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探偵流儀 case-01 コーヒー豆殺人事件

 当代きっての人気作家であり、コーヒー通としても知られる星浦燦丸ほしうらさんまるが死体で発見されたとの通報があった。
 後頭部を殴られたことによる脳挫傷が死因と見られた。凶器は部屋にあった出版賞受賞のトロフィー。犯人が指紋を拭ったのか、きれいに拭かれていた。星浦は椅子に腰を掛け、机に突っ伏した状態で死んでおり、机の上には紙の上にひと皿分ほどのコーヒー豆が盛られていた。そして、

「被害者の右手には、これがしっかりと握りしめられていた」

 警部は、証拠品を保管するビニール袋を顔の高さに掲げる。

「コーヒー豆、ですね」

 それをじっくりと覗き込んだ探偵が呟いた。「そうだ」と答えてから警部は、

「被害者が突っ伏していた机の上に広げられていたコーヒー豆の中のひとつと見られている。被害者はほぼ即死で、椅子から立ち上がって戸棚の中からコーヒー豆をわざわざ取ってきたとは考えられないからな」

 殺された星浦燦丸は、売れっ子作家であるとともに大のコーヒー好きとしても知られており、自分で外国から豆を買い付けてくるほど。自室の棚には膨大な種類のコーヒー豆が保管されており、自分好みに豆を調合することが一番の趣味だったという。

「机の上に盛られていた豆も、彼が調合したものだったようだ」
「いわゆる、ブレンドコーヒーというやつですね。被害者は、その中から豆をひと粒選んで握りしめていた、と」
「ああ、苦し紛れに豆の山を掴んだなら、ひと粒しか握らないというのは考えがたい。明らかに意図的に掴んだものだろうな」
「ははあ、“ダイイング・メッセージ”というわけですか」
「山になったコーヒー豆は、調べた結果三種類の豆から構成されていることが分かった。ええと、待て」と警部は証拠品の豆が入った袋を一旦テーブルに置いて、懐から手帳を取り出すと、「ブルーマウンテン、モカ、キリマンジャロ。この三種類の豆が混ぜ合わされていた。それでだ、被害者の握りしめていた豆は、その中のブルーマウンテンだった」
「被害者はブレンドされた豆の中から、意図的にブルーマウンテンの豆を選んで握りしめた、ということですね? それで警部、そのメッセージは解読できたのですか?」
「容疑者は全部で四人。出版社編集者の桐間きりま、翻訳家のブレッド、コーヒー会社の社員加茂かも、同じく別のコーヒー会社の社員青山あおやま
「青山……ブルーマウンテン、ということですか。被害者は、自分を殺害した犯人の名前をコーヒー豆で残したと?」
「そんな安直に行けば苦労はない。君を呼び出す必要もなかっただろう」
「それはそうですよね。何か問題でも?」
「青山は被害者の死亡推定時刻、完璧なアリバイがあった」

 そう言うと警部は深く嘆息した。

「私は明日の朝早くに帰国しなければならないんです。早く帰して下さい」

 完璧な金髪、碧眼の見た目からは想像が付かないほどの流暢な日本語で、翻訳家のブレッドは言った。他の三人も口々に「早く帰りたい」という意味の言葉を漏らす。被害者宅の広間には四人の容疑者が集められていた。死体を発見したお手伝いさんが通報して、救急と警察が到着するまで十五分少々。それから四人はずっと、現場である星浦邸に留められている。
 その様子を、広間の出入り口に立つ警部と探偵が観察していた。

「容疑者たちがあまりに駄々をこねるものだから、たまらず君を呼んだんだ」
「懸命なご判断でしたね」

 夜の十一時近い時刻に呼びつけられたにも関わらず、探偵は上機嫌だった。彼は事件捜査が好きで、警察に頼られることを楽しんでいる。

「応接室で事件前後の概要を聞かせよう」

 警部は探偵を連れて広間をあとにした。

 この日、星浦は、馴染みの編集者である桐間と、自作の英語翻訳を手掛けている翻訳家のブレッドを自宅に招いて食事会を開いていた。人好きの星浦は、こういった会を定期的に開いており、その都度都合の付く友人知人を招いていたという。
 本来三人だけの参加であったはずの食事会に、今回はもう二名が参加することになった。加茂と青山。二人とも別々のコーヒー会社の社員。その目的は、人気作家星浦燦丸ブランドのコーヒー販売許諾を得ることにあった。
 星浦のコーヒー好きは世間に知られるところであり、ある雑誌に掲載された作家同士の対談で、「いつか自分がブレンドしたコーヒーをファンにも味わってもらいたい」という旨の発言をしたことがあり、それを読んだ二社のコーヒー会社が星浦に連絡を取り、「ぜひうちから販売させてほしい」と申し出た。星浦はこれを受け、今回の食事会のメンバーが少なかったこともあり、両社から代表一名ずつの参加を募ったのだった。

「それで、K社からは加茂、A社から青山、この両社員が参加することになり、今夜ここに呼ばれたというわけだ」

 被害者と容疑者四人、計五人が星浦邸に集まることになった理由を聞き終えた探偵は、対面のソファに座る警部に話の続きを促した。

「食事が終わると星浦は、自分のブレンドコーヒーを販売する会社を決めるため、両社社員に対して勝負を仕掛けたそうだ。その勝負方法は、利きコーヒー対決」
「利きコーヒー、ですか。コーヒー会社の人にとっては申し分ない対決方法でしょうね」

 星浦は、何杯かコーヒーを出し、それらを飲み比べて一番価格の高いものを当てる、という勝負で販売会社を決めようと言ってきた。挑まれた勝負にA社の青山はやる気満々であったが、K社の加茂は及び腰だった。それというのも、青山がコーヒーソムリエの資格も持つコーヒーの達人だったのに対し、加茂は営業畑ひと筋の営業マンで、コーヒーはたしなむ程度の知識しかなかったためだった。コーヒーを飲み比べて価格を当てるなどという勝負ではとても加茂は太刀打ち出来ない。会社が提案した企画のプレゼンで勝敗を決めるべき、と加茂は提案した。が、それをかえって面白がった星浦は益々この勝負方法に乗り気になり、「ビギナーズラックということもあり得ますよ」と勝負を受けることを加茂に承諾させてしまった。
 ここで、自分も星浦に負けないほどのコーヒー通だという編集者の桐間が勝負に名乗り出て、「もし自分が勝ったら、そのときはこの勝負はチャラにして、また後日別の方法を取ればいい」と星浦の承諾を得て勝負に加わることになった。加茂としても、負ける確率が二分の一から三分の一になるのであれば、と桐間の参戦を承諾するとともに勝負に挑むことになった。桐間はブレッドにも参加するよう促したが、ブレッドはコーヒーはたしなむが、通というほどでは全然なかったため参戦を固辞した。
 勝負は編集者の桐間の勝利に終わった。一問目で早々に加茂が脱落し、残る青山と桐間の決勝戦も三杯目にしてようやく決着した。
 白熱した戦いに満足した様子の星浦は、「今日はこの話はもう終わり。せっかくなので、皆さんに私のスペシャルブレンドコーヒーをご馳走する」と一旦広間を出て、人数分のコーヒーを乗せた盆を手に戻ってきた。出されたコーヒーを皆は絶賛した。その後歓談が始まり、午後九時頃、星浦が疲れたと口にして自室に戻った。
 時計が午後十時に差し掛かろうかという頃、お手伝いさんが血相を変えて広間に駆け込んできた。星浦が自室で死んでいるという。

「それで、通報を受けた我々が駆けつけた。星浦の部屋は窓が施錠されており、外部犯の可能性は排除される。窓の外の地面にも足跡や何者かが侵入した痕跡は一切認められない。玄関や裏口から侵入するにしても星浦の部屋に行くまでには必ず広間を通る必要がある。で、広間には必ず誰かしらがいたというわけだ」

 警部の話を聞き終えた探偵は、「なるほど」と呟いてから、

「犯行時刻の容疑者たちのアリバイはどうなんですか? 青山はアリバイありだと先ほどおっしゃっていましたが」
「そうなんだ。青山は上司に連絡を取るため電話しようとしたのだが、生憎と携帯のバッテリーが残り僅かだった。上司とはいつも長話になるので、この家の固定電話を貸してもらえないかとお手伝いさんに頼み、居間にある固定電話を使わせてもらった。被害者の死亡推定時刻に青山は、その電話で上司と会話をしていた。その上司とも連絡が取れ、青山とずっと会話をしていたと証言している。電話会社への調べで、この家の固定電話がその時間、ずっと上司の携帯電話と繋がっていたという確認も取れている」
「被害者が残したダイイング・メッセージで暗示されていた青山は、固定電話に付きっきりで、完璧なアリバイがある、というわけですか」
「そうなんだ。無論、誰かが終始青山の電話している姿を目撃していたわけではないが、青山に犯行は不可能と見ていいだろう。固定電話を持ったまま星浦の部屋に移動することも無理だ。試してみたがコードの長さが全然足りん」
「子機を使ってはいなかったのですか?」
「見てもらえば分かるが、この家の固定電話はアンティーク調のダイヤル式で、子機なんていう文明の利器は付いていない。何でも、ほとんどの電話連絡は携帯で済ませ、原稿なんかを送るファックス機能も電子メールに取って代わられたため、星浦はあえて固定電話を自分の趣味のものに交換したんだそうだ」

 それを聞いた探偵はまた、「なるほど」と呟いて、

「それでは、青山以外の容疑者たちのアリバイは?」
「ないに等しいな。トイレに行ったりで誰かしらが広間をひとりで出ることは何回かあったそうだ。広間から星浦の部屋に行き、彼を殺害して戻るまで、一、二分もあれば楽勝で可能だ。死亡推定時刻ずばりの時間に誰かがいなかったかも、そこまでは誰も憶えていないそうだ」
「無理もありませんね。被害者に対する殺害動機は、どうでしょう?」
「それも難しいな」と警部は手帳のページをめくり、「編集者の桐間は、星浦がデビューした当初から昵懇にしていた戦友とも言うべき間柄で、殺害動機があるとは思えない。それどころか、自社を潤してくれる売れっ子作家を殺すわけがないだろうな。
 対して、翻訳家のブレッドには被害者との間に遺恨じみたものがある。星浦の最新作を翻訳したとき、何かとんでもない誤訳をやらかしてしまったらしいんだ。だが、当のブレッドは『誤訳ではない。きちんと内容を読み込んで意訳した表現だった』と譲らなかったそうだ。結局の所は第二版から当該部分を訳し直すことで決着したらしいが、最後まで誤りを認めなかったブレッドに対して、星浦は随分と辟易した態度を取り、『次作からは翻訳者を変えようか』と漏らしていて、それがブレッド自身の耳にも入っていたそうだ。が、星浦がここまで売れたのも、ブレッドが最初に翻訳した作品が欧米でブレークしたのがきっかけという恩義もあるため、そこまで険悪になることはなかったらしいが。さっき話した、星浦が自分のスペシャルブレンドコーヒーを振る舞ったときも、他の三人は手放しで絶賛していたが、ブレッドだけはそうでもなかったらしい。まだわだかまりがあったのかもしれないな。
 コーヒー会社の加茂と青山は、今日が星浦とは初対面だ。さっきも話した通り、星浦ブランドのコーヒー販売権を賭けた勝負で青山は加茂に勝った。が、編集者の桐間が土壇場で参戦してきたことで、結局優勝者は桐間に決まり、この勝負はお流れとなってしまった。そういった意味では、青山は星浦に対して恨みがないとも言えないかもな。加茂にしても、恐らく営業としての能力を生かして完璧なプレゼンを用意してきたのに、それがご破算になってしまったうえ、おかしな勝負に駆り出された。恨みのひとつも持っておかしくない」
「ふうむ。動機らしきものは桐間以外の三人にあり、アリバイはダイイングメッセージで示された青山だけが鉄壁のものを持つ。ですか」

 探偵はソファの背もたれに背中を預け、大きく天井を見上げた。警部は手帳を閉じると、

「被害者がコーヒー豆を握りしめていたというのは、ただの偶然だったのだろうか?」
「警部も最初に話してくれましたが、山の中からたったひと粒だけとなると、これは偶然とは思えません。致死の苦しみでもがいて手を伸ばしただけなのであれば、何粒も鷲づかみにしてしまうのが自然でしょう。それに、青山だけでなく、容疑者全員がコーヒーに関連した名前を持っていますしね」
「ああ、それこそ出来すぎた偶然だよ。桐間はキリマンジャロ、加茂はひっくり返すとモカ、ブレッドはブレンドに語感が似ている」
「被害者の机の上にあった豆は、それら全てを含んでいたんですよね。キリマンジャロとモカとブルーマウンテンのブレンド……よし」

 探偵は勢いを付けて立ち上がった。

「どうした? 何か思いついたのか?」
「逆です。何も思いつかないから、僕らも気分転換にコーヒーでもいただきに行こうじゃありませんか」

 探偵と警部は台所に行き、戸棚の中からインスタントコーヒーを見つけてお湯を沸かしにかかった。そこへ、

「まあまあ、お茶でしたら私がご用意いたしますのに!」

 と台所に入ってきたお手伝いさんが声を上げた。「お構いなく」と探偵は、

「それにしても、コーヒー通でいらした星浦先生のお宅にインスタントがあるとは驚きました」
「ええ、すぐにコーヒーをお飲みになりたいときなど、よくご利用されていました。最近はインスタントも味が良くなってきたとかおっしゃっていましたし」
「なるほど」探偵は、お湯が沸き上がったヤカンを手に取ると、「お手伝いさんもいかがですか?」

 と声を掛け、警部が新しいカップを用意した。

「すみませんね。私、普段あまりコーヒーは飲まないのですけれど、せっかくですから」

 探偵は三人分のインスタントコーヒーを淹れると、

「確かに、最近はインスタントも美味いですよね」

 湯気が立ち上るコーヒーを味わった。警部とお手伝いさんもカップに口を付ける。

「あら?」

 コーヒーをひと口飲んだお手伝いさんが、カップから口を離した。

「どうされました?」
「いえ……この味、先生のスペシャルブレンドと同じですわ」
「何ですって?」

 お手伝いさんは、もう一度カップの中のコーヒーをすすってから、

「ええ、間違いありません。私、コーヒーはあまり飲みませんけれど、料理が好きなもので味にはうるさいほうですの。今日、お客様に先生がスペシャルブレンドをお出しになるとき、こっそり私にも一杯ご馳走してくれたんです」
「それでは、星浦さんのスペシャルブレンドは、あなたが淹れたわけではないんですね?」
「ええ、ええ。先生は『秘密の調合をするから』と私を台所から締め出してしまわれまして。それでコーヒーを五杯ご用意して、そのうちの一杯を私に勧めて下さったのです」
「星浦さんがコーヒーを淹れるところもご覧になってはいなかったのですね? それで、そのときのコーヒーが、今飲んだインスタントと同じ味がした、と?」
「そうです、そうです。感想を聞かれたのですが、正直に、普通ですね、とお答えしました」
「……それに対して、星浦さんはどんな反応をされましたか?」
「てっきりお叱りを受けるかと思ったのですが、先生は、にこにこしながら頷いているだけでした。雇っていただいているという立場上、おべんちゃらのひとつでも申し上げようかと思ったのですが、私、味に対しては妥協しませんもので」
「そうですか、そうですか……。ひとつ訊かせて下さい。青山さんがここの固定電話を借りましたよね。そのときの様子を詳しく話してくれませんか?」
「ああ、あれですか。私が台所におりましたら、青山さんがいらして、『この家の電話を貸して欲しい』と頼まれたんです。何でも、携帯電話の電池がなくなりそうだとのことで。それくらいのことでしたら、わざわざ先生の承諾を得ることもありませんので、ええ、いいですよ、電話は広間を抜けた先の居間にあります、とお伝えしたんです。私も、ちょうどお茶菓子を持っていくところでしたので、青山さんと二人で広間に戻りました」
「そして、青山さんはそのまま広間を抜けて居間へ電話を掛けに行ったということですね?」
「ええ、ええ、その通りです」
「そのとき、広間には誰がいましたか?」
「疲れたからと部屋に戻った先生以外は、全員いらっしゃいました」
「青山さんは広間を出るとき、何か声を掛けていきましたか?」
「はい、青山さんは広間に入るなり、そのまま反対側の出入り口に向かいましたので、それを見たどなたかが声を掛けました。ええと、すみません、どなただったかは忘れてしまったのですが」
「構いません。それに対して青山さんは何か答えましたか?」
「はい、『電話を掛けてくる』とだけ」
「……なるほど」

 探偵はカップをテーブルに置き、両手を組み合わせて額に付けた。探偵が推理を巡らせるときの癖だ。

「警部、お願いが」
「何だ?」
「被害者、星浦さんの手を、もう一度よく調べてみて下さい」



 四人の容疑者が待つ広間に探偵が姿を見せた。二つある出入り口には屈強な制服警官が門番のように立っている。

「さて、皆さん」

 ソファに座った四人の容疑者を前に、探偵は立ったまま話しだした。ちらと壁の時計を一瞥して、

「長時間拘束してしまい申し訳ありませんでした。警部に代わってお詫びします」
「では、もう帰ってもいいんだな」

 ブレッドが言うと、

「ええ、犯人の方以外は」

 四人は互いの顔を窺いあった。「それじゃあ……」と誰かが呟いた。その様子を見て探偵は、

「はい、星浦ほしうらさんを殺害した犯人は、あなた方四人の中にいます」

 部屋は一瞬、どよめきに支配された。探偵は、その動いた空気を微動だにせず受け流して、

「順を追って説明しましょう。食事会が終わり、星浦さんは自室に戻ります。犯人はあとを追いました。無論、すぐに動いたわけではないでしょう。怪しまれないように、時間を置いて、トイレにでも行くかのように自然にこの広間を出たに違いありません。犯人は部屋で星浦さんと二人きりになります。星浦さんに警戒の色はなかったでしょうし、恐らく犯人もこのときはまだ、星浦さんを殺害しようなどとは思っていなかったのでしょう。が、不運なことに、犯人は部屋にあったトロフィーで星浦さんを殴り殺すことになってしまうのです。隙を突かれて後頭部を殴られた星浦さんでしたが、薄れゆく意識の中、犯人を名指ししようと行動を起こしました。その方法は、自分の前にあったコーヒー豆です。キリマンジャロ、モカ、ブルーマウンテン、この三種類の豆がブレンドされたコーヒー豆の山。星浦さんはその中から豆を取り、握りしめました。最後の力を振り絞って。お手伝いさんの発見時、死体が握りしめていた豆は……ブルーマウンテンでした」
「ブルーマウンテン――!」

 誰かが呟いて、他の三人の目が一斉に青山あおやまに向いた。

「ち、違う! 私じゃない! 警察にも話したが、私は居間でずっと電話をしていたんだ!」

 青山は立ち上がって抗弁した。

「その通りです。星浦さんの死亡時刻、青山さんは居間で電話中でした。皆さんもご覧になられたか分かりませんが、この家の電話は子機などないアンティークなもので、通話をしながら星浦さんの部屋まで移動することは不可能です」

 探偵が青山のアリバイを保証した。

「ということは……」

 また誰かが呟いた。落ち着きを取り戻した青山が腰を下ろすと、今度は彼を除いた三人が互いに顔を窺い合う。

「ところで、ブレッドさん」探偵が外国人翻訳家に声を掛け、「あなた、コーヒーには詳しいですか?」
「いや、好きでよく飲みはするが、星浦さんや、桐間きりまさん、今日いらした青山さんのような博学では全くない。正直、喫茶店で飲むものも、家で淹れるインスタントも、ほとんど味の違いは分からないという程で」
「僕もです」

 探偵は笑った。

「でも、それでは」と、また青山が口を開き、「どうして星浦先生は、死に際にコーヒー豆、しかも、ブルーマウンテンの豆を握ってなんて……」
「そこです」

 探偵は青山の顔を指さし、「失礼」とすぐに指を引っ込めると、

「ブレンドされて山になったコーヒー豆の中から、ひと粒だけ取って握りしめていた。これは明らかに意図的な行為です。そう、星浦さんは自分を殺害した犯人を名指しするため、最後の力を振り絞って豆を取ったのです。しかし、犯人がその行動に気が付いていたとしたら? 星浦さんが今際の際に取った行動の意味を感づいたとしたら?」
「それは、つまり……」
「そうです。星浦さんは確かに犯人を指し示すコーヒー豆を握りしめた。ですが、それに気が付いた犯人は、星浦さんの手を開いてその豆を取り除いた。そして、自分とは関係のない別の豆を代わりに握らせておいたのです」
「それじゃあ、最初に星浦さんが握っていた豆は、キリマンジャロか、モカ?」容疑の圏外に逃れた青山は、桐間と|加茂《かも》の顔を見て、「いや、二種類以上の豆を握っていたのなら、ブレンド、つまりブレッドさんのことを示していたのかも……」

 黙り込んだ四人を前に、探偵は、

「つまり、こういうことになりますね。犯人は自分が殴り倒した星浦さんが、目の前にあった山からコーヒー豆をひと粒手に取ったのを見た。もしくは、その現場を目撃はしておらず、絶命したあとに不自然に握られた星浦さんの手を見て、それに気が付いたのかもしれませんね」
「それで、犯人は星浦先生の手を開いて、自分のことを示したその豆を取り除き、代わりにブルーマウンテンの豆を握らせた。私に罪を着せるために……」

 青山の喉がごくりと鳴った。探偵は「そうです」と言うと、

「犯人は星浦さんの残したダイイング・メッセージを見破って、逆に利用したのです。ですが……」ここで言葉を切って、「ですが、それは誰にでも出来ることではありませんよね」
「……どういうことですか?」

 青山が探偵を見る。探偵も彼を見返して、

「例えば、僕が犯人だったとしたら、星浦さんのダイイングメッセージを見破ることは出来なかったでしょう」
「……」

 青山は言葉を詰まらせる。探偵は大きく頷いて、

「絶対に無理です。だって、星浦さんの握りしめた豆の種類が、、、、、、、、、、、、、、、何だったかなんて見ただけ、、、、、、、、、、、、や香りをかいだだけでは、、、、、、、、、、、分かりっこ、、、、、ないんですから、、、、、、、!」

 四人は雷に打たれたように、はっとして息を呑んだ。三人は得心して、ひとりは自分の犯した過ちに気が付いて。

「三種類もの豆がブレンドされた山の中から握り取られた豆。それがどういう種類の豆だったかを知ることが出来るほどのコーヒー通は、この中に二人しかいません。桐間さんと青山さんです。そして、先に述べたように青山さんには完璧なアリバイがあります」

 ほぼ名指しされたに等しい、その人物の顔を、他の三人は一斉に見た。探偵もゆっくりと視線を向けて、

「桐間さん、あなたですね」

 桐間は押し黙ったまま、焦点の定まらない視線を宙に浮かべていた。



「君の言った通り、星浦の手からは、ブルーマウンテンの他にもう一種類の豆の欠片が検出された。キリマンジャロだった」

 後日、事後報告のため探偵の事務所を訪れた警部は言った。「そうですか」と探偵は、警部に出したコーヒーを勧め、

「星浦さんが自分のスペシャルブレンドだと言って四人に出したコーヒー。あれはただのインスタントでした」
「星浦は、どういうつもりでそんなことをしたんだろう?」

 警部は湯気の立ち上がるコーヒーカップを手に取り、ぐいとひと口、喉に流し込む。

「他愛のない稚気だったのかもしれませんね。台所にあったインスタントコーヒーは、加茂の務める会社のものでした。お客の帰り際にそのことをばらして、十分に美味い商品を出しているのだから、有名人のネームバリューなど借りなくとも、もっと自分の商品に自信を持ちなさい、というメッセージを贈るつもりだったのかもしれません」
「コーヒー通の桐間や青山まで、偽りの星浦ブレンドを絶賛していたそうじゃないか。あれはただのおべんちゃらだったのかな」
「少なくとも、桐間だけは本気で絶賛していたのではないでしょうか。それが殺害動機のひとつになってしまったのだから」
「そうかもな」

 桐間は犯行を自供した。敏腕編集者は、実はギャンブルに狂い多額の借金を背負っていた。今夜の勝負に飛び入りで参加して見事優勝した桐間は、星浦が自室に引き上げた隙を狙ってこう持ちかけたのだという。「先生ブランドのコーヒーの販売権を当社に譲ってもらえませんか?」人気作家星浦の名前を冠したコーヒーの販売で手柄を立てて臨時ボーナスを、などと画策していたのだろう。星浦ひとりだけのときを狙ったのは、コーヒー会社の加茂と青山の目から逃れたかったからに違いない。しかし、星浦はその頼みを断った。今回のこともただの余興で、もし加茂か青山が勝っていても、自分ブランドのコーヒー販売は許可しないつもりだったという。星浦は桐間の借金のことも知っていた。それで功を焦る余り、博打のような企画をごり押ししては失敗、ということを繰り返していた桐間に、「私がデビューした当時のように、純粋に面白い本を作りたい、という気持ちに戻ってやり直さないか」そう声を掛けたという。そしてさらに、「このまま君の仕事ぶりが直らないようでは、次回作は他社から出すことも考えないといけない」。そのひと言が桐間に火を付けた。語気を荒げる桐間に星浦も反撃する。「インスタントを絶賛したような舌しか持っていないくせに」。桐間はスペシャルブレンドと知らされて飲んだコーヒーが、ただのインスタントだったことを知った。
 もう相手はしない、とばかりに机に向かい、コーヒー豆のブレンドを再開した星浦の背後に桐間は迫る。手には自社が贈ったトロフィーが握られていた。そのトロフィーの隣には、星浦と桐間が笑顔で収まった、受賞記念に撮影した写真も飾ってあったのだが、桐間の目には入らなかったのだろう。
 犯行後、茫然自失としていた桐間は、星浦が完全に絶命しておらず、手を動かしたのを目撃する。手に顔を近づけるとコーヒー豆の香りがする。この香りは……。固く握られた手から指を剥がしてみると、果たしてそこにはひと粒のコーヒー豆が握られていた。キリマンジャロ。意味を察した桐間はその豆を山に戻し、代わりにブルーマウンテンの豆を握らせておいた。ここに来る前、青山が「電話を掛けてくる」と言って、携帯電話を握りしめて広間を出て行ったままだったのを目撃しており、アリバイが不完全な青山に罪を被せることが目的だったという。青山が携帯ではなく固定電話を使うつもりだったなどとは分かろうはずもなかった。加えて、星浦の手から豆を取り除いただけでは、豆の香りが手に残ったままとなり不自然だと感じ、別の豆を握らせようとも思ったのだという。香りに敏感なコーヒー通としての顔がここでも出てしまった。

「これも君の言った通り、現場に残されたブレンド豆の中から、桐間の汗の成分が付着した豆が出た。その豆は星浦が一週間前に買い付けてきたばかりのもので、桐間の汗が付着しているはずがなかった。君が叩き付けた推理に加え、この物証が決め手となったよ」

 警部は満足そうな表情になってコーヒーをすすった。

「ところで警部、そのコーヒー、実は僕がブレンドしたものなんですよ。あれ以来、ちょっとコーヒーに目覚めてしまいましてね。どうですか? インスタントとは違いますか?」

 探偵は期待を込めた目で警部を見つめる。

「ああ、どうりで……」と警部はカップの中の褐色の液体を覗き込んで、「インスタントにしてはまずいと思ったよ」

 探偵は苦笑した。




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