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探偵流儀シリーズcase-13 殺人犯は戻る

 探偵と警部は、パソコンのモニターに映る映像を凝視していた。
 画面手前が川べりで、幅十メートル程度の河川敷を挟んで奥に土手、いわゆる堤防が見える。堤防の天端てんばから上に見える空は暗いが、この映像を撮影したカメラには暗視機能がついているため、夜とはいえ河川敷に生える草木、その向こうの堤防のり法めん面を覆う芝までもが――さすがに真昼のようにとはいかないが――十分視認できる。定点カメラによるその映像に動きはほとんど見られない。撮影時刻が夜であるため、散歩をする人などが映りこんでくることもなく、風もなく、映像は一見すると静止画であるかのような錯覚を受ける。

「そろそろだ」

 警部の声に探偵はさらに画面を注視した。警部は一度この映像を見ているため、画面下部に表示された映像経過時間によって、「それ」が映りこんでくるタイミングを知っていた。
 警部の言葉が終わるや否や、映像に変化が起きた。画面左からひとりの人物が入り込んできた。コートを羽織り、帽子をかぶっていることは分かるが、それ以上の情報をこの映像から得ることは不可能だった。夜間を暗視した解像度の低い映像であることに加え、カメラの位置が遠すぎるためだ。
 ともかく、画面を横切る形で歩き続けていたコートの人物は、もうあと数メートルで画面右に見切れてしまう、という段になると、突然足を止めた。一瞬だけ立ち止まり、そしてくるりと踵を返しコートの人物は、もときた道を引き返し始めた。真っすぐに歩いてきて、突如Uターンした形になる。その人物は今度は一度も立ち止まることなく、そのまま画面左、最初に自分が姿を現した画面端へと消えていった。

「どう思う?」

 警部はマウスを操作して映像を止める。見てもらいたかったのはこの場面だけということだ。うーん、と唸ってから探偵は、

「突然、引き返しましたね」
「ああ、どういう意味があるんだ?」
「犯罪者は現場に戻ると言います。それに倣ったのでは?」
「馬鹿言え、殺してから数分しか経っていない。いくら何でも早すぎる」

 画面に映ったコートの人物の素性は一切が不明だが、今しがた警部が口にしたとおり、ひとつだけ確かな(と思われる)ことがある。このコートの人物は殺人犯である可能性が極めて高い。

 事の起こりは今朝早く。
 昨日の雨は、降りやんだのが夕方を過ぎてからだったということもあり、まだ雨露が草木を濡らしたままの河川敷。そこをジョギングしていた市民から、「死体を発見した」という通報があった。駆け付けた警察は、腹部をナイフで刺されて死んでいる男性の死体を確認した。
 捜査を開始した警察は、現場から川を挟んだ対岸に監視カメラが設置されていることを知り、映像を提供してもらうよう河川管理事務所を訪れた。そのカメラに映っていたのが、今しがた警部と探偵が観た映像というわけだ。

「位置を確認したが、死体があったのは、この映像の左端から数十メートル行った先の、堤防から河川敷に降りる階段が設置された辺りだった。しかも、このコートの男――女かもしれんが――が映っていた時間は、死亡推定時刻直後だ」

 被害者の食事時間と胃の内容物の消化具合から、かなり正確な死亡推定時刻を割り出すことが出来た。

「つまり」と探偵は、「コートの人物は殺人犯で、被害者を刺したあと、河川敷を歩いて逃走しようとしたけれど、どういうわけか途中でUターンしてしまった」
「そういうことだ。死体の場所に帰ったとしか思えん。何か重要な証拠を残してしまったことに気づいたのかな?」
「死体とその周辺に、それらしい痕跡はありましたか?」
「さっぱりだ。だから何かいい知恵を借りたくて、こうして君を呼んだんだ。犯人のものと思われる遺留物も何も出てこないし、被害者はごく普通の会社員で、怨恨や金目当ての犯行にも結び付かず、容疑者はゼロだ。手掛かりと言えば、この映像に映ったコートの人物だけなんだ。なあ、こいつがどうして途中でUターンしたのか、その謎が解ければ、何か光明を見出せるとは思わんか?」
「そうは言われましても………」

 探偵は難しそうな顔をして、ため息を吐いた。そこに、

「どうぞ」

 二人分のコーヒーが差し出された。河川管理事務所の職員からだった。

「ああ、どうも」

 礼を言って探偵は熱いコーヒーを喉に流し込み、自分たちがいる事務所内を見回した。コーヒーを淹れてくれた――映像を見せてもらっているパソコンの持ち主である――若い男性職員。その隣で業務をこなしている中年の男性職員。机を挟んだ向こうには、事務所の所長が座っている。
 カップから口を離した探偵は、

「それにしても、いい映像が撮れていたものですね。もう少しカメラが左に向いていれば、殺害現場が撮影出来ていたかもしれないですね」
「ああ、いえ、それは無理です」

 そう言って顔の前で手を振った若い職員に、探偵は、

「どうしてです?」
「死体発見現場の位置を教えてもらいましたけれど、そこはちょうど川べりに樹木がはん繁も茂している場所でして、ですから、カメラを向けたとしても、木に隠れて河川敷は映らないんですよ」
「なるほど」
「まあ、でも、よく撮れていたというのは間違っていませんね」
「……どういう意味です?」
「このカメラは、普段はもっと右側を定点観測しているんです」
「――詳しく聞かせて下さい」

 カップを置いた探偵は若い職員に迫った。

「は、はい……」とけ気お圧されつつも職員は、「この撮影場所から右に百メートルも行くと、川が支川と合流していましてね。支川から運ばれてきた土砂が合流点に堆積して河積阻害――川の水が流れにくくなることです――を起こしてしまう可能性がありますので、このカメラは、それを監視するためのものなんですよ」
「それが、どうして合流点じゃなく、河川敷を映していたのです?」
「数日前、川に業者の仕業と思われる家電の大量不法投棄がありましてね、捨てた場所から考えるに、どうもこの河川敷をダンプで走ってきて捨てているらしいということが分かりました。ですので、また不法投棄が行われた際の証拠として使うために、昨日の朝からカメラの角度を変えているんです。ちょうど今は土砂が堆積する時期でもないですし」
「……」探偵はしばらく考え込んで、「それを知っているのは、当然この事務所内の人だけですね?」
「当然です。わざわざ『カメラの向きを変えました』なんて喧伝しませんし、そのことが不法投棄者の耳にでも入ったら、警戒されて今度は別の場所に投棄されてしまいかねませんからね」

 それを聞くと、探偵は事務所内をぐるりと見回して、

「あそこ、あの席には誰も座っていませんね」

 空席となっている机を指さした。

「ああ、あそこは係長の席です」
「係長は今、どちらに?」
「出張です。今日の夕方に帰ってくる予定です」

 現在時刻は午後三時だった。

「係長は、カメラの向きが変わったことを知っていましたか?」
「……所長」

 職員に呼ばれると所長は、首を左右に振った。

「所長が教えたのかもと思いましたけれど、そうじゃないみたいですね。まあ、確かに、出張先にまでわざわざ知らせるようなことじゃありませんし」
「……ありがとうございました。行きましょう、警部」
「――お、おい!」

 探偵のあとを追って、警部も事務所を出た。





「どうした。急に?」
「警部」事務所を出て少し歩くと、探偵は振り向いて、「係長を調べてみて下さい」
「どうして?」
「犯人の可能性があります」
「何を根拠に?」
「あのUターンですよ」
「あれにどういう意味があるのか、分かったのか?」
「警部は、あの川に監視カメラがあることを知っていましたか?」
「いや。今度の事件で初めて知った」
「でしょう。僕もです。普通に生活していて、川に監視カメラがあるなんて知る機会はないし、そんなものがあると意識もしませんよね」
「ああ」
「犯人は被害者を刺し殺し、逃走する途中で、このまま歩いていけば河川の監視カメラに映ってしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と気づいたのでは?」
「だから、突然Uターンした?」
「はい。つまり、あのコートの人物は、河川監視カメラの存在を知っていた」
「だ、だが、それだけでは……。それに、カメラを避けるためなら堤防を乗り越えてしまえばいい。わざわざ来た道を引き返す必要はない」
「昨夜は雨があがったばかりで、河川敷は濡れていました。当然、堤防も。雨を含んだ法面は非常に滑りやすく危険です」
「あっ! 死体のそばには堤防を上り下りするための階段があった!」
「はい。話を戻しますが、カメラの存在を思い出した犯人ですが、結局はその警戒したはずのカメラに撮影されてしまっています。どうしてでしょう」
「……カメラの向きが変わっていることを知らなかったから!」
「監視カメラの存在を知っていた、しかし、そのカメラの向きが変わっていることを知らなかった人物」
「出張中の係長……」
「足取りを調べてみれば、すでに昨日の夜の時点でこちらに帰ってきていたことが分かるかもしれません。出張中であることがアリバイになるとでも考えたのでは」
「映像を解析してコートの種類を特定すれば、同じものを持っているかも分かるな」
「確たる証拠があるわけではありませんが、今回はその辺りから調べてみるしかないのでは?」





 探偵の推理は的中していた。
 警察から容疑の目を向けられたことを恐れ、犯行時に着用していたコートを密かに処分しようとした現場を係長は押さえられた。コートからは被害者の血痕が検出された。
 被害者は、ふとした偶然から係長が薬物に手を出している証拠を握り、幾度となく恐喝を繰り返していたという。出張の予定を一日繰り上げて帰ることができ、しかもそれが誰にも知られることなく可能であったため、完全なアリバイを手に出来ることを天啓と取った係長は、憎き恐喝犯を葬り去る計画を立てた。河川の地理に詳しい係長は、目撃者が絶対に出ることのない河川敷に恐喝者を呼び出し、犯行に及んだのだった。




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