街の中心部を流れる川で、男の死体が浮いているのが見つかった。所持していた免許証から、男は暴力団の構成員であることが分かった。
ここ一ヶ月ほどの間、街では、勢力を二分する二つの暴力団、虎王会と竜王会との抗争が激化の一途を辿っている。主に夜の繁華街を中心に、構成員同士のいざこざが頻発しており、警察の出動も連日に及んでいた。今回の死体は、その抗争の結果によるものと見られたが、容疑者は掴めないままだった。
それから数日後、再び川に死体が浮かぶ。今度の被害者も、やはり構成員のひとりで、前回は竜王会、今回発見されたのは敵対する虎王会の構成員だった。
「いずれも、全身数箇所を刺されたことによる失血死が死因と見られている」
探偵の事務所を訪れた警部は、出されたアイスコーヒーにミルクとシロップを投入しながら言った。
「ははあ、ヤクザ同士の抗争ですか。僕に縁があるいの事件とは思えませんけれど」
テーブル越しに警部と対面する探偵も、見せられた写真資料に目を落としながらグラスに、こちらはミルクだけを投入した。
「だいたい、ヤクザ屋さんが相手なら、縁が薄いのは警部も同じなのでは? 組対(組織犯罪対策課)の守備範囲でしょう」
「殺人事件に発展した以上、そうも言っていられんさ。捜査一課も動かざるを得ない」
「しかも、僕のところを訪れるだけの要因がある、と」
警部はストローでコーヒーを吸い上げながら頷いて、
「虎王会と竜王会の抗争による被害者と見られているが、実はまだ犯人は挙がっていない」
「そうなんですか」
「目撃情報がゼロなんだ。被害者の衣服や持ち物からも、めぼしい指紋や遺留物は出ていない。虎王会と竜王会、ひとりずつやられてることから、両陣営の特別血の気の多いやつらを、組対と一緒に片っ端から当たってみたんだがな。当たり前だが、自分がやった、などと名乗り出るやつがいるわけがない。しかも、ほとんどのやつは被害者の死亡推定時刻にアリバイがある。アリバイのないやつにしても、どうも要領を得ない」
「こいつは犯人じゃないっていう、あれですか、刑事の勘」
「そんな大層なものじゃないがね、何となく感じるんだよ。あいつらは単純だから。君ら探偵が相手をしている超犯罪者連中と違って、人を殺しておいて平然と関係者面していられるようなタマじゃあない。必ず何かしらボロを出すはずなんだ」
「でも、誰にもそれがない、と」
ああ、と警部はまたコーヒーをすすってから、
「それと、もうひとつ。これがここに来た理由でもあるんだが。昨日、犯行現場と見られる場所が特定された」
「どちらのですか」
「両方だ」
「両方? 被害者の二人は同じ場所で殺されたっていうんですか?」
「どうやらそうらしい。その場所というのが、繁華街の裏路地に面したビルの一階だ。床から血痕が見つかり、DNAが被害者二人のものと一致した。そのビルは奥まったところにあるうえに、取り壊しされることが決まっていて、テナントはすでに退去している。人を殺すには格好の場所だ」
「犯人は、そこで殺してから、被害者を川に遺棄した」
「そう見られている。だがな、そのビルというのが、川から結構離れてる」
「川に死体を遺棄するという行為が、不自然だということですか」
「ああ。殺したら、そのまま死体をビルに放置しておけばよかったんだ。そうすれば、死体の発見はもっと遅れたはずだ。今回のことだって、死体が川から見つかったから、殺害現場を捜索する一環でビルに踏み込んだんだ。何も事件がなきゃ、あんなビルをわざわざ調べたりしない」
「犯人には、殺害現場に死体を置いたままにしないで、運んで川に捨てるべき理由があったということですか」
「知恵を貸してくれ。ついでに犯人も特定してくれれば言うことはない。これが死体の検案書だ」
警部は鞄から取りだした書類をテーブルに並べた。探偵はグラスを置いて、代わりにその書類を手に取って視線を走らせる。
「……死因は失血死。どちらも外傷は、首筋、片腕前腕部、胸、腹部、脚と、多岐に渡っている。めった刺し、とまではいかないけれど、結構な回数刺されたり切られたりしていますね。これにも意味があるのかな……。それと、手足に縛られたような跡がありますね。で、これが実際の殺害現場の写真……。二人も刺殺した現場の割には、血痕が少ないですね」
「ああ、鑑識でも問題になった。死体の傷には生活反応があったから、大量の出血があったはずなんだがな。犯行時はビニールシートでも広げて、その上で殺していたんじゃないか、という結論に落ち着いた。実際、シートを広げていたと思われる痕跡もある」
「ああ、ここですね。血痕が不自然に途切れている。ここがシートと床の境目だったんでしょうね。でも、そこまでやったにしては、今度は、かえって血痕の残滓が多いように思えますね。血痕を残したくなかったにしては、仕事が杜撰だ。これだけ刺せば、かなりの出血があることは分かりそうなものなのに。だからこそシートを用意したのか? でも、この残りようは……。死因は失血死。川に死体を遺棄。発見されにくいビルの中から、わざわざ運搬のリスクを負ってまでも……」
探偵は一旦書類を置いてグラスに持ち替えると、コーヒーの残りを一気にすすりあげた。残された氷が、カラリ、と乾いた音を立てる。探偵は警部のグラスも空になっているのを見ると、
「警部、お代わりいかがですか?」
「ああ、頼むよ。このアイスコーヒーは美味いよ。腕を上げたな」
「今は僕のブレンドを切らしていて、これはペットボトルの既製品です」
探偵は不機嫌そうな顔になって、空のグラスを二つ手に取った。
それから数日後。
「君の推理通りだった。富良織伊作のアトリエ地下にある冷蔵庫から血液が見つかった」
「やはり、そうでしたか」
「人間の血液を使って絵を描くつもりだったなんて、とんでもない画家だよ」
「“鮮血の魔術師”なんて渾名をつけられて、もてはやされていましたけれど、それだけでは満足出来なかったのでしょうね」
「しかし、よく分かったな。犯人の目的が血液だったなんて」
「状況から推理したまでです。犯行現場でシートを張っておきながら、血痕を完全に消そうとまではしていない。あれは犯行を隠蔽することが目的ではなくて、出来るだけ床にこぼさずに血液を集めるためだったのではないかと」
「全身の刺し傷、切り傷は?」
「そこまで含めてお話しします。富良織の犯行はこうです。繁華街を歩き回り、まずはターゲットを見つける」
「獲物は、虎王会か竜王会の構成員だな」
「そうです。富良織は両組織の抗争を利用して、犯行をヤクザ同士のいざこざの結果に見せかけようとしたのです。ターゲットは、繁華街をひとりで歩いている構成員。ああいった連中は、全身からカタギではない、いかにもな空気を発しているので、容易に見分けがついたでしょう。人気のない路地裏にターゲットが入ったら、犯行開始です。まずは、後ろから首筋に強力なスタンガンを一撃。気絶させたターゲットを、持ち歩いていた大型のスーツケースに入れて殺害現場まで運びます」
「例のビルだな」
「ええ。ビニールシートを張り、ターゲットの手足を縛ります。暴れられないように、縛ったロープを窓枠なんかにしっかりと固定したのでしょうね。悲鳴を封じるために、さるぐつわも噛ませていたはずです。そこまで準備が調ったら、作業開始となります。用意していた採血キットを使って、ターゲットから血液を抜き取る。通常の献血でやるように、腕の動脈に注射をして行ったのでしょう。被害者も目を覚ましたでしょうが、体を固定されたうえ、さるぐつわまで噛まされているのですから、どうにもできません。通常の献血ですと、一回で抜く血液量は四百ミリリットルですが、当然そこで終わらせるはずがありません。富良織は可能な限りの血液を抜いたことでしょう。被害者は当然、失血死します。ですが、その前に富良織にはやることがあった」
「被害者が生きているうちに体のあちこちを刺したんだな」
「そうです。血液を抜いたことを悟らせないためです。死亡後に傷を付けると、傷口から生活反応が出ませんからね。めった刺しされて殺されたように見せかけた。最初に付けたスタンガンの傷の上からも、ひと刺しして、電撃による火傷の跡を消しました。注射をした前腕部にも、それを隠蔽するための傷を入れます。最後のとどめの一撃は腹部です。腹大動脈を傷つけるとともに内臓を露出させ、川に死体を遺棄したときに、できるだけ体内に残った血液が水中に流れ出やすくするための措置です。死体に血液が残っていないのは、川に落とされたことで水中に流れ出たためだ、と思ってほしかった」
「そのまま死体を残したほうが、発見されるまでずっと時間が稼げるが、現場の血痕と死体の残留血液にあまりに差が出てしまい、犯行目的が血液そのものにあると悟られてしまうと思ったんだな。それが、富良織が目撃される危険を背負ってまで、最終的に死体を川に遺棄した目的だった」
「そういうことです。犯人の目的が血液にあったと知れたら、まず自分が疑われると踏んでいたのでしょうね。血をモチーフとした絵画しか描かない異端の画家、富良織伊作といえば、少しは名の知られた人物ですからね。おまけに、アトリエもそう遠くない場所にある」
「だが、君には通じなかったというわけだ」
「僕は、現場の状況や死体の遺棄の仕方から、もしかしたら犯人は被害者の血液が狙いだったのではないかと思いました。そこで、富良織のことが真っ先に頭に浮かんだんですよ。『まるで生き血そのものを塗りたくっているようだ』とまで評されるほど、血の描写に拘っている、鮮血の魔術師画家のことが」
「君が美術界にまで詳しいとは知らなかったよ」
「暇に任せて図書館通いをして、目についた雑誌を片っ端から読み漁っていた成果が出ました。何事にも興味を持つって、やっぱり大事ですよ」
「富良織は看護師資格も持っていた。採血作業は、お手のものだったんだろうな」
「それで警部、ヤクザの抗争のほうは沈静化しそうなんですか?」
「いや、全然だよ。聞いた話だと、理由は分からんが、虎王会の連中の動きが活発化してるらしい。だが、事件が解決したので、俺はお役ご免だ。あとは組対の連中に任せるよ」
「そうですか。それじゃあ、まだゆっくりしていけますね? 今度こそ、僕のブレンドアイスコーヒーをご馳走します。アイスコーヒーって、ただ単にコーヒーを冷やせばいいってわけじゃないんですよ。アイス用に特別に焙煎された豆というのがあって……」
嬉しそうに台所に向かう探偵の背中を、「帰る機会を逸してしまった」という表情で警部は見つめていた。
警部が再び探偵の事務所を訪れたのは、それから数日後のことだった。
ソファに腰を下ろすなり、警部は、
「えらいことになった」
「どうしたんですか?」
「また死体が出た」
「死体? 何の?」
「血を抜かれた死体だよ」
「えっ? 富良織が殺したのは、二人だけじゃなかったんですか?」
「それがな、どうも様子がおかしい。当然、富良織に尋問したんだが、やつは、自分が殺したのは二人だけだ、と言い張って譲らない」
「死体は、やはり川に遺棄されて?」
「そうだ。今回の死体は、流れへの乗り方が悪かったのか、群生する水草の中に絡まって、半ば沈んだようになっていた。それで発見が遅れたんだ」
「その死体の死亡推定時刻に、富良織のアリバイは?」
「ないな。富良織はひとり暮らしで、人付き合いもほとんどないから、アリバイを証言してくれる人間がいない。当然やつは、その時間はアトリエにいて、ひとりで作業をしていたと言っているが」
「血液は、どうですか?」
「やつのアトリエに残されていたものだな。もちろん調べた。ええとな……」と警部は手帳を広げて、「最初と二番目に見つかった二人の被害者の血液型は、A型とO型。今回発見された三人目もO型だ。で、アトリエから、A型とO型の血液が入った瓶が発見されたんだが、量が少ない」
「量が?」
「そうだ。人の血液は、だいたい体重の七から八パーセント程度あるそうだな。三人の被害者の体重を合計すると、約二百キロ。富良織の供述と検視の結果から見るに、死体からは約五パーセントの血が抜かれたと見られている。二百掛ける五パーセントは、十リットルだ。だが、アトリエには五リットル程度の血液しかなかった」
「半分しかない」
「そうだ。だが、二リットル分の行き先は分かっている」
「行き先? もしかして富良織は、すでに血液を使って絵画を描いていた?」
「いや、そうじゃない。富良織は、本物の血液を使った絵はまだ描いていなかった。アトリエにある絵を全て調べたが、通常の絵の具を使って描かれた絵ばかりだった。やつは集めた血液を売っていたんだよ」
「何ですって?」
待て、と警部は手帳のページをめくって、
「売った相手は、仁鬼塚市と、剛段輪豪。この二人に富良織は、血液を一リットルずつ売っている。二人とも駆け出しの画家で、富良織の数少ない知り合いだ」
「画家って、まさか」
「そう。この二人は“鮮血の魔術師”富良織の信奉者でな、彼らも血を題材にした作品を多く描いている。この二人それぞれのアトリエからも、血液一リットルずつを押収した」
「その二人も、買った血液を使っていなかったということですね」
「そうなんだ。そういうことだから、三人の所持していた血液を合計しても、七リットルにしかならない」
「三リットル分が行方不明……。約人間ひとり分の五パーセントの血液量に相当しますね」
「俺たちは、仁鬼塚と剛段、二人のどちらかが富良織の真似をして、自分でも直接血を求めて犯行を犯したのだと考えた。これも富良織がやったのと同じように、ヤクザの抗争に見せかけてな」
「その二人のアリバイは?」
「ない。やつらも人付き合いのないタイプの人種だ。アトリエにひとりでいたと言ってる。どちらも近くに居住している。家宅捜索も徹底して行ったが、富良織から買い取った一リットル以外に血液は出て来なかった」
「二人も犯人である可能性は低い、ということですか」
「だがな、死体の状態は、前二件とほとんど同じだ。血液はほとんどなくなっていて、カモフラージュのための多数の刺し傷。手足の拘束跡。報道には、死体の細かい状態は公開していない。同一犯か、富良織のやり方を知っている人間による模倣犯としか思えん」
「模倣犯……。仁鬼塚と剛段の家から、採血に使う道具なども出て来なかったんですか? 血液を抜き取るとなると、それなりの器具や凝固防止剤なども必要になってくるはずですが」
「そういったものも出て来なかった。血液と一緒に、どこかにうまく隠してあるのか……」
手帳を閉じて、警部は嘆息した。探偵も、深い息を吐くと、
「やっと、ヤクザ絡みの事件から解放されたと思ったら、警部も大変ですね」
「死体が出た以上、仕方がないさ。それに、組対のやつらに比べたら何てことはないよ」
「抗争は依然続いているようですね」
「ああ、両陣営からひとりずつ出た死体は、抗争とは無関係な富良織の犯行と分かったが、そんなことやつらには関係ないからな」
「三人目の死体の死亡推定日時は、いつなんですか?」
「一週間ほど前だ。ちょうど、富良織のアトリエに乗り込んだ日だな。その時点ではまだ富良織は自由の身だったから、ぎりぎりあいつに犯行は可能だと思っていたんだが。その日は前日から色々とあって、大変な一日だったよ」
「富良織のガサ入れの他にも?」
「ああ、主に組対のほうだがね。珍しく、同じ日にあちこちで小競り合いが起きたんだ」
「虎王会と竜王会の?」
「もちろん。主に虎王会の連中が、竜王会のチンピラを見つけては因縁を付けるという喧嘩騒ぎが数回起きた」
「……色々とあったのは、前日からだというお話でしたが」
「ああ。その前の日には、虎王会が奇襲を受けていたらしい。幹部クラスが狙われたという話だったが。だから、翌日の虎王会の動きは、その反撃だったんじゃないかと思われているな」
「……その奇襲を受けた幹部というのは? どうなったんですか」
「分からん。一般人の目撃が一切ない状況で起きたらしいからな。詳細は不明なんだ。そんなだから、組対も両陣営の事務所や関連会社への見張りを強化している。人の出入りはもちろん、持ち出した物品や出されたゴミに至るまで徹底マークしてるよ」
「……三人の被害者は、どちらの陣営の構成員でしたか? 順番は?」
「一人目が竜王会、二人目は虎王会、そして、三人目が竜王会だ」
それを聞くと、探偵は両手を組み合わせて額につけた。それが探偵が考え事をするときの癖だと分かっている警部は、ゆっくりと立ち上がって、
「コーヒーもらっていいか? ペットボトルのは、まだあるのかな?」
台所に足を向ける。
「警部!」
「何だ?」
冷蔵庫を開けかけた警部は、探偵の声に手を止めた。
「虎王会へ行きましょう」
「は? どうしてだ?」
「証拠を処分されてしまう前に」
「証拠って?」
「三人目の被害者を殺した証拠をですよ」
「何だって? それじゃあ」
「そうです」探偵は、夏物の薄手のジャケットをハンガーから引ったくって袖を通しながら、「三人目を殺したのは、虎王会の連中です」
警部の運転する覆面パトの助手席で、探偵は、
「虎王会の誰かが、富良織の一件目の犯行を目撃していたのでしょう」
「竜王会の構成員を襲って、血を抜くところをか?」
「ええ、少なくとも、ビルの中で行われていたことは目撃していたはずです。そのときに何も手出しをしなかったのは、敵対する竜王会の構成員が犠牲者だったから、傍観していた。もしかしたら、目撃者が下っ端だった場合、富良織の鬼気迫る犯行の様子に怖じ気づいて、被害者が誰であろうと傍観に徹しているしかなかったかもしれませんが。ですが、その話はすぐに虎王会の中で広まります。それを聞いた中に、川で発見された死体の状況と合わせて、その犯人の目的に感づいた構成員がいたんです」
「犯人、富良織の目的が血液を採取することだった、いうことに」
「ええ。犯人、富良織が、自分たちの抗争を隠れ蓑にして犯行を行っていると、そこまで推理したのかもしれませんね。ですが、だからといって、ヤクザがわざわざそんなことを警察に通報するわけがありません。ところが、二件目に虎王会の構成員が被害に遭ったことで、やつらも看過できなくなった」
「二件目の事件の直後、虎王会の動きが突然活発化したのは、それが理由か! 虎王会の連中は、事件の犯人が竜王会ではないと知っていた。謎の犯人、富良織を捜し出そうとしていたんだな」
「ええ、恐らく。ですが、そんな中、虎王会の幹部が竜王会から奇襲を受けます。竜王会のほうでは、殺人犯は虎王会の構成員だと疑っていなかったでしょうからね。余計に頭に血が上っていたのでしょう」
「さっき話した事件だな」
「そうです。目撃情報がないため詳細は知られていないのですが、恐らくその奇襲で、虎王会の幹部は重傷を負ってしまったのではないでしょうか」
「どうしてそう思うんだ」
「その翌日、虎王会が派手に動いた目的が、富良織と同じように血液の採取だったからです。虎王会は、以前目撃した富良織の犯行を思い出し、今度はこっちが富良織を利用しようと考えた。謎の採血鬼の仕業に見せかけて、竜王会の構成員から血液を採取したんです」
「……どういうことなんだ?」
「輸血ですよ」
「あっ! 重傷を負ったという幹部のために?」
「そうです。ヤクザが抗争で負った傷の手当てをするため、まさか保険証を持って普通の病院に行くなんてことありませんよね。銃創や刃物傷なんかを医者に診せたら、真っ先に通報されてしまいます」
「ああ、だから、ああいった連中は、自分たちのために闇医者というのを抱えてる」
「その闇医者のところに用意してあった、輸血用血液が足りなくなったのではないでしょうか」
「そのため、竜王会のやつらを襲って?」
「ええ。三人目の被害者の血液型はO型だったそうですね。虎王会の連中は、血液型判別キットを持って、町中に散らばったんでしょう。そして、竜王会の構成員を見つけては因縁を付けて、殴るなりして血液型を調べる。輸血可能な血液型の人物を見つけたら」
「そのまま拉致して、というわけか。そういえば、O型の血液はどの血液型にも輸血が可能なんだったな……。着いたぞ。組対の刑事がどこかで張ってるはずだ、まずは合流して――おい!」
警部が覆面パトを路肩に停めると同時に、探偵は降車して事務所の玄関に向かった。
「こんにちは」
まるでコンビニに入店でもするかのような気安さで、探偵は虎王会事務所のドアを開けて敷居を跨いだ。慌てて警部がそのあとを追う。事務所にたむろしていた構成員たちの鋭い視線が一斉に向き、同時に怒声が浴びせられる。が探偵は、視線も怒声もどこ吹く風とばかりに事務所を縦断して、奥の部屋のドアを開けた。そこには、包帯を巻かれてベッドに寝かされたひとりの男がいた。部屋の隅の屑籠には、血液がこびりついた容器が捨ててある。
「おいおい!」
「何だ! お前ら!」
「おい! どういうことだ?」
警部と構成員、さらに外で張っていた組対刑事らも駆け込み、事務所は騒然となった。
「屑籠にあった血液と被害者のものとが一致した。十分な証拠になる。本当ならばすぐに捨ててしまいたいところだったんだが、組対が人から物品からゴミから、とにかく関連施設への出入りを徹底マークしていたので、事務所に残しておくしかなかったんだな。何とか処分する方法を考えていた最中だったらしい。ついでに、組対の活動の甲斐あって、両会の抗争も下火になったそうだ」
後日、探偵の事務所を訪れた警部は事件の結果を報告した。
「それはよかったです」
探偵も上機嫌顔で聞いている。
「しかし、事務所にいきなり乗り込んでいくのは無茶だぞ。ああいった場合は、まずは組対と打ち合わせをしてだな……」
「まあ、こうして無事だったんだから、いいじゃありませんか。それよりも、今回は何だかおかしな事件でしたね」
「君といると、おかしな事件にしか遭遇しないよ」
「はは、その事件を持ってくるのは警部じゃないですか。僕がおかしいと思うのはですね、血液を採取するという行為について、看護師資格を持っていて、画家というきちんとした職業に就いている富良織が、絵の具代わりに使うなんていう不心得な目的だったのに対してですね、反社会的な存在であるヤクザが、輸血というまっとうな目的のためにそれを行ったということですよ」
「そんなに面白いものかね」
「面白いじゃないですか。あ、警部、今度こそ僕のブレンドしたアイスコーヒーをご馳走しますよ。アイスコーヒーは、やっぱり水出しに限りますね。この水出しというのがですね、時間と手間がかかる代物で……」
上機嫌のまま、探偵は台所に向かった。