフ14では主人公が精神病院に入れられゲームオーバーとなっている。そこで僕は疑問を抱く。
「同人誌ってことは、これ全部アマチュアが書いてるの?」
 製本が簡易的な非常に薄い本もあるが、『クトゥルフのいざない』を含め、普通に書店で売られてる本と見紛うくらいしっかりとした装丁の本も多い。
「プロもちょっといるけどほとんどアマチュアね。でも実際のところプロとアマチュアにどれだけの差があるのかな? プロになるための新人賞の選考は運要素が強すぎるし、そもそも選考自体が文学を商業主義で歪める愚かな行いだと思わない? まあ本が売れないと食べていけない世の中の構造が原因だから特定の選考委員や出版社に非があるわけじゃないんだけどね。『小説に値段をつけて商売するなんて不誠実だよ。あまねく芸術は商業主義から隔離して純粋性を守らないと、腐って蛆虫がたかって耐え難い悪臭を放って始末に負えなくなる』」
 僕は隅々の口調と言葉選びに違和感を覚える。
「『小説に値段をつけて商売するなんて〜』って何かからの引用?」
「よく分かったわね。この前パソコン室で授業中にこっそりネットの小説を読んでたんだけど、そこにあった文章なの。その小説の題名は『堕天の散りばめ』」
 『堕天の散りばめ』。僕は一応心の中に書き留めるが、ネットを見る手段が限られている以上読むことは難しいだろう。
「そうそう、今日の即売会には『堕天の散りばめ』の著者もいたの! まあ1月にも会ったんだけどね。あの人が新人賞を受賞していないのがこの世界の理不尽の1つだと私は思うのよ」
 隅々が熱を込めて語るので、僕はその著者のことが少し気になる。
「即売会にいたってことは、その人も本を売ってたの?」
 すると隅々は笑顔を輝かせて1冊の灰色の本を手にとる。背表紙に『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水 凛野冥』と書かれている。隅々が強く好んでいるという時点で薄々勘付いてはいたがミステリのようだ。表紙中央には白いカチューシャをつけた黒髪の女の子が描かれており、その下には『illustration sio5half』とある。sio5halfというのが表紙を描いた人のペンネームのようだ。凛野冥もペンネームなのかもしれない。
「これが凛野冥の新刊。この作品は何年か前に新潮ミステリー大賞で最終選考に残ったのに選考委員の道尾秀介が酷評して、多分そのせいで受賞に至らなかったのよね。で、その回での大賞受賞作品はなし。『小説新潮』2019年10月号に道尾秀介が書いた選評文が掲載されてたんだけど……」
 隅々は『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』について解説してくれるが、その作品を読んでいない僕にはさっぱり理解できない。隅々はそのまま倒れるように寝てしまい、仕方なく僕がベッドへと運ぶ。泥のように眠る隅々を見て睡眠薬を盛られたみたいという形容が浮かぶがそれはミステリの読みすぎによるもので、隅々はただ慣れない遠出で疲労困憊しているだけだった。


2.事件

 隅々と一緒にミステリを読んだり言葉をこねくり回したりして遊んでいた僕たちはやがて探偵のようなことを現実でもやってみたいと考えるようになる。特に僕の名前は作中作の名探偵に由来しているのだ。
 これが雑なミステリであれば僕たちが小学生なりに探偵を名乗ると町や学校で次々に事件が起きて親切かつ無能な警察が現場に僕たちを入れてくれて科学捜査や人海戦術なら一瞬で分かる真相を華麗に披露することができるのだが、現実ではそうはいかない。僕たちは現場に入れないし、そもそも事件が滅多に起こらない。
 ということで9月下旬、僕と隅々は町を1人で歩いていた僕たちでも力で勝てそうな女の子を一緒に遊ぼうと言って隅々の屋敷に連れて行き、適当に首を絞めて殺害する。森の中にある豪邸。隅々の屋敷は殺人にうってつけだ。『ディスコ探偵水曜日』ではパインハウスという建物で探偵が次々と死んでいくが、隅々の屋敷にはアップルハウスという名前が似合っているかもしれない。
 女の子の死体を前に隅々はハイになってまくしたてる。
「うんうん、やっぱり死体がないと。今やミステリの華は死体よね。探偵が主役なのはもう昔の話。主人公もそうね。だって最近の新本格、探偵か主人公が犯人の作品ばっかりでしょ? 首無し死体が出てきたら入れ替えを疑うのとおんなじで、探偵か主人公が出てきたら犯人だと疑うのが今の時代の定石よ。主人公が探偵だったらほぼ確実にクロね。だから今は死体がミステリの主役なの」
 僕と隅々は一緒に死体を眺めて話を深める。人の身体というのは意外に情報量が多いのだ。背格好。目鼻立ち。所持品。様々なミステリを読んだ僕たちにとっては、死体のあらゆる情報がそれに関連するミステリを想起させる。ミステリ読書会ならぬ死体鑑賞会。僕たちは死体をさらに活用する。少し前に隅々と一緒に読んだミステリに死体を用いた密室トリックが登場したのだが、それが本当に可能かどうか隅々と議論になったのだ。死体があればその検証ができる。僕たちは死体で遊び尽くす。殺したのは探偵のようなことをするためだったが、楽しければそれで構わない。
 しかしその幸せな時間にも終わりがやってくる。死体は腐敗してしまうのだ。僕たちは腐乱死体が登場するミステリは山程読んだけれど現実の腐臭に耐えられるわけではないので仕方なく死体を森の中に埋めて一応手を合わせる。

 それから僕たちはたまに町の子どもを殺してその死体で遊ぶようになる。手口もある程度洗練される。
 まずコミュニケーションが得意な隅々が、か弱くて友達がいなさそうな子どもに話しかけ、『隅々の屋敷で秘密の遊びをする』という約束を取り付ける。この時、絶対に口外しないよう強く念を押す。約束の日時に僕か隅々が屋敷で待機し、標的が来たら隙をついて殺害。
 後ろから紐で首を締めるのが多分安全なのだが、毎回同じ方法で殺すと死体が似通ってしまいつまらない。絞殺したり撲殺したり刺殺したり、殺し方を可能な範囲で試行錯誤するのも楽しみのうちだ。
 子どもの失踪が相次いだことで学校では校長のつまらない話が防犯の真面目な説教に変化する。いかのおすし。けれど大人も子どもも皆犯人が大人だと思い込んでいる。僕と隅々はまさにミステリの『意外な犯人』なのだ。それが心底誇らしい。

 2学期も終わりに近づいた11月下旬、昼休みに隅々に耳打ちされる。
「今日の放課後に1人誘ったから」
 短い言葉で僕は言わんとすることを理解する。隅々が標的の子どもを今日の放課後に屋敷に誘ったから、僕が隅々の屋敷に行った時標的の子どもがいるかもしれないからいたら殺してねという意味だ。僕と隅々のどちらが標的の子どもを殺すかはその場の成り行きで決まる。僕は殺人の前に心構えが必要な質ではないが今日標的の子どもを殺すことになるかもしれないというのは知っているに越したことはないだろう。
 隅々と死体で遊ぶことを夢想して5時間目と6時間目のつまらない授業をやり過ごしランドセルに教科書やノートやプリントを詰め込んで僕は学校を出る。図書館に寄って借りていた本を返すと、すぐに隅々の屋敷に向かう。
 森の勝手知ったる獣道を抜けて隅々の屋敷に裏口から入る。僕たちの連続殺人を除けば平和な町なので鍵はかかっていない。裏口に靴がなかったので隅々はまだ帰っていないのかと考えながらとりあえず勉強部屋に向かうと、そこで隅々が教科書とノートを開いて宿題をしている。隅々は正面玄関から入ったのだ。集中しているようなので話しかけずに正面に座り、僕も宿題を始める。算数国語理科社会英語。宿題は何の創造性もないただの作業だ。
 しばらくすると隅々が宿題を終え、解放感を湛えた表情で伸びをする。
「よーし、終わった。ゆきずりはどう? まだかかる?」
「ちょっと待って、今終わるから」
 少し急いで宿題をしていた僕は既に一番最後の宿題に差し掛かっていた。理科の宿題として課されたプリントは空欄だらけの周期表だ。別の日に配られたプリントの周期表を見て書き写していると虚しい気分になってくる。H、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne、Na、Mg、Al、Si、P、S、Cl、Ar、K、Ca……。周期表は僕が持っている教科書には載っていなかったし、そもそも小学校の学習指導要領に含まれていないだろう。だのにわざわざ独自のプリントを用意してまで覚えさせてくれる担当教師の熱意には心底辟易する。隅々はそれを見てため息をつく。
「なんかさ、私は小学校入った時理科って3年生からだからヤバい薬品とか使った派手で危険な実験をするのかなーとか思ってたのに、いざ蓋を開けてみればただの暗記科目だよね。そのプリントだって、周期表は元素の構造や性質の類似を視覚的に整理しているものなのに、そういう文脈を無視してただ元素名を暗記させるだなんて本末転倒だと思わない?」

 そんな愚痴を聞いている間に僕も宿題を片付ける。僕と隅々は勉強部屋から書斎に移動する。そこで男の子がうつ伏せになって死んでいる。僕は少し驚くが、隅々は平然としている。何となくまだ標的は来ていないと思っていたけれど、既に隅々に殺された後だったのだ。殺人は僕たちの日常の一部になっている。
 隅々が足を弾ませて死体に近づく。
「ねえゆきずり、私いいこと思いついたんだけどさ、この死体で推理ごっこしてみない? 私もゆきずりも、自分は潔白で犯人だと主張するの。でなんかいい感じに言葉遊びかなんかで推理して、相手が犯人だと先に結論付けた方が勝ち。あ、実際に殺したのはお前だー、みたいな野暮なことは言いっこなしで」
「いいね」
 僕は新しい遊びに胸を高鳴らせる。そういえば、最初に子どもを殺したのは探偵の真似事をするためだったと思い出す。
「じゃあ死体に犯人の手がかりがあるか調べないと。ああ勿論、僕からすれば犯人は隅々なんだけど」
 僕と隅々は本棚の前でうつ伏せになった死体を観察する。
「見てゆきずり、頭が一部凹んでるよ。多分撲殺だね。金槌か何かで思い切り殴ったんじゃないかな?」
 という隅々の言葉にわざとらしさが含まれている気がして僕は真意を察する。金槌でこの子を殴り殺した隅々は、その情報を一応僕に提供しているのだ。しかしそれを直接言うと互いを犯人だと指摘する推理ごっこの設定に反してしまうから、まるで今死体から死因を推定したかような口調にしているのだ。だから僕は反駁せずに提案する。
「うつ伏せで顔とか見えないし、一旦裏返さない?」
 2人で死体を持ち上げて裏返す。警察の鑑識はこんなに適当な作業はしないだろうが、小学生2人の推理ごっこなので仕方がない。死体は幼い子どもとはいえ大分重い。
 仰向けになった死体の顔に微かな見覚えがある。
「隅々、この子ってカエルの鳴き声がする変な靴履いてる子じゃない? 僕この前道路ですれ違った気がするんだけど」
 1歩進むたびにゲロゲロと音が鳴る傍迷惑な靴で、僕を含め周囲の注目を集めていた。
「そうだよ。その靴が何となく気になったから私はこの子に声をかけたんだ。多分親はこの子が迷子にならないように音がする靴を履かせたのにそれが原因でここで死んでるって、とっても面白い皮肉だと思わない?」
 それには僕も賛同するが、一方で別のことが気に掛かる。
「ちょっと話変わるけどさ、この子の名前とか分かんない? この子この子って呼ぶのも変だと思うんだけど」
「名前聞いてないからわからないわね。折角だから私たちで名前つけよっか。『ジョン』とかどう? ジョン・ドゥそのまんまだけど」
 ジョン・ドゥは身元不明男性を指す言葉で、日本語でいう名無しの権兵衛に相当する。悪くない名前だが、僕の脳内に閃きが走る。
「『カエルくん』っていうのはどう? カエルちゃんのオマージュでさ」
 カエルちゃんというのは『ディスコ探偵水曜日』の著者の舞城王太郎が脚本を書いた『ID:INVADED』というアニメに登場する、毎話異なる理由で死んでいる女の子の名前だ。カエルちゃんの死の謎を解くすることで物語が進む。
「いいわね! カエルちゃんは前に私が言った『ミステリの華は死体』っていうのを体現してる存在だし、すっごく合ってると思う」
 僕は名付けに満足すると同時に、僕をアップルと名付けた親の気持ちを少しだけ理解する。
 殺した子どもに名前をつけるのは今回が初めてではない。先週殺した子どもは遺伝なのかやけに鼻が高い女の子で死ぬ直前お兄ちゃんお兄ちゃんと泣き叫んでうるさかったが当然死ぬと静かになり、嘘をつくと鼻が伸びるピノキオに見立ててピノキオちゃんと名付け論理パズルを組んでみたことを思い出す。先週は鼻。今週は華。
 カエルくんをひっくり返したことで体の下に隠れていた物体が露わになる。それを見た隅々が嬉しそうな声をあげる。
「今まで気がつかなかったけど、カエルくん、本を掴んでるよ! これってダイイングメッセージじゃない? この本が、犯人がゆきずりだと指し示してると推理すれば私の勝ちだね」
 よく見るとカエルくんのすぐ側の本棚の下の方に1冊分だけ空いている箇所がある。カエルくんは死の間際に藁をも掴む思いで手を伸ばしてたまたま届いたこの本を抜き取ったのだろう、というのは現実のつまらない話だ。この推理ごっこでは犯人を指し示す重要な証拠になりうる。僕はカエルくんの手から本を慎重に取り上げる。見覚えがある。
「あれ、これって9月の頭に隅々が大阪まで遠出して買ってきた本じゃない? 同人誌即売会だっけ」
 本の題名は『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』。そういえば僕はまだ読んでいない。
「ほんとだ。汚れたり破れたりしてない?」
 心配そうな隅々に『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を渡す。カエルくんの右手が強く掴んでいたからか題名の中央左付近がやや凹んでいるものの目立った損傷はない。
「見た感じ少し折れ曲がってるだけで大丈夫だと思う」
「良かったー。これ多分この世に数十とない初版本なのよね。血がかかったりしてたら本当に取り返しがつかなかった。半世紀後には伝説の作家の初期の本としてきっと物凄い高値がついてるわよ。絶対売らないけど」
 これからは書斎で殺人をするのは控えよう。口には出さなかったが僕は隅々も同じことを考えたと感じた。『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』をためつすがめつしている隅々が呟く。
「でも、血がついてないってことはダイイングメッセージとしての情報量が少ないっていうことでもあるから悩ましいところよね」
 僕は隅々と一緒に改めて『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を眺める。作品の内容からダイイングメッセージを見出すことができるとしても読んでいない僕には分からない。そこで僕は表紙にある情報を声に出す。
 「題名は『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』。著者は凛野冥。イラストを描いたのはsio5half。うーん」
 その時隅々が「あっ」と声を上げる。
 「私、1つすごいこと思いついちゃった。ダイイングメッセージとは違うんだけど」
 早すぎる。焦った僕はとりあえず適当なことを口に出して時間を稼ぐ。
「sio5halfって塩ご飯の言葉遊び、っていうか別表記だよね。どうしてこんな風に書いてるんだろう? 勿論、ペンネームに守らないといけないルールなんてないけどさ」
「SNSとかだと他の人と重複なく名前を決める必要があったりするから、その影響じゃない? 実用的な観点でのメリットもあるわよね。イラストに惹かれた人が本人に連絡を取ろうと思った時、ペンネームが同じだけのしおごはんという名前の人がたくさんいたら困るでしょ。塩もご飯も一般名詞なんだから、sio5halfという表記は十分合理的よね。えっと、奥付でもその表記が用いられているわね」
 隅々と一緒に『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』の奥付を見る。そこには『イラスト:sio5half』とある。著者と発行者は凛野冥。連絡先にはmay.ring.noから始まるメールアドレスが書かれている。
 そこで突然隅々の動きが止まる。僕には分かる。隅々はさらに何かを思いついたのだ。まずい。適当に話題を逸らしたつもりが敵に塩を送ってしまったかもしれない。
「ちょっとノートと鉛筆を取ってくるわ」
 『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を僕に渡して書斎を出ていく隅々を見ながら僕は思考を巡らせる。このままでは推理ごっこに負けてしまう。何か、『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』から隅々が犯人である根拠を捻り出さなければ。あるいは隅々の口ぶりからすると、『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』と凛野冥とsio5halfから何かを見出すことができるのだろうか?
 適当に考えてみる。sio5halfがしおごはんと書かれていないのは、しおごはんをしお/ご/はんと区切るためにあるのだとしたら。とりあえず交互に読む。sio凛5野half冥→塩林檎の判明。林檎→アップル。駄目だ。塩と判明の要素が説明できない上に、アップルは僕の名前でもあるからダイイングメッセージとしての解釈を見つけてもあまり意味がない。そもそも隅々が思いついたのは僕が犯人である根拠であって、隅々が犯人である根拠ではないのだ。アップルではなく隅々から何かを見出さなければ。すみずみ。必死に考えるが、何かを閃くことはできない。
 隅々がノートと鉛筆を手に戻ってきて、書斎の遠くをチラリとみる。視線を追うと、そこにあるのは『ディスコ探偵水曜日』が収められている本棚。これが関係するのだろうか? 
 僕はまだ何も解釈を思いついていない。だのに隅々は僕のはるか先を行っていて、推理ごっこにおける解決編、言葉遊びの披露を始めてしまう。
「私、気がついたわ。『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』。凛野冥。sio5half。ゆきずりが犯人だと示すダイイングメッセージがある。そしてそれとは別に、この本の表紙では奇跡が起きているの」



3.推理

「ダイイングメッセージから説明するわね。ゆきずりの名前には『ゆきずり』と『アップル』の2つの部分がある。まずは私とも共通する『アップル』を導出するわ。はじめに、sio5halfからしおごはんへの変換を分解するの」
 隅々は勉強部屋から持ってきたノートと鉛筆で情報を整理する。
『sio⇄しお ・・・①
 5⇄ご ・・・②
 half⇄はん ・・・③』
「そしてこれを利用して、凛野冥の『りん』と『めい』を変換するのよ。もっとも、『りん』はそのままね
 まず、①を適用して『めい』を『may』に変える。ローマ字読みでは『めい』は『mei』だけれど、奥付のメールアドレスで、冥に該当する単語はmayだったわね。
 次に、③を適用して『may』を『5』に変える。mayは5というより5月だけれど、『はんぶん』の前半分が『はん』であるのと同様、『5月』の前半分は『5』なの。
 最後に、②をそのまま適用して『5』を『ご』に変える」
 僕は理解する。めい→may→5→ご。sio5half⇄しおごはんの対応を過不足なく用いた変換。僕が考えた『塩林檎の判明』とは比べものにならない。
「だから、『りん』『めい』は『りん』『ご』になる。〈りんご〉は勿論英語でアップルね。ゆきずりアップルの『アップル』が、これで導かれるのよ。勿論、これだけではゆきずりが犯人だという告発だと判断するには不十分よね。『りんご』は、私アップル隅々のことかもしれない
 だから、『ゆきずり』との対応も見出さないといけないわね。でもこれはとっても簡単で単純よ。『アップル』を導く論理で使われていなかった要素は何か分かる?」
 僕は答える。
「題名『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』?」
「そう。あとは、この本をカエルくんがどのように持っていたかを思い返してみれば分かる」
 隅々は『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を僕の顔の前に近づける。題名の中央左付近がやや凹んでいる。題名の中央左付近。『渦目摩訶子』の『摩』の部分。
「あ!」
 それでやっと気がついた。隅々がノートに文字を書いて僕に見せる。
『行き摩り』
 僕の名前『ゆきずり』を漢字で書いたときの3文字目は、『渦目摩訶子』の『摩』なのだ。
 隅々がまとめる。
「『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』。凛野冥。sio5half。一つ目が『ゆきずり』を、2つ目と3つ目が『アップル』を指し示す。だから被害者がこの本を掴んでいたことは、犯人が『ゆきずりアップル』であることを表すダイイングメッセージなの」
 僕は隅々による言葉遊びに圧倒されていた。勿論これを推理として真面目な本格ミステリの探偵が披露したら非難轟々に違いない。だが今やっているのは推理ごっこ。この状況において、隅々の論理は完璧だった。
「僕の負けだよ、隅々。僕が犯人なんだ」
 推理ごっこの設定に基づいて犯行を認める。実際に被害者を金槌で撲殺したのが誰であるかはこの際関係ない。推理ごっこは隅々の勝利だった。
「ゆきずり、まだ終わってないわよ。ダイイングメッセージとは別に奇跡が起きてるって言ったでしょ? この本の表紙にはもう1つの符号があるの」

 そして、隅々が説明を再開する。
「さっきの推理には違和感が無かった? 『りんご』を導くために『りん』と『めい』を用いたけれど、まだ『の』が残ってる。これは奥付のメールアドレスを参照すると『no』。そして、『no』とsio5halfの冒頭『sio』の類似を用いるのが、この表紙のもう1つの符合」
 隅々はノートに何かを書きながら言葉を続ける。
「ゆきずり、アルファベットで、sとiが何番目か分かる?」
 頭の中で丁寧に数えて答える。
「sが19番目で、iが9番目かな」
 9と19。僕の脳裏を過ぎるのは舞城王太郎の『九十九十九』。だがそれは関係がない。
「正解。で、それを踏まえてこれを見て」
 言われるがままに隅々のノートを覗き込んだ僕は、電流が走ったような衝撃を受ける。
 『『19』(s)と『9』(i)の差『を』(o)『5』(5)ずつ『半分』(half)に分けるのが14で、14番目のアルファベットである『n』(n)『を』(o)導く』
 sio5halfとnoの、あまりにも美しい回収。
「『n』が導かれたわね。nが表すのは自然数全体の集合とか色々あるけど、この書斎の中で『n』に見覚えがない?」
 隅々は僕に向けていた視線をわざとらしく外し、遠くの本棚を見る。その先にあるのは、『ディスコ探偵水曜日』が収められている本棚。あの本棚で、『ディスコ探偵水曜日』の真下にある本を僕は知っている。
「『N』。道尾秀介が書いた本だ……」
 隅々は頬を緩めると、最後のピースをはめて推理を締めくくる。
「文学フリマから帰ってきた時に言ったこと覚えてる? 新潮ミステリー大賞の最終選考で『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を酷評した人物が、まさに道尾秀介なの」
 『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』→凛野冥とsio5half→N→道尾秀介→『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』。
 論理の輪が、ここに完成する。これが言葉遊びの真髄。一冊の本で起きている奇跡。
 あるいは、全ては凛野冥とsio5halfの意図通りなのだろうか?


4.エピローグ

 僕は持ち帰って読むことにした『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を手に裏口へと向かう。隅々は書斎で本を読んでいる。推理を披露して隅々は上機嫌になった一方僕は推理に圧倒され目眩さえ起こしていたので早めに自分の屋敷に帰ることにしたのだ。カエルくんは人目につきにくい深夜に隅々が埋めることになった。今回カエルくんは『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』の『摩』の字のあたりを掴んでいたことくらいしか推理に登場しなかったが、美しい言葉遊びの一部に組み込まれて喜んでいるに違いない。
 隅々の言葉遊び推理を聞いたあと僕なりに1つ思いついたことがある。隅々の推理は、アルファベット順でsが19番目、iが9番目であること、そして5halfを用いて真ん中の14を導いた。だが別の解釈でも14を導くことが可能だ。
 名前がiso5halfではなくsio5half。いそごはんではなくしおごはん。磯の潮の香りを頭から追い出し、sとiがこの順で並んでいることに注目する。
 大きなOの中にSとiが入っている図を思い浮かべる。
 それはケイ素原子。OはアルファベットのOであると同時に、原子の図で元素名を囲む丸でもあるのだ。想起されるのは背負っているランドセルに入っている理科の宿題。ケイ素の原子番号は14。これで、隅々の推理に繋がる。

 ところで今回の勝負、僕に勝ち目はあったのだろうか? 『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』からダイイングメッセージとして『アップル隅々』を導くことはできたのだろうか? 僕はそう思いながら『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』のページをめくる。カバーのそでに『二十二歳の冬に書いた小説です。』とある。二十二。22ページを開く。文脈はさっぱりわからないがアリバイの議論がなされている。次に何となく222ページを見て、僕は固まる。そこにはこんな文がある。
 『私立探偵をしています、ジェントル澄神と申します』
 すみがみとすみずみ。少々強引だが『ジェントル澄神→アップル隅々』という言葉遊びが成立している。『雪塚パイナップル→ゆきずりアップル』と同じだ。『被害者は犯人がアップル隅々であることを伝えるために、ジェントル澄神が登場する小説を掴んだ』という論理を一瞬で指摘していれば、少なくとも速さでは隅々に勝っていたかもしれない。
 僕は凛野冥の活動期間を知らないこともありこれが隅々の親が仕込んだ言葉遊びなのかただの偶然なのか別の意外な理由があるのか分からないが、確かなのは事前に『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を読んでおくべきだったということだ。後悔先に立たず。

 そういった思考をするにつれ、僕の中で1つの疑念が生じる。
 僕はカエルくんを見た時、死の間際に藁をも掴む思いで手を伸ばしてたまたま触れた本を抜き取ったのだろうと考えた。だが多数の言葉遊びを目にした今、その前提は疑わしい。隅々はカエルくんが『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を掴んでいるのを見て言葉遊びを考えたのではなく、言葉遊びを思いついたからこそ金槌で殺したカエルくんに『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を掴ませたのではないだろうか? だとしたら手のひらの上で転がされたことになるけれど悔しさはあまり覚えない。推理を披露する隅々はとても幸せそうで、ミステリの探偵のようなことをするという1つの夢を叶えていたからだ。

 裏口についた僕は靴を履くためにかがむ。雑に脱ぎ捨てた僕の靴の隣にあるのは、僕のより一回り小さな靴。1歩進む度にゲロゲロと音が鳴る傍迷惑な靴。描かれているのはカエル。
 これは何だろう?
 僕の中の何かが、その靴への強烈な違和感を訴える。心臓が自然と早鐘を打つ。靴の持ち主は分かる。カエルくんだ。カエルくんの名前はこの靴を履いていたことに由来する。だがおかしい。僕が屋敷に来た時この靴はなかった。この靴の存在は、今日の殺人の前提を根底から覆してしまう。
 僕は状況を整理する。授業が終わり図書館に寄り隅々の屋敷に裏口から入った時、裏口に靴は1足も無かった。僕は勉強部屋に行って隅々と一緒に宿題をした。宿題を済ませて書斎に行った時、そこでカエルくんは死んでいた。そして今、裏口にはカエルくんの靴がある。
 つまりカエルくんがこの屋敷に着いて裏口で靴を脱いで書斎に行って殺された時、僕と隅々には一緒に〈宿題〉をしていたという確実な〈アリバイ〉があったことになる。
 カエルくんを殺したのは、僕でも隅々でもなかったのだ。
 僕たちはとんでもない過ちを犯していた。僕はカエルくんを殺したのは隅々だと思っていた。僕と隅々で沢山子どもを殺してきて、今日は自分が殺していないからだ。しかしそれは隅々も同じだった。僕たちは、互いが犯人だと思い込んで会話していたのだ。

 僕は急いで書斎に戻る。真犯人が誰なのか、どうしてカエルくんを殺したのかさっぱり分からないが、今もこの屋敷に潜んでいる可能性が否定できない以上隅々の身が危ない。
 書斎に向かいながら僕は1つのアリバイトリックを思いつく。実はカエルくんを殺したのはやっぱり隅々で、カエルくんの靴はもともと正面玄関にあった。隅々は推理の説明のためにノートと鉛筆を取ってくると言って書斎を出た時、カエルくんの靴を裏口へと素早く移動させた。それによって僕が裏口から帰る時にカエルくんの靴を見て、犯人が実は僕でも隅々でもなかったという意外な真相を演出できる。全ては隅々の遊び心による悪戯。これが真相であってくれと僕は願う。

 だがその願いは打ち砕かれる。書斎に着いた僕が見たのは頭を割られ明らかに死んでいる隅々とその側で金属バットを片手に仁王立ちしている高校生くらいの男の背だった。逃げようとした足が恐怖ですくむ。
 僕に気付いて振り向いた男の鼻が高いのを見て僕は真相に気がつく。先週殺した、鼻の高さ故にピノキオに見立てて遊んだ女の子、ピノキオちゃん。ピノキオちゃんは死ぬ前に、お兄ちゃんお兄ちゃんと泣き叫んでいた。この男がピノキオちゃんの兄なのだ。きっと、ピノキオちゃんはこの屋敷にくることを事前に兄に教えていたのだろう。絶対に口外しないよう隅々に念を押されたはずなのに。だからこの男は僕たちが犯人だと気がついて町の平和さ故に鍵をかけていない屋敷に金属バット片手に乗り込んで書斎で待ち伏せしてたまたまやってきたカエルくんを妹を殺した犯人と間違えて殺害したのだ。カエルくんの悲鳴を僕たちが聞かなかったことは、この男がカエルくんを妹を殺したか問いただすことなく問答無用で撲殺したことを意味している。そして僕と隅々が離れたタイミングを見計らい隅々を殺したのだ。僕と隅々が一緒にいる時に襲わなかったのは、小学生とはいえ殺人犯二人を同時に相手にすることを躊躇したからだろう。
 カエルくんと隅々を容赦なく殺した狂った殺人鬼が目の前にいる。僕は自分の死が恐ろしくて体が震え、逃げようとするも足を満足に動かすことができずその場で転んでしまう。男が僕に近づきながら吐き捨てる。
「この悪魔め」
 僕の名前はアップルであり悪魔ではなくもしも悪魔だったら多分役所に拒否されただろう、という考えははるか昔の思考に由来する馬鹿馬鹿しいものだ。僕の頭は恐怖でおかしくなっている。這って逃げようとする僕の手が掴んでいるのは『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』。このまま殺されたらカエルくんと全く同じだ。9と19の間を5ずつ半分に分ける隅々の推理と、ケイ素の原子番号を用いた僕の推理を思い出す。どちらも指し示していた数字は14。パラグラフ14で主人公は死ぬ。
「消え失せろ」
 男が呟きながら振り下ろす金属バットが僕の頭に近づいてくるのを感じる。死を目前にして、僕の思考は極限まで加速する。走馬灯と同様の原理だ。僕の頭は生きる術を探して得ている情報を咀嚼する。僕の視界の端にあるのは『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』の背表紙。題名と著者名が書いてあるが僕が中央付近を持っているが故に『探偵・渦目摩訶子』までしか見えない。
 だがそれによって、僕はカエルくんが『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』を掴んでいた理由に到達する。あの本は死の間際にカエルくんが掴んだものではなく、犯人がカエルくんの手に差し込んだものだったのだ。込められていたのはアナグラム。
 『探偵 渦目摩訶子』→『TANTEI UZUMEMAKAKO』→『AKUMAME ZUTTOKIENA』→『悪魔め ずっと消えな』。
 カエルくんを妹の仇と誤解した犯人による、カエルくんへの悪罵だ。
 勿論この推理は穴だらけだが、それで構わない。いつぞやの隅々の言葉が蘇る。
『ミステリって多重解決が広まって推理がどんどん覆されるようになった結果、本の最後の推理でさえその正しさが実感できない状態になってるじゃない。でもそんな中言葉遊びは異質だと思うのよね。だって真相がどんなに二転三転したとしても、言葉遊びが成立しているという事実は揺らぐことがないでしょう?』
 言葉遊びword playは、僕たちが行き摩りに出会えるくらい、この世界worldのすみずみに横たわっていたlay






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