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探偵流儀シリーズcase-20 推しは尊い THE 正義

「数日前に発生した殺人事件のことなんだが」

 事務所を訪れるなり警部は口を開くと、そのまま応接セットのソファに腰を落とした。

「夜の公園で撲殺体が見つかった事件ですね」と応じて探偵は、「通りかかった女性が第一発見者だとしか報道されていませんが」
「そうだ。ぶっちゃければ、その第一発見者の女性が最有力容疑者なんだ」
「捜査の鉄則ということですか」
「“第一発見者を疑え”と、まあ、それもあるんだが、実際、その女性は被害者と面識があったんだ」
「どういう関係です? 被害者は男性だと報じられていましたから、恋人同士?」
「違うな。なあ、姫野愛結ひめのあゆ、って知ってるか?」

 探偵は少しの間、視線を上に向けてから、「……さあ」と首を横に振った。

「だろうな」と警部は意外そうな顔も見せず、「君が知ってたら、俺がぶったまげてたところだ」
「何者です? その姫野さんというのは?」
「声優だ」
「セイユウ?」
「ああ、スーパーのほうじゃないぞ。人気アイドル声優らしい。熱狂的なファンが何人もついてるくらいの。被害者というのは、その姫野愛結のマネージャーだったんだ」
「ほほう」
「事件の概要は、こうだ……」

 レギュラー出演しているアニメの収録が長引いたことで、姫野愛結はいつもよりも遅い時刻に帰路に就くことになった。彼女は公園を通り抜けて帰ることにした。夜の公園はひと人け気がなく不気味なため、普段であれば、多少遠回りとなるが明るい大通りを利用しているのだが、翌日の朝に取材が入っていたため、少しでも早く帰りたい一心で公園をショートカットすることにしたのだという。
 公園の中ほどに差し掛かったあたりで、姫野は物音を耳にした。人間二人が揉み合うような音と声が、生け垣の向こうから聞こえる。その声の一方は姫野に聞き憶えのある声だった。自分のマネージャーの古尾ふるお
 揉み合いの音は、何か硬いものがぶつかるような音と、その直後に聞こえた悲鳴をもって途絶した。そして、遠ざかっていく足音。
 姫野は、恐る恐る生け垣に分け入った。そこには確かにマネージャーの古尾がいたが、彼の姿を見た姫野は夜の公園に悲鳴を轟かせることとなった。古尾は頭から血を流し、芝生の上に仰臥ぎょうがしていたためだった。
 姫野の119番通報で駆けつけた救急隊員によって、古尾の死は確認された。

「死体のすぐそばに落ちていた血の付いた石――傷口との照合で凶器と断定されている――からは姫野の指紋が検出された。彼女の言い分では、薄暗い中に何かが落ちており、思わず拾い上げたんだが、血の付いた石だと分かって驚いてすぐに投げ捨ててしまったんだと」
「今、警部が話した状況は、すべて姫野さんの供述に拠るものなわけですね」
「そういうことだ。何せ、他に目撃者はいないし、名乗り出てきてもいないんだからな」
「つまり、第一発見者である姫野さんが嘘をついている可能性もある、と」

 警部は頷くと、

「非常線も張ったが、その公園は一歩外に出れば大勢の人が行き交う大通りだ。姫野の証言どおりに現場から走り去った犯人がいたのだとしても、とっくに逃げ切ったあとだっただろう」

 ため息を吐いてカップを口に運んだ。探偵も自分のコーヒーをひと口すすってから、

「二人の関係は、声優とマネージャーというものだけだったのですか?」
「そこは重要なところだからな、俺たちも入念に調べた。が、いわゆる男女の関係というのはなかったようだな」
「あくまで仕事上のみの付き合いだったと」
「ああ、だがな、動機が考えられないわけじゃない」
「何ですか?」
「死んだ古尾も昔は声優として活躍していたんだ。だが、酒で喉をつぶしてしまったことが原因で、裏方の仕事に回るようになったそうだ。そんな経歴なものだから、マネージャーとはいえ現役の声優に対しても容赦なく厳しいことで有名だったらしいな。彼が担当した声優の中には、嫌になって辞めていったものもいたそうだ」
「姫野さんも、その口だった?」
「声優仲間や事務所の人間にこぼしていたこともあるらしいな。だが、それも愚痴の域を出てはいなかったらしく、周囲の目からは、姫野自身も古尾の厳しさには納得して付き合っているところがあったそうだ。実際、古尾はマネージャーとしての傍ら、自分の経験を生かして演技指導などのアドバイスも行うことが多く、厳しい人だったけれど、古尾と接することで成長させてもらった、と証言する声優も大勢いることは確かだ。実際、古尾が見込んで育てた声優は、ことごとく事務所の看板として活躍しているそうだ」
「なるほど」
「ああ、だから、古尾の厳しさを恨んで、という動機も推測の域を出ないんだな」
「姫野さんの他に容疑者は浮かんでいないんですか?」
「芳しくないな。彼が過去に担当した声優たちは皆、『厳しくされたが、今は感謝している』と判で押したように証言しているし、厳しさに耐えかねて辞めた声優たちも、今は別の事務所で活躍しているとか、引退して家庭を持っているとか、それぞれ特段のトラブルもなく生活しているな。アリバイが確かな人間がほとんどでもあるし」
「そうですか。まあ、どんなに辛い目に遭ったことでも、過去となってしまえば懐かしく思えてしまうというのが人のさがというものですからね」
「珍しく情緒的なことを言うな。確かに、古尾のことを訊くと、誰もが述懐するように話してくれたな」
「それらの証言の中に、何か変わったものはありませんでしたか?」
「そうだな……、ああ、古尾の“演技指導“には、独特のものがあったそうでな、声優に対して、実際に演じるシチュエーションを体験させるんだとか」
「どういうことです?」
「俺が聞いたのでは、戦士役をやる声優に対して、竹刀を持ち込んで実際にチャンバラをしながら台詞の練習をさせるとか、ロボットのパイロット役の声優に、遊園地の絶叫マシンに乗せて台詞を喋らせるとか、あったらしい」
「それで演技が上手くなるんですか?」
「“リアリティ”が古尾の演技哲学だったそうだ。実写の俳優は、作中の状況に限りなく近い立場で演技が出来るが、アニメではそうはいかない。登場人物は描かれた絵だし、アニメというのは怪物だとかロボットだとかが出てくるファンタジックな内容のものがほとんどで、一から十までが虚構の産物といっていい。それに、俺も詳しくは知らないんだが、アニメのアテレコの場合、そもそも、ろくに絵も完成していない状態で声を入れるなんてことも日常茶飯事だそうじゃないか。そんな虚構だけで構築された世界において、声優というのは唯一生身の存在といえるのだから、そこにリアリティがなければ全てが嘘で終わってしまう、というんだな」
「まあ、一理あるように思いますね」
「話が脱線したが、という状況なんだ。姫野を犯人とするには、起訴に持ち込むだけの材料が足りないし、彼女の証言を信じるにしても犯人の手がかりすらない。君の力を借りたい」
「うーん……ちょっと、今回ばかりは」
「やっぱり、事件が漠然としすぎてるよな」

 警部が諦めたように項垂れたところに、

「……と、言いたいところですが、警部」
「――何だ?」

 生き返ったように警部が顔を上げると、探偵は、

「発見された古尾さんなんですけれど、服装が普段と違っていた、ということはありませんか?」
「おいおい、どうして分かった?」警部は目を見開いて、「そうだ、姫野が証言している。声を聞いてはいたが、実際に倒れているのが古尾だとは一瞬わからなかったそうだ。というのも、普段の古尾は常にスーツを着用しているんだが、そのときは黒いジャージ姿だったからだと」
「さらに、帽子やサングラス、マスクといった、顔を隠すものも所持していませんでしたか?」
「探偵から超能力者に転向したのか? 君は。そうだ、死体のそばに黒いニット帽とサングラス、マスクが落ちていた」
「帽子とサングラスは殴られた衝撃で取れ、マスクは呼吸が苦しくなった古尾さんが瀕死の中、力を振り絞って外したのでしょうね」
「それで、犯人は?」
「警部、今回の僕の考えは、推理というよりは推測の域を出ませんし、これは一種の賭けです。それでもよければ、僕の船に乗りますか?」
「捜査は八方塞がりなんだ。泥船だろうがタイタニック号だろうが、喜んで飛び乗ってやる」
「では、マスコミに、こう発表して下さい。……“姫野愛結を殺人の容疑で逮捕に踏み切るつもりだ”と」

 後日、再び警部が探偵を訪れた。

「犯人が出頭してきた」
「そうですか」
「ああ、君の睨んだとおりだった。犯人は姫野愛結のファンで、動機も君の推理どおりだ」
「あくまで推測でした」
「どっちでもいい。『姫野愛結を狙っている怪しい男がいたので飛びかかり、揉み合いになって近くに落ちていた石で殴って逃走した』そうだ。犯人は手袋をしていたので指紋が残らなかったんだな。夜の公園を散歩していたところ、偶然に大ファンである姫野愛結を見かけたんだが、照れから思わず生け垣に隠れてしまい、そこで姫野をじっと見ている怪しい男――古尾――を見かけて、彼女を守ろうと飛びかかったんだと。しかし、どうして犯人は出頭する気になったんだ?」
「それはもう、“自分が名乗り出なければ、姫野愛結が殺人犯にされてしまう”と、そう思ったら出頭せずにはいられなかったんでしょう」
「そんなものかね」
「そんなものですよ。自分が逃げ切るよりも“推し”を守る、ずいぶんと尊い行動じゃありませんか」
「まあ、このまま罪の意識に苛まれ続けて暮らすよりも、このほうがずっと良かったろうな」
「僕もそう思います。で、警部、もうひとつのほうは?」
「ああ、それも君の推理どおりだ。姫野愛結はレギュラー出演しているアニメで、近々、“強盗に襲われる”というシーンを演じる予定だったそうだ。で、それについて納得のいく“リアリティ”のある演技が出来ない、と周囲に漏らしていたらしい。そのことが古尾の耳に入ったんだろうな」




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