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O&J

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アイネクライネナハトムジーク

 今日もオーヒラ探偵事務所には依頼人が一人も来ない。
 僕はコンロの一つに鉄製のフライパンを載せ、弱い火を掛ける。
 鉄製のフライパンの中には乾燥した小さめのトウモロコシの粒が沢山入っていて、フライパンを火に近づけたり火から遠ざけたりする度に、一粒ずつ花のように開いていくのが面白い。

 パンパンと音を立てて、五粒目のトウモロコシが花になった時、後ろのテーブルで椅子に腰をかけてるオーヒラが「うーん」と伸びをする声が聞こえた。

「ポップコーンはもう出来そうか?」

 オーヒラが涙声で言って、僕は、

「そうだね。後五分ってところかな?」

 と答えた。

 僕、こと、ジェス=マーティンは、オーヒラ探偵事務所唯一の探偵、つまり、経営者である大平真おおひらまことの助手であり、二年前の二十歳にこの国に渡ってきた頃、道端で手描きのポストカードを売っているところをオーヒラにスカウトされたのである。
 スカウトの理由は知らない。
 オーヒラが手に持っていた新聞紙を四つにたたんだら、電話のベルが鳴った。

「誰だろう?」
「オレが出る」

 オーヒラが椅子を立って、部屋の隅のミニテーブルに置いてある古い電話の受話器を取った。

「もしもし」

 それからオーヒラの表情が変わって、相手が依頼人である事がすぐに分かった。

「分かりました。すぐに向かいます」

「事件なの?」

 オーヒラが受話器を乱暴気味に置いて、僕はいつもの質問をした。
 オーヒラはこちらを振り返って、低い声で、

「殺人事件だ」

 と言った。

 事件現場は、アガサ家という屋敷だった。
 その長女の誕生日パーティーで、その長女が突然、死亡したという事だった。
 オーヒラが長女の父親に話を聞いている。僕は、その横で、被疑者である長女の取り巻き男性陣を一人ずつ観察した。
 人数は五人。
 一人目は、向かって一番左に立っている。金髪のマッシュルームカットの男性。長女の夫らしい。
 ヘラヘラと笑っている。
 二人目は。その一人右隣の男性。この屋敷のパティシエだそうだ。
 ビクビクと脅えている様子。
 三人目。黒髪の男性。ハンサムで女性に好まれそうな雰囲気。
 長女の幼馴染みらしい。泣いているのかもしれない。
 四人目。無邪気そうな男の子。
 なにやら、不思議な表情をしている。
 五人目、背の高い細い青年。
 芸術家っぽいかなあ。表情は読めない。

「お話は了解致しました」

 オーヒラが長女の父親にそう言って、皆がオーヒラを見た。

 オーヒラは背が高い。黒のスーツを着た男だ。少し光沢のあるスーツに、フリルのついた白のシャツブラウス。黒いリボンタイが彼のトレードマークだ。
 僕は、普段着の上にコートを着ているだけだ。

「警察沙汰にはしたくない。だから、あんた達に頼んだんだ。ちゃんと解決してくれるんだろうね?」
「大丈夫です。きっと、解決してみせます」

 長女の父親にそう答えたオーヒラに、僕は目で、「大丈夫?」と聞いてみた。
 オーヒラは、明後日を向いて、僕は、「これは怪しい事になったなあ」とひっそりとため息を吐いた。

「死亡女性の死因は不明。顔色から見ておそらく毒によるものだと思われます。それがどこから摂取されたか? 死亡当時の状況をお話頂けませんか?」

 オーヒラの言葉に、パティシエが怖ず怖ずと右手を上げた。
 逡巡した様子で、ぽつりぽつりと話し始める。

「ええと、彼女のご主人がお作りになったクッキーを召し上がったすぐ後に、苦しそうにテーブルに伏せられて、そのまま……」
「ほう、では、そのクッキーが疑わしいですね」
「はい……」

 パティシエは、恐ろしそうに、長女の夫を横目で見た。
 夫は不気味な笑顔を見せて、何を思っているのか。

「僕」

 横から、無邪気そうだった男の子が泣きそうな表情で入ってきた。

「僕、その前にハンドクリームをプレゼントしたんです。彼女、そのクリームを手に塗って……もしかして、僕が犯人とかじゃないですよね? それなら、自首しようかしらん!」
「本当ですか。ちょっとそのハンドクリームを見せて下さい」
「はい。これです」

 男の子からハンドクリームを受け取ったオーヒラは、裏の成分一覧を真剣な目で見つめた。

「ふうん。確かに、毒素のある成分が含まれていますね。しかし、このハンドクリーム一本丸ごと飲みでもしない限り、致死量には届かないんじゃないかなあ?」
「本当に!」

 オーヒラは、「失礼します」と言って、ハンドクリームの蓋を開けた。
 もちろん、両手には手袋をしている。
 チューブの穴からクリームを少しだけ出して、匂いを嗅ぐ。

「うん。大丈夫そうだ。でも、一応、預かっておきます」
「はい。大丈夫かなあ」

 オーヒラはそのハンドクリームを自分のコートと一緒に僕に預けた。
 ハンドクリームのチューブには、花のイラストと、『Thank you!』の文字が悲しく踊っている。
 
「テーブルを拝見すると、二種類のクッキーがありますね。どちらを召し上ったのでしょうか?」
「こちらです。中心にドライチェリーのついた絞り型の方です」

 また、パティシエが恐ろしそうに、右の銀のトレーを指し示した。
 まだ、六枚、同じ様なクッキーが残っている。

「このクッキーを作られたのは貴方ですね? 奥様は一枚目で……?」
「へへ。そうだよ。彼女、欲張りだからねえ」
 夫が言った。

「どういう意味ですか?」
「さあ。ふふ」

 夫は、ずっと笑っていたが、一瞬、普通の表情になって、

「もっと欲張りだったら、死なずにすんだのかもな」

 とつぶやいた。
 オーヒラはそれには答えず、左の銀のトレーを見た。

「チョコレートとバニラのクッキーです。この方と私が一緒に作りました」

 パティシエはそう言って、黒髪の幼馴染みと紹介された男性を見た。
 黒髪の男性はハッと顔を上げ、オーヒラ、それから、僕を見た。
 そうして、そっぽを向いて、「そうです」と答えた。

「このクッキーは、召し上がったのですか?」

 チョコレートとバニラで出来た格子柄のクッキーは七枚残っている。

「召し上がれていません。ご主人が先に食べるよう仰ったのですが、奥様はドライチェリーが好きだからと言って……」

 後日。

 オーヒラ探偵事務所の食堂でくつろぐ僕達の元に、夕刊が届いた。
 オーヒラがその夕刊を拾い上げ、一面を見つめた。

「何か事件ある?」
「いや、特には」

 オーヒラがその新聞を持って、テーブルの自分の椅子に座った。
 三面の社会面を開く。

 かさかさという新聞紙をめくる独特の音がして、オーヒラの表情が曇った。
 
「『アガサ家の惨事! 婿養子の嫉妬は大きい方に』か……」
「ああ、あの事件、載っちゃったんだ」

 結局、あれは、幼馴染みと不倫をした妻を夫が毒殺したという結末だった。
 夫は、一番大きなドライチェリーに猛毒を仕込み、それを一番最初に食べた妻が死亡したというものであった。

 夫は事前に、浮気相手の妻の幼馴染みに、毒を仕込む事を伝えていた。
 幼馴染みはそれを聞いて頷いたそうだ。

「で。幼馴染みのクッキーには解毒剤が入っていたの?」
「調べてみたが、幼馴染みの作った方のクッキーにはどれも薬のような物は仕込まれていなかった。ただ……」
「ただ……何?」
「夫のクッキーの一番小さなドライチェリーには解毒剤が仕込まれていた」
「それは」

 オーヒラは、新聞紙を四つにたたんで、テーブルのミルクティーのカップに左手を伸ばした。
 その時、音楽家志望の青年が歌った、自作詞の『アイネクライネナハトムジーク』が空しく脳裏に浮かんだ。

 ――本当に、私を愛していたのは誰?――

END




L

 一月末。気温マイナス一度。小雪が舞っている。

 僕は田舎町の道端で手描きポストカードを売っていた。
 片方の肩から斜めがけにした布バッグ、それも手作り、肩掛けベルトも四角い袋もネズミ色、の中から無地のハガキに自分で水彩画を描いたポストカードを二枚取り出し手に持っていた。
 舗装されていない道は二手に分かれていてその根っこで一人ダッフルコートに身を包み、寂しく人が通るのを待っていた。
 バッグに入っているポストカードは十五枚だ。
 この数日掛かりきりで描き上げた物。これらが三枚は売れないと今日の夕飯は抜きになってしまう。
 二年前に生まれ故郷からこの国に渡って来て、今は、親戚の伯母さん夫婦の家に厄介になっている。
 いわゆる居候の身というやつで、食費以外はほとんどお世話になっているけれどやはり肩身が狭いんだ。
 僕は少しの間しゃがみこんで、自分の両手を見た。
 両手には手袋をしているけれど、やはり寒さでかじかんでいるようだ。
 二枚のポストカードを右手に持って、左手を握ったり開いたりしてみた。茶色い五本指の手袋の中で僕の手はぎしぎしと音を立てるようにゆっくりと動いた。
 
 しゃがみこんでいる僕の頭上に気配があった。
 慌てて顔を上げると、僕よりずっと背の高い黒いスーツを着た男の人が立っていた。
 その男の人は黒いスーツの上にベージュのトレンチコートを着ていて、顔は白黒時代の映画俳優みたいだった。

「いくらですか?」
「え?」

 僕は、まだ商売の説明もしていない事に驚いて、思わずポカンとしてしまった。
 彼は面倒くさそうに僕の顔をちらっと見た後、今度は、僕が手に持っているポストカードに目を落とした。

「それ、売り物でしょう? バッグの中にも入っているのですか?」
「えっと、ええと、十五枚……あります」
「全部買います」
「え?」

 男性はイライラというか、どういう気持ちか分からない表情と声を出して、コートの内ポケットから黒い革財布を出した。
 長方形のそれを開いて、三日くらい余裕で御馳走が食べられそうな金額の紙幣を一枚くれた。

 相変わらずポカンとしていると、やはり黒い長財布から一枚の白い厚紙らしきものを取り出した。
 その手の平サイズの厚紙を受け取ると、そこには、

『オーヒラ探偵事務所 大平 真』

 と書かれていた。

「君の姿を一昨日から見ていた。僕の助手になってほしい」

 それが、僕とオーヒラの出会いだった。

 一年後の一月。室温八度。暖房は電気ストーブのみ。
 僕はキッチンでお湯を沸かしていた。コンロの横には透明のティーポットと揃いのカップ、ソーサー、それから、買いたてほやほやのお気に入りの紅茶缶が載っている。
 紅茶はオーヒラの好きなアッサムとセイロンのブレンドで、彼がずっと買っている店の一番人気だ。
 赤いケトルの水が沸騰して、あらかじめ茶葉を入れておいたティーポットにそれを注いだ。
 熱い湯の中で紅茶の葉っぱがユラユラと舞って、徐々に、紅い色が透明の中へと拡がっていった。

「オーヒラ! 紅茶!」

 僕が彼の寝室の方へと声を掛けると、ガチャリ、とドアーの開く音が聞こえて、パジャマとロングガウン姿のオーヒラが現れた。
 白い綿生地に水色ストライプの上下揃いのパジャマ、黄色に黄緑色の縁取りの絹ロングガウンは彼のユニフォームだ。

 彼は不機嫌そうに食堂入り口側の自分の椅子に腰を掛けた。
 低血圧な彼は紅茶を飲むまで一言も口を利かない。利いたとしても、超無愛想なのでもう話し掛けるのもやめてしまった。

 静かに、淹れ終わった紅茶をオーヒラの前に置いた。
 彼は黙って、それを一口飲む。
 じっと、その様子を見守っていると、不意に話し出した。

「ジェス。この問題が解けるか?」
「何?」

 オーヒラは腕組みをして、自分の椅子の背もたれにもたれ掛かった。
 それから、少し斜め上を両目で見て、それから、ポツリポツリと話し始めた。

「人形がある。頭には『B』、体には『H』、さて、両脚には何と書いてある……?」

 僕は自分の椅子に座りながら、「うーん」と言った。

「『L』かなあ。いや……」
「『P』という考えは無いか?」

 オーヒラは真剣な瞳で僕の顔を見た。

「『P』ねえ……『P』って何の意味?」
「『Power』だ!」
「あ、そういう意味なんだ」
「『B』は『Brain』、『H』は『Heart』……なら、『P』は『Power』で良くないか?」

 僕は自分で淹れた紅茶にスティックシュガーを一本入れた。
 それをティースプーンでかき回してから、二口飲んだ。紅茶は甘くって、僕の頭脳をフル稼働させるのに十分な栄養をくれた。

「『Body』、『Head』……なら『Lie』だね!」

 僕がそう言うと、オーヒラはホッとしたような顔をした。

「でも、やっぱり、本当は『Love』の『L』と言いたいね。照れくさいけどさあ」

 そう答えて笑うと、複雑そうな表情をした。 

「実は、今年の『探偵D連盟』の新年パーティーの問題だったんだ。来年はお前も連れて行くよ。お陰で……」
「お陰で……何?」

 ニヤニヤしつつ顔を近づけると、オーヒラは顔を赤くして、新聞紙を間に挟んでしまった。

〈了〉

水色のプレゼント箱

 豪華なシャンデリアの掛かった、丸くせり上がった天井。その天井は放射状に金の区切りが入っており、白く輝いている。パール素材で出来ていると思われるそこには天上の姿が描かれている。
 天使を見上げていると、オーヒラが、僕にジュースを持ってきてくれた。

「ジェス、これでいいか?」
「うん、ありがとう」

 オーヒラからレモンスカッシュの入った細長いグラスを受け取る。
 オーヒラはアップルジュースの入った自分のグラスを胸元に引き寄せた。それから、僕が見上げていた天井画の天使を見上げた。

「キューピッド……」
「うん?」
「知っているか、ジェス。媒介者には二通りいる。利益になる存在と、不利益になる存在だ」
「うーん。どういう意味? 意味は分かるけれど……」

 ここは、『探偵D同盟』の夏季パーティー会場だ。
 市内の一等地。古い歴史のある博物館の大広間で催されている。

 僕達がこの会場に到着したのは、開始時刻、午前九時の二十分前。
 コートと大きい荷物を受付で預けて、会場の大広間の入り口側、四角い銀色のテーブルクロスの掛かった丸テーブルの真ん中一番手前に立っている。

『それでは、皆様! 夏季の「探偵D同盟」パーティーを開始したいと思います!』

 大広間の人たち全員が、会場奥の小さい舞台に表れた司会者らしい人物を見た。
 床には花柄模様の絨毯が敷き詰められ、その小さい舞台だけは、大理石で出来ている。

 オーヒラこと大平真が、異国のこの地で探偵業を始めて二年になるらしい。
 生まれ故郷で探偵社のアルバイトをしていて、こちらに移ってからライセンスを取って、開業したらしい。

 僕より四歳年上。今は二十五歳。

 僕はそのオーヒラに拾われて、『オーヒラ探偵事務所』で助手として働き始めてから、一年以上になる。二十一歳。
 今回のパーティーは、僕は初の参加で、なかなかに緊張している。
 パーティーの途中。
 自由時間に先程のテーブルでゆっくりしていると、不審な男性が一人近寄って来た。
 グリーンとグレーのチェック柄のキャスケット帽を被ったその男性は、僕達の前まで来ると、胡散臭げな笑顔を見せた。
 そうして、右手を身体の前に出し、慇懃に礼をした。

「初めまして。私はラットと申します。探偵兼新聞記者。オーヒラ様は初めてではなかったですね。この方は?」
「僕は……」
「オレの助手だ。今日は何の用だ」
「いえね。ここに来る方にはご挨拶するのが私の主義でして。だから、この方にもと思いまして!」
 そう言って、ラットと名乗った男はヒヒヒと笑った。
「こちらは用がない。何かあれば呼んでやる」

 男は、舌打ちをして会場の向こうへと行ってしまった。

「やれやれ。またラット君ですか……。何かおかしな事を言われませんでした」
 振り向くと、司会進行の赤い蝶ネクタイさんが立っていた。えと、ゴルドンさんだっけ。

 ゴルドンさんはニコニコと、紺色のスーツの両腕を背中で組んで、僕達を見ている。

「オーヒラさん、この方、マーティンさんね、お仕事ぶりはいかがですか」

 僕は、目の前で自分の事を聞かれた事に少々面食らった。

「大丈夫です。よくやってくれています」
「それはそれは……。では」

 オーヒラはその背中を何とも言えない瞳で見送った。

「それでは、本日のゲーム! 『プレゼント箱の推理』大会を始めまーす」

 司会進行のゴルドンさんがそう叫んで、舞台後ろのパイプ椅子に座っていた連盟長が、舞台の中央でゴルドンさんからマイクを譲り受けた。

「えー、マイクのテスト。なんちゃって。あー、御紹介に与りました『探偵D連盟』連盟長のパンジルムです。皆様、毎回の御参加、まことにありがとうございます」

 出席者の何名かが、歓声を上げた。
 パンジルムさんは最初に連盟長の挨拶をされて、マイクを持たれるのは今日二回目だった。
 パンジルムさんが、後ろのパイプ椅子の女性に合図をされた。その女性が膝の上に載せていた大きいプレゼント箱を持って、パンジルムさんの元へ歩いて来られた。

「ありがとう。妻で助手のコスモスーニです。皆様、惜しみ無い拍手を!」

 会場から拍手が湧いた。

「さて、ルールは簡単。このプレゼント箱がどなたからどなたへの贈り物で、何が入っているか? それを推理して答えて頂きます」

「へえ、面白そうだね、オーヒラ」

 僕が小声でオーヒラに囁くと、オーヒラは嫌な予感がした時の顔をした。

「それでは……誰に答えてもらおうかな……そうですね! 新人助手君のマーティンさん。それから、事務所長のオーヒラさん」
「え? 僕!」
「御二人、壇上にお願いします」

「いいぞー!!」
「よっ、ご両人!」

 しぶしぶ、大理石の舞台へ上がった僕達は、連盟長さんからプレゼント箱を受け取った。
 まずはオーヒラが受け取り、次に僕が受け取って、じっくりと見させてもらった。

 プレゼント箱の形は立方体。水色の包み紙にピンクのレースのリボンが十字に結ばれている。リボンは華のような形で両先は出ていない。

 連盟長をチラッと見ると、腕組みをして、ウインクをされた。

「どうするー、オーヒラ」
「自分で考えろ。お前が主役なんだから」
「えー……」

「そうですね……プレゼントを買ったのは、女性かな。包み紙が水色だから男性、そうだ、弟君へのプレゼント……です」
「しかし、ティファニーの箱も水色ですよ」
 会場に笑い声が湧いた。
「えっと、え、じゃあ……男性同士かな? 友の証にメッセージ入りのオルゴールです」

「オーケー。もういいでしょう。ありがとう」
 司会者さんが出てきて、
「オーヒラ探偵事務所のマーティンさんでしたー!」
 と、僕達を舞台の下へと急かした。

 その後、パーティーはお開きとなり、オーヒラと僕は帰りの列を待っていた。
 すると、休憩時間のラット氏が現れた。

「マーティンさん、結構なお点前で。いやー、お見事でした」
「なんですか、嫌みですか」

「ジェス、お前、オレにオルゴールなんてくれた事ないなあ。あの発想はどこから来た」
「もう、オーヒラまで嫌み言うの? 勘弁してよ。恥ずかしいよ」

 すると、ラット氏はキャスケット帽を脱いで、

「これは、お見逸れしました。わたくしめに御用の時はこちらまで」
 そう言って、名刺を僕達にくれた。

 そこには手書きで、

『情報が欲しけりゃ! ラット探偵所へ!』

 と書かれていた。

~終~

思い出

 黄色い毛糸のふわふわ髪。白人の男の子。
 それが、ジェス=マーティンを見つけた最初の感想だった。

 その人形は、僕の部屋の白いラック、その一番上の段に置かれていた。
 瞳は青いボタンで、口はピンク色の刺繍のにっこりだった。

 前の土地に引っ越した時、どこへ行ってしまったのか、見当たらなくなった。
 もしかしたら、母が捨ててしまったのかもしれない。
 ここには、あまり良い思い出がない……。

 母が父と離婚したのは、僕が二歳の時だった。
 この土地の父と、あの土地出身の母は、喧嘩ばかりしていた。

 一緒に故郷に戻った母は、隣家の男と再婚をした。

 雪が降る中、あの人形がポストカードを売っていた……。
 時折、寒そうに茶色の手袋をはめた両手を擦り合わせていた。

 僕は、そんな彼の様子を近くの売店の中から眺めていた。
 小さな売店の中は外よりは寒くなく、暖房は効いていないが、震える程ではなかった。

 店の中に置いてあるポストカードを見下ろすと、彼の事が急に気になった。
(やれやれ)
 その日は声を掛けようかと思い、やはり、止めた。
 次の日も、なぜか、あの売店に行ってしまった。

 あの人形は肩からネズミ色のバッグを掛けて、自分のポストカードを見下ろしていた。
 二時間も見ていて、客は一人だった。

 その客と話している人形君を見ていると、妙な気持ちが湧いた。
 それがどういう感情なのか、自分でも解った。

 そんな自分に驚いた……。

 三日目。
 ついに、僕は、小さな売店を出た。
 彼がしゃがみ込んでいるので、すぐ近くまで行った。

「いくらですか?」

 そう言うと、ぽかんとした。
 腹が立つやら、恥ずかしいやらで、財布から適当な札を一枚出して、渡した……。

-了-

医者の娘

 お母さんとその娘さんが、僕とオーヒラの前に座っている。
 接客用のテーブル、オーク製のアンティークの物だ、が目の前にある。

 テーブルの上には、もう冷めてしまった紅茶、僕が淹れた、が四つ、滑稽(こっけい)に並んでいる。

「つまり、娘さんを全寮制の中学校に入れたい。そう仰るのですね」

 オーヒラがこらえられなくなった声で口を挟んだ。

 ずっと話し続けていた母親が、ピタリと止まった。
 まるで、全身で「邪魔をするな!」と言っている空気だ。

 オーヒラをジロリと睨(にら)んで、僕の淹れた紅茶を一口飲んだ。
 冷めた紅茶は彼女の口には合わなかったらしい。不機嫌そうに眉をしかめて、音を立ててソーサーに置いた。

 味が悪かったんじゃなければいいけれど……。

 娘さん方は、来てからほとんど口を利かない。
 何を考えているのか、うつむいて、横ばかり見ている。 

「この子は頭が良いのです。頭だけですけれどね。器量は悪いし、背も小さい。結婚するためには一流の学校に通わせなければならないのです。……聞いておられます!」

「まあ……」

 オーヒラが毒を吐きそうだったので、僕は慌てて、横から口を出した。

「お母さん。お二人で来られた事ですし、娘さんのご意見も……」

「うるさいですわね! 助手の方は黙ってて下さい! 大体だいたいね、こんな、三流探偵事務所にうかがっている此方こちらにもなって下さいよ。それもこれも、世間体と、主人しゅじんの稼ぎが悪いせいです。貴方あなた、やる気があるんですか? 無いのなら、こんな探偵事務所の代わりはいくらでも有るんですからね!」
 後半はオーヒラに向けられた言葉だ。
 僕はテーブルの下で両手を握り締めた。オーヒラは何を考えているのか分からない……。

 その夜。

 オーヒラは、『探偵D連盟』の連盟長であるパンジルムさんの探偵社に電話を掛けた。
 あの後、結局……。あの母娘は、オーヒラに依頼する事を決め、捨て台詞を残して去って行った。
『もし成功されなかったら、報酬は何もお支払しませんから』
 それが、最後の台詞だった。

 オーヒラにしては珍しい……。他の人に頼るなんて……。
 僕は少し、ヤキモチをやいた。

「『とにかく、学力を上げて差し上げたまえ!』との御言葉だった。どう思う。ジェス?」

 パンジルムさんへの電話後のお茶。
 紅茶とクッキーを食べながら、オーヒラの話を聞いた。

「うん。マナーとかはお母さんがバッチリそうだし……それで良いんじゃない……?」
「マナーねえ」

 オーヒラは、何か言いたそうに、食堂の自分の椅子にもたれ掛かった。
 何が言いたいのかは、考えなくても分かるけれど。

「でもさ。他に事情が有るのかな? 娘さんの『結婚』とかさ」
「さあ。ただの『見栄張り』だろ?」

「僕には何かある気がするんだけれど……」
「…………」

 オーヒラはそれ以上何も言わず、ベッドに行ってしまった。

 自分のベッドの中で、一人で色々と考えた。
 母親が娘を嫁がせたい理由……。名誉、安心感、お金……何だろう、この違和感。

 その夜、よく眠れなかった。

 翌日から、オーヒラの娘さんに対する、スパルタ学習が始まった。
 午前中に例の母娘の家に電話を入れると、正午過ぎに二人で来た。

 娘さんは不満そうも無く、熱心に、勉強に取り組む事となった。
 オーヒラが用意した参考書を一所懸命に見詰めている。

「円の面積を求める公式は?」
 オーヒラがそう質問をすると、難しい顔をして、
「『コウシキ』って?」
 と、はっきりと聞いた。

「πr二乗」
「『パイ』って?」

 これは、もしかして……。

「パイアールさんのジジョウってナニ?」
 オーヒラは力を無くした様に、オークのアンティークテーブルに両手をついて項垂(うなだ)れた。

 こんな彼の姿を見たのは初めてだ……。

「だからね、お嬢さん」
 オーヒラが健気に説明を続けている。
 僕は、ジェスチャーで、お母さんを食堂に呼び出した。

 お母さんは恥ずかしそうに、オーヒラの席でうつ向いている。
 僕はフルーツジュースをグラスに入れて、彼女と自分の方に置いた。

「娘さんの成績は……」
「お恥ずかしい! 本当は、あの子、成績がとても悪いのです。でも、気立ては悪くなくって……」

「そうですか……。良い子みたいですね」
「失礼ですが、学校はどちらを……?」
「僕は……生まれ故郷の公立高校を卒業しました」
「あの方は……?」

「彼は、出身国で大学を卒業したそうです。法律の方だったみたいですけれど」
「そうなんですか。昨日さくじつは大変失礼致しました!」

 そう言って、頭を下げられた。
 僕は、そんな彼女に安心した。それで、話を聞いてみる事にした。

貴女あなたは、将来、何になりたかったのですか?」
「はぁ。将来と言いましても、もう昔になりますが。アイドルスターなのです。本当に、お恥ずかしい限りですわ」
「いえ。そんな風に思いません」
「でも、主人は医者で……頭が悪い女は嫌いなのです」

 そこで、彼女は、続きを話すべきか悩む目をした。
 それから、少しずつ、話し始めた。

「私は市の大学を出て、主人と出会いました。そして、結婚後、主人が開業医を始めまして、貧乏ながら幸せに暮らしていたのです」

 僕は頷いた。

「しかし、娘が小学校に入ってしばらくすると、医者の妻の方々と成績合戦になりまして……私……負けたくなかったんです!」

 そこまで言って、ハンカチーフで目をおおった。

「あの、僕、まだ二十三歳でよく分からないのですが。娘さんはどう仰っているんですか?」
「娘は……どちらでもいいみたいです。何も言ってくれません……」
「そうですか。娘さんの所に戻りましょう」

「あー! オーヒラさん、ズルイ!」
「ふん。僕の勝ちだよ。お嬢ちゃん」

「何やってんの……オーヒラ」
「まあ! 人生ゲーム。懐かしい!」

「ママ! オーヒラのおじちゃんが、子供八人も作っちゃたんだよお!」
「おじちゃんと呼ぶな! 少なくとも、まだ、二十代だぞ……」

 オーヒラと娘さんは、なぜか、『人生ゲーム』をしていた。
 オーヒラが、ピンク色の車とオレンジ色の車に、子供をたくさん乗せていた。
 娘さんは、水色の車に、夫婦と男の子を一人乗せていた。

「ママー。私も、こんな風に、お医者さんのお母さんになれるかなぁ?」
 娘さんが、そう聞く。
 お母さんは、ハッとした表情をした。

「そうね。アナタなら、なれるわ……」

 一週間後。
 あのお母さんから手紙が届いた。

『探偵様と助手様へ。

 あれから、主人と私と娘、三人で、よく話し合いました……。

 主人が初めて、娘の教育の事を親身に聞いてくれました。
 娘は自分も医者になりたいと言いました。

 そんな話を聞くのも初めてでした!
 まさか、娘がそんな事を考えていたなんて……。

 今は、学校にはこだわらず、医者を目指して、勉強をしようという話になりました。

 正直、不安ですが……(笑)。

 お礼の小切手を同封致します。
 心許りですが、お受け取りくださいませ。

 今回は、本当にありがとうございました!!
 一層のご活躍をお祈りして……。

 困った母娘、より。』

終わり








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