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探偵流儀シリーズcase-08 最後の標的

――必ず一発で仕留める。

 そう肝に銘じながら、狙撃手スナイパーはケースから愛用のライフルを取りだした。眼下に見える群衆を見下ろす。その先には公園に仮設された野外ステージがあり、そこに立つ人物が今回のターゲツト標的だった。
 銃弾を装填したライフルを構えてスコープを覗くと、肉眼では米粒よりも小さかった標的の姿が、すぐそこにいるかのような大きさにまで拡大される。世事には疎い狙撃手でも顔を知っている海外の要人がそこにいた。彼を殺さねばならない理由を狙撃手は知らない。国際情勢に疎いからではない。仕事の依頼人から――意図して――聞いていないためだ。それは「仕事」に余計な雑念が入り込む隙を与えないための、彼のやり方だった。もし、標的を殺すことで、どこかの悪党が利に浴するようなことになると知っているのであれば、引き金トリガーを引く指が鈍る可能性がないとも限らないではないか。彼自身は自分が善人であるなどとは毛ほども思っていないが、最大公約数的な良心や、弱者に対する憐憫の情は持っているつもりだった。狙撃手などという非合法かつ暴力的な職業に就いている自分が言うことではないかもしれないが。
 彼は考え事やめ、仕事に集中した。
 標的を一発で仕留めなければならないことには理由がある。
標的である要人は国賓扱いのVIPであるため、周辺警護の万全具合も生半可なものではない。こうして絶好の狙撃場所である、このビルの屋上に潜入できただけでも大変な僥倖ぎょうこうといえる。ここに潜入できる手筈を整えることが無理であれば、依頼は断るしかないと彼は考えていたほどだ。
 話を戻すと、かように厳重な警備体制を敷かれているため、仮に初弾を外したとしても、二発目を撃つ機会は決して訪れないだろうという確信が彼にはあった。
 まず、初弾を外してしまったら、銃弾がどこかに着弾した(あるいは標的とは違う人間を撃ち抜いてしまった)時点で、要人の体は即座にSPによって覆い隠されてしまうことは確実だ。さらには、彼らほどの手練れであれば、狙撃がどこから成されたかまでを瞬時に見抜いてしまうに違いない。そうなればこのビルの屋上が狙撃位置だということは容易に知られ、周辺を警備している警察に連絡が行き、瞬く間にビルは包囲され、ここからの逃走は不可能となってしまう。
 狙撃手が仕事を遂行して自らも逃げ延びるためには、初弾で確実に標的を仕留め、即座にこの場を離れなければならない。加えて、彼の愛用する狙撃ライフルは、一発撃つごとに銃弾を込めるボルトアクション(手動装填)方式であり、次弾を装填するためには幾分か時間を要することも理由にあった。狙撃ライフルというものは、そもそも連射が出来ないのだ。
 彼の計算では、狙撃を終え、ここから逃走して安全な場所へ逃げ込むまで、三分間を必要としていた。この三分間、無駄な動きは一切できない。全ての力を逃走につぎ込まなければならない。ここまでタイトな仕事は彼自身初めてで、そして最後だった。というのも、彼はこの仕事を最後に引退することを決めていた。これまで彼は幾度も逮捕の危険に晒され、何人もの命を奪い続けてきた。危険とモラルを引き替えにする仕事の対価はそのぶん法外で、蓄えは十分できていた。極端な贅沢さえしなければ一生暮らすに困ることはないだろう。この仕事を辞めたら、もうこんなスリルを味わうことはなくなる。標的を仕留めて逃走するまでが、彼の狙撃手としての「最後の三分間」となるのだ。有終の美を飾るためにも、この狙撃、失敗は絶対に許されない。

――必ず一発で仕留める。

 狙撃手は改めて肝に銘じるとともに、スコープを覗いた。照準線レティクルである十字クロスヘアの交点に、標的の横顔を重ねる。狙撃ポイントがステージの真横に位置しているためだ。と、標的の要人は観客の歓声に応えるためか、手を挙げて演台を歩き回る。彼は心の中で舌打ちをした。確実に一発で仕留めるためには、標的が停止するのを待たねばならない。標的を追うスコープの中には、要人と、それを警護する数名のSP、さらには手を振る観客の姿が映りこんでくる。

――!

 ここしかない。今を逃したら「標的」を殺す瞬間は二度と訪れないだろう。逡巡は刹那。狙撃手は引き金を引いた――。





「犯人は、あのビルの」と、警部はステージ横、街路樹の僅かな隙間から見えるビルを指さし、「屋上から狙撃したとみて間違いないな。何者かがいた痕跡があった」
「ははあ」

 と、探偵も手をひさし庇にして額にあてて、警部の指の先を眺める。

「ところが、銃弾はそ逸れ、要人ではなく、警護に就いているSPに当たってしまったというわけだ。運悪く心臓を撃ち抜かれて即死だったそうだ」

 警部は視線をビルからステージ上、正確にはその上に貼られた人型のテープに移した。探偵もその人型を見て、

「犯人は?」
「惜しくも取り逃がした。もうちょっとだったんだ。あと十秒――いや、数秒、犯人の動きが遅ければ、路地裏に隠してあった盗難バイクに跨られる前に、その首根っこをふんづかまえられただろうな」

 警部は悔しそうに右拳で左手の平を叩いた。

「銃弾が逸れた……警部、狙撃の瞬間、要人はどこにいたんですか?」
「観客の声援に応えるためステージを歩くのを終えて、ちょうど講壇の前に立ったところだった。そこだ」

 警部が黒い講壇を指さした。探偵も目をやってから、ステージ上を滑らせるように視線を人型のテープに戻し、

「二……いや、三メートルは離れていますね」
「そうだな」
「ちょっと、外しすぎじゃありませんか?」
「どういうことだ?」
「警部、この狙撃、もしかしたら……」





「君の推理どおりだった。犯人、狙撃犯を空港で確保した」

 後日、探偵の事務所に飛び込んできた警部が興奮した口調で言った。

「それはよかったですね」

 コーヒーを淹れている途中だった探偵は、デカンターから目を離さないまま答えた。

「国外に逃亡する寸前だった。今度は間一髪、捕まえられたよ」

 警部は応接用ソファに、どかりと腰を下ろした。

「動機は何でしたか?」

 熱いコーヒーを注いだカップを二つ、トレイに載せて持ってきた探偵が訊くと、警部は、

「高校時代に自分をいじめていた同級生だったんだと。スコープを覗いて、SPの中にその顔を見つけたときは心底驚いたそうだ。被害者のSPが周囲を確認するため、かけていたサングラスを外した一瞬のことだったらしい」
「それで、犯人は急遽、標的を本来の要人から、恨みを持つ仇敵に変更したというわけですね」
「ああ。SPの個人情報なんて、まず入手不可能だからな。この期を逃したら、もう相手に復讐する機会は訪れないと思ったんだろう。君の助言どおり、被害者のSPの過去を洗って正解だった。過去の職場の関係者から、大学、高校時代の同級生まで片っ端に当たったんだ。公安がリストアップした容疑者だけを捜していたら、まんまと狙撃犯に海外逃亡を許していただろうな」
「しかし、本来の仕事を放り出してまで、かつてのいじめっ子を殺すって、余程恨みが深かったんでしょうね」
「話を聞くと、“いじめっ子”なんて軽い言葉では尽くしがたい、陰湿な目に遭わされていたらしいな。やっこさん、この仕事を最後にやくざな商売から足を洗ったらしいんだが、逮捕されたくせに実に清々しい顔をしていたよ。『やりきった』って感じのな」
「最後の仕事を棒に振ってでも、ですか。人間の情念って、ときに凄い執念と覚悟を見せますね。はい、どうぞ」
「ああ、まったく、恐れ入るよ」

 警部は、出されたコーヒーに、元の味が分からなくなるくらいにたっぷり、ミルクと砂糖を注ぎ込んだ。




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