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露(あらわ)

目次

第一話 トリックルーム

 ミステリー小説が好きだった。
 そこは『論理』が勝つ世界。
 住所不定のフリーターでも、
 万年閑古鳥の探偵でも、
 肩書きのない部外者でも、
 ひとたび推理を語り、犯人をピタリと言い当てれば、名探偵となる。
 誰もが話を聞いてくれる。
 正論を、正義を、頷いてくれる。
 そこは『論理』が正しい世界。

「やぁ。『正義The Justice』。久しぶりだね」
 鉄扉を開き地下への階段を下る。
 ここは現実の世界から隔絶した無法の店。
 現実に起きた殺人事件を出題し、参加者はその推理に金を賭ける。
 ミステリー小説好きが行き着くのはつまるところ、警察よりも犯罪者側に回るという皮肉な話だ。人殺しはエンターテイメントである。その側面があることも否定はしない。しかし俺にとっての『人殺し』とは、名前の通り『正義』である。
 生きていても仕方の無い奴がはびこっている。
 死んでも仕方が無い奴が生きのさばっている。
 俺は『正義』の名の下に殺人を犯す。俺自身が正しいと言うつもりは無いが、俺の殺人はまさしく『正義』のために行なっている。エンターテイメントなんて二の次だ。動機はどうあれ、捕まるわけにはいかない。この店のルールをうまく使って『執行』している。

「息災そうだね、『正義』」
 栗色の長髪、けだるげな目、細身の女性のような身体。
 参加者の中でもトップクラスの推理力を誇る探偵サイド。解答プレイヤー『怠惰』がそこに座っていた。先客。いや、ただの外敵、だ。
「…………」
「って無視かよ」
 俺は『怠惰』を無視して、にやにやと終始にやけ笑いを浮かべている店主こと『最強The Strongest』にUSBメモリを提出する。
 USBメモリを手渡した手で前金を受け取った。
「『正義』からの出題は久々だね。どう? スッキリした?」
「俺自身のストレス解消で殺しているわけじゃねぇ。〝正義〟を執行したまでだ」
 『怠惰The Sabotage』は獲物を狩る肉食獣のような目で、弱者を捕食する野獣のように舌なめずりをして、俺の手から渡ったばかりの『極上の謎』を羨ましそうに見つめた。
「ふうん。『最強』、その問題、もちろん解かせてもらえるよね?」
「あぁ、前回の『いちご・マフラー・密室』の時みたいに、テーマがあるんだ。今回のテーマは『みかん・暗号・鉛筆』だ」
「相変わらずヒントになるのかならないのか分からないテーマだなぁ。暗号ってのが珍しいね。ダイイングメッセージなら分かるけれど」

「今回の出題の『暗号』はダイイングメッセージだ。それを解けば犯人は分かるだろうよ」俺は吐き捨てるように言った。
「なるほどねぇ。さくっと読ませてよ、『最強』」
「ちょっと待ってな。今印刷するから」
 数分後、数十枚の、ホッチキスで留められた冊子が配られる。

「じゃ、出題者を前にして」

『怠惰』は両手を合わせて祈るポーズを取った。
 その祈りは誰を対象にしているのだろうか。被害者の命に捧げているのだとしたら、願い下げだ。
 死者を弔う必要は無い。
 罪人には死を。
 咎人には罰を。

 神などいない。祈るくらいなら行動するのみ。
 俺は犯罪者だ。『正義』のためなら『間違い』を犯す。

 奴は地獄に堕とした。
 この俺が。確実に。

「極上の謎、いただきます」

「正義の名の下に。せいぜい謎に溺れてろ」
 そう俺は吐き捨てた。


第二話 問題編①『Stand out.―頭角をあらわす―』

「はっ、はっ、ふうー」
 家の前に積もった雪を私はソリで掻き出した。
 黄山きやま レモン。中学三年生。
 冬休みの間だけ、叔父である成川なりかわ 八朔はっさくが経営しているスキー場の近くにあるコテージ『俺ん家』に手伝いに来ている。
 冬休みの間は学校がない分、母の彼氏に会う機会が増えて、家に居づらかった。私にとって冬休みの間だけのこのバイトが家から離れる口実としてはちょうど良かった。その理由について、叔父には詳しくは話していなかった。ちょっとしたお小遣い欲しさに来ているということにしていたから。家のことはなるべく考えたくなかった。この話をしたとして、叔父から気を遣われることもいやだった。何も考えたくなかった。雪をソリで掻き出しているとき、何かに熱中している時が一番気が楽だった。
 今年も雪はこんもりと積もって、コテージの駐車場に車を停めるのを邪魔していた。そのための雪かきだ。重たいシャベルは叔父に任せて、私はそれをソリに移して融雪ヒーターの穴に放り込む係だ。
 雪かきは一人でやるよりも二人でやる方がずっと楽だ。中学生でも私一人が手伝ってくれるだけでとてもありがたいと叔父は言う。食事の配膳、部屋の掃除、いつも家でやってることでお小遣いがもらえるのだから、私の方こそ叔父には感謝してもしきれない。

 でも。
 あのことが無ければもっといいのに。

「おお! レモンちゃん、大きくなったね。もう高校生?」
 立花たちばな だいだいさん。毎年この時期になるとこのコテージに宿泊する登山部の大学院生。体つきがとても大きい。ゲームに出てくる「やまおとこ」みたいな。登山するには体力が必要なんだって。手も大きいから、きっとシャベルなんて片手で持って、雪かきなんてあっという間に終わらせちゃうんだなぁって思った。もこもこのジャケットを着ていると、まるで映画に出てくる雪男みたい。
「橙おじさん、あけましておめでとうございます。まだ中学生です。あと3ヶ月だけ、ですけど」
「へぇ~、初めて会ったときはあんなに小さかったのにね」
「橙おじさんはずっと大きいよね」
「ふっふっふ。確かに見た目は変わらないかもしれないけれど、この4年間で筋肉ムキムキになったんだぞ~」
「うそだ~、だって、お腹ぶよぶよだもん」
 おなかをつねるとたっぷりお肉があった。
「お腹は……、ね!」
「ね! じゃないじゃん。ふふっ」
 雪男じゃなくて、雪だるまみたいだなって思った。
「オ~、ムキムキ、ミカンですかぁ。私も皮むきなら得意デスよ~」
 その声は片言の日本語だった。聞き覚えがある。
 色の薄い金髪で身長の高い、フランス人のダリンさんだ。目鼻立ちが整っていて、映画に出てくる俳優さんみたい。
「ダリンさんも来てたんですね。遠路はるばるごくろうさまです」
「日本の野鳥は美しいですからネ~、一瞬たりとも欠かすことは出来ません。オールシーズン、観察するのが仕事ですから」
 カルフォルニアに留学した後、野鳥研究の仕事をしているらしい。2年前からこのコテージに来ていた。私はよく知らないけれど、この辺りは珍しい野鳥が見えるんだって。前に写真を見せてもらったことがあった。
「ダリンさん、いらっしゃい。今年もあの部屋、ご用意してますからね」
「お~~~!!! ロテンブロ~~!! 楽しみデ~~~ス!!」
 くるくると回るダリンさん。雪で滑って転んでしまった。とても痛そう。ダリンさん、体が大きくて、重そうだから。
「イタタ……。危険が危ないデース……」
 近くに居た私が手を差し伸べると、大きい手で捕まれてぐっと引き寄せられた。のっぽのダリンさんの体重なんて、とてもじゃないけれど私一人じゃ起こせない。それなのにどうして私は手なんか差し出したのか。
 できないくせに手を差し出してしまうんだ。
 いつも。それでいつも私は馬鹿を見る。

「ありがとう、レモン。優しいね」
 私はすぐに手を離した。立ち上がる前だったダリンさんはまた転びそうになった。
 橙おじさんがダリンさんの身体ごと支えた。
「おおお、ありがとうございマ~ス! 橙さ~ん!」
「そんな高そうな、滑りやすそうな靴で来るからですよダリンさん。こんな雪山でオシャレしたって仕方ないでしょう」
「いいえ! 雪山でオシャレしたっていいのよ、レモンちゃん」
 私以外の女性の声がした。
「わぁ、清美姉さん、あけましておめでとうございます!」
 オシャレなスキーウェアを着こなしてモコモコとしているのは不知火しらぬい 清美きよみさんだ。大学生だけど、近くのスキー場でこの時期だけインストラクターをされている。
「この宿がスキー場に一番近くて、安いのよね」
 実はここよりも近いホテルがあることは知っている。それでも清美さんは私に会いにここに来てくれる。清美さんがいてくれるだけで私はとても嬉しかった。
「清美さんも来てたんだね。全然変わらないなぁ!」
「橙さんはほんと、雪だるまみたいにお腹大きいわね。そうだ、レモンちゃん、もう今日は遅いから、明日、雪だるまを一緒に作らない? うんとかわいいの作っちゃいましょ!」
「はい!」
「雪だるま作るとか、もうかわいいなぁ。じゃあ橙おじさんはレモンちゃんにかまくら作ってあげようか?」
「おじさんが入れるかまくらじゃあ、雪が足りないよ!」
「それより、横で座って見ててくれればいいわ。あなたに雪をかぶせて橙雪だるまを作ってあげるから!」
 橙おじさんは首をぶんぶん振って、両手で自分を抱きしめながら笑って言った。
「清美さんならやりかねないなぁ。くわばらくらばら。凍死しちゃうよ」
 八朔叔父さんはシャベルを母屋に置いてこちらにやってきた。
「ほら、レモンのおかげで雪かきはバッチリだ。さ、寒かっただろう。先にお風呂に入っておいで」
「う、うん!」
 叔父さんは宿泊客さんたちの対応があるからと、私を先に行かせてくれた。今コテージの露天風呂は準備中。準備中の間だけ、私たちスタッフが使うことが出来る。
 コテージ『俺ん家』はこたつの上のミカンをモチーフにしている。近くの雪山をこたつ、その上にちょこんと乗ったミカンのような宿。寒さに凍える人を癒やしてあげる場所にしたい、と八朔叔父さんは言っていた。
 なんだそれ。と思ったけれど、ここのコテージは気に入っている。至る所にミカンのデザインがあって、住み込んでいてかわいくて好きなのだった。
 ミカンの形をした桶。ミカンの香りがするシャンプーも好きだった。もちろん、あまりこういう香りが好きじゃない人用の無香料のシャンプーも置いてある。
 頭に付いたシャンプーの泡を洗い流して、タイルの床に残った泡もキレイに流した。桶をキレイに磨いて、逆さにして置いた。
 たった今沸いたばかりのお風呂に片足ずつ足を入れた。冷えた足の先が中までじんわりと熱くなっていくのを感じた。肩まで浸かって、一息をつく。シャワーだけじゃここまであったかくはなれない。湯船はやっぱり気持ちが良い。今日一日の疲れが洗い流されたようだ。
「っとと。いけない、時間が」
 お客様たちも身体が冷え切っているはずだから、私が長湯することで大浴場の開放時間が延びてしまう。最後にお風呂場の清掃をしてから、タオルで身体を拭いて、急いで髪を乾かした。鏡を見ると頬はほんのりと赤らんでいた。
 身体から湯気が出て、鏡を曇らせる。冷たい水で絞ってタオルで拭いた。乾いたタオルでもう一回拭くと曇りは消えた。

 こんな風に簡単に、曇りが消えれば良いのに。

 身体の芯まで温まった。あとはお客様の夕ご飯の準備と片付けの手伝いをしたら、自由時間だ。清美姉さんのお部屋に遊びに行こうかな。
 大浴場の扉を閉めて、『準備中』の札を裏返して『開放中』にした。
 よし、夕ご飯の準備をしに厨房に行かないと。
 入り口の下駄箱に置いておいたスリッパを取り出すためにしゃがんで、すぐに立ち上がった。
 
「お疲れ様、レモン。あったまったかい?」
 背後に立っていたダリンさんが私の髪に鼻を近づけて匂いをかいだ。

 背中に寒気が走った。今すぐ叫びだしたかったが、声が出ない。
「急いでいるので」
 声をなんとか絞り出して私は厨房に駆け込んだ。その時にダリンさんがどんな顔をしているのか、考えたくもなかった。
「レモンちゃん、いつもありがとうね。お風呂、今日もばっちり気持ちよかったでしょ?」
 びくっとして声がした方を向いた。八朔おじさんだった。
 私がお風呂の準備をしている間、八朔おじさんは一人で夕ご飯の準備をしていた。鍋の火加減を見ながら食材を切り分けていた。顔をこちらに向けてないけれど、おじさんの優しさが伝わってくる。
 夕ご飯の美味しそうな匂いも手伝って、緊張が少しだけ和らいだ。
「え、あ。はい。とっても」
「よーし、じゃあもう一踏ん張り、お願いするね、レモンちゃん!」
 首元にまとわりつくような気持ち悪さがまだ完全には拭い去ることはできなかったけれど、今はただ目の前の仕事に集中しようと思った。
「……はい!!」
 私は配膳の準備をすることにした。食器洗い機に入っているお皿をテーブルに並べた。


第三話 問題編②『Names and natures do often agree.―名は体をあらわす―』

 ダリンさんと初めて会ったのは私が中学一年生の時だった。
 その時はこのコテージに来た宿泊客の一人だった。
 母が頻繁に家に彼氏を呼ぶようになって、あの男といる時間が長くなってきて、私は家に帰るのが嫌になっていた。
 友達にも、先生にも、もちろん母にも話すことが出来ないこのもやもやを抱えて、私は息苦しい気持ちでいっぱいだった。
 橙おじさんも、清美さんも毎年泊まりに来ていたけれど、二人とも母と話したことがあった。このことを相談したら、優しい二人のことだ、母に話してしまうかもしれない。だから、叔父と同様やっぱり打ち明けることが出来ないでいた。
 そんな時、ダリンさんが話しかけてくれたのだ。
「ヘイ、ガール。何かナヤミゴトでもありましたか?」
「あ、その」
「ボクのことは気にしないでください。ただの怪しい外国人ですから」
 わざとらしくおじぎをしてみせた。とっても怪しい。
「ナヤミゴトは誰かに話せば少しはラクになりますよ。お名前は?」
「レモン、です」
「レモン。私ニホン語少し下手です、話しても理解してあげられないカモ? それでも良ければ話してください」
 ダリンさんが母に会うことは無いだろうし、話しても理解できないのなら、この後誰かに聞かれてしまう心配も無い。
 ただ相づちを打ってくれるだけでもよかった。誰かに聞いて欲しかった。私がどれだけ母のことを好きだって事を。母の幸せを願っているということを。
 今は母と彼氏さんとの二人の空間にとてもいづらく、母を避けてしまっていた。そのことがとても悲しかった。とても辛かった。
 本当はそばにいたいのに。
 私の気持ちがそれを邪魔していた。
 何を話したのか、事細かには覚えていなかった。
 それでも、ダリンさんは優しい顔で「うん」「うん」と頷いてくれた。勝手に涙が出てきて、背中をさすってくれた。
「辛かったね、レモン」
 その言葉で、私がどれだけ救われたか。それだけははっきりと覚えていた。


◆◆◆

 
 朝が来た。目覚ましのアラームを止めて、顔を洗いに洗面所に行く。
 朝ご飯の支度を手伝って、ご飯はみんなで一緒に食べる。
 みんなはそれぞれ出かけていった。
 橙おじさんは登山に。
 清美姉さんはスキー場に。
 ダリンさんは野鳥を観察に。
 叔父さんは山のふもとのスーパーに食料品の買い出しに出かけていった。
 コテージには私一人きりだった。
 私は部屋の掃除、洗濯、調理器具の洗い物を午前中に済ませて、こたちで冬休みの宿題をしていた。鉛筆を削って漢字をただひたすらずっと書くだけの宿題。何の意味があるのだろう。
 私の中学校はシャープペンシルは禁止だった。そっちの方がずっと勉強がしやすいのに。鉛筆だって尖っていると刺さって危ないし。何の意味があるのだろう。
 〝何の意味があるのだろう。そう考えることが大事なんだ〟って、母の彼氏、アイツは言っていた。私にはわからない。
 こたつの上にはミカンがいくつか置いてある。
 ここだけの話、今日ここに来ているみんなの名前にはミカンの名前が入っているのだとか。
 八朔叔父さんは『ハッサク』。『ハッサク』は手のひらより少し大きい、黄色いミカン。
 橙おじさんは『ダイダイ』。『ダイダイ』はみかんと何が違うのかよくわからないけれど、鏡餅の上に乗っているのは〝ダイダイ〟なんだとか。温州みかんよりも少し小さい。
 清美姉さんは『きよみ』。温州みかんよりも少し大きくて、タネが入っているけれど、ジューシーで美味しいんだって。
 ダリンさんも、『カラマンダリン』っていうオレンジがあるらしいんだけど、夏の果物なんだって。この季節には食べられないそう。
 私の名前は『レモン』だから、ミカンではないけれど、柑橘類って仲間ではあるよね。

 こたつの上にはみんなの名前が入った3つの果物が置いてある。
 『ハッサク』、『ダイダイ』、『きよみ』、の3つ。
 私は冬休みの宿題から手を離して、ミカンを積み上げて遊んでいた。
 一つ目は〝ハッサク〟。一番大きいから、土台にするのに十分だ。
 二つ目は〝きよみ〟。ハッサクよりも小さいけれど、温州みかんよりも大きいから積みやすい。
 三つ目は〝ダイダイ〟。一番小さいから、これを一つ目か二つ目に乗せるのは無理だと思う。
 三つ目まではなんとか積み上がるけれど、4つめにキッチンにあった〝レモン〟を乗せたらバランスを崩して転がり落ちてしまった。
 レモンの形はみかんと違って丸みが強くて、固いから積み重ねるのには向いていないみたい。
 こたつのテーブルの上には残った2つのミカンが、まるで雪だるまのように残った。
「レモンちゃーーーん!」
 清美さんの声が聞こえた。居間の窓から駐車場の方をみると、清美さんが手を振っていた。私は急いで玄関から外に出る。
「清美さん! 早いですね!!」
「体調不良の人が出て、スキー教室早めに切り上げちゃった。まだ体力有り余ってるから、一緒に雪だるま作ろう!」
「あ、はい!!」
 鉛筆とミカンの雪だるまを置いて、私はダウンと手袋を持って駐車場に向かった。

 橙おじさんがかまくらを作る用に置いてあった大量の雪を、清美さんは半分以上取っていき、土台となる大きな雪玉を作った。
 私は今朝がた降っていた新雪を使って、柔らかい頭の雪玉を作って、土台の上にのせた。
 あとは目や口、手などを枝や石ころで作ったら完成だ。力が必要なところはもう終わったので、腰を伸ばして一息つくことにした。
 昨日の雪かきの雪は昨夜の寒さで少し凍っていて、グローブで形を整えるのが大変だった。
 私はかさばるグローブを脱いで、雪だるまの顔の部分を作る、良い感じの石ころを探すことにした。
 地面を見ながら歩いていると、見覚えのあるブーツが目に入った。
 ダリンさんの靴だ。
 外国のブランドの靴で、橙おじさんと同じくらいの大きさだけれどよりシュッとしていて、高そうな靴。
 見上げると、ダリンさんの笑顔があった。
「おかえりなさい、ダリンさん」
「ただいま、レモン。スノーマンを作っているんデスネー」
 ダリンさんは、私と清美さんと作った、まだ顔もお腹のボタンも付いていない二段重ねの雪玉を見て言った。
「おー、あともうひとふんばりで完成デスネー。雪を集めるの手伝いましょうか? かわいいスノーマンになりそうデスネ。レモンちゃんには負けますが」
「もう、ダリンってば、レモンちゃんも口説いてるのー? 私は?」
 ダリンさんはもじもじとあさっての方向を見て、恥ずかしそうに言った。
「レディー、……その、鼻水出てます」
「ダリン! そういうことはもっと早く言って!!」
 清美さんは急いでコテージに入ると、そのままお風呂に入ることにすると言って、雪だるま作りの続きは明日にすることにした。

 今日は何事も無かった。昨日の夜のこと。ダリンさんを警戒してしまっていたけれど、今日清美さんと話していた時のダリンさんはいつものダリンさんだった。
 私の気のせいだったんだ。
 ダリンさんが私を見る目が、母の彼氏のアイツが私を見る目に似ていた。そのことがとても気持ちが悪かった。
 気のせいだ。そう思うことにしようと思った。
 清美さんが入った後の大浴場に入る。
 今年の女性のお客さんは清美さんだけで、女湯は私と清美さんの2人しか使わないから、大浴場はいつでも使っていいよって叔父さんが言ってくれた。心のもやもやを洗い流すために私は熱い湯船に身を委ねた。


◆◆◆


 レモンがシャワーを浴びている。
 大浴場の壁に反響して、聞こえるか聞こえないかくらいの鼻歌がぼんやりと聞こえた。
 かわいいね。
 私は口笛を吹く。
「冬は女性を美しくする。寒さの中で暖かく。白さの中に艶やかに」
 日本に住み始めて16年。
 日本語を下手な振りをしていた。その方が色々と都合が良い。
 理解できない、と思われていれば、本音を聞くことが出来る。わからない振りをしていれば、堂々と喋ってくれる。本音を知ることが出来れば、立ち回りがしやすい。人間は野鳥よりも愚かだ。

「Tueres mi media naranja.」

 スペインのことわざだ。姉の旦那がスペイン人で、姉によく口にしていた。このコテージにとても良く合う言葉だ。
 このコテージにいる皆には、この言葉を話しても理解されないだろう。紛れもない本音だ。本音は理解されない方が良い。自分が理解していればいい。まるで暗号だ。知っている者のみが伝わる。言葉が違えど、真意が噛み合っていれば十分だ。

「ぴったりと合うはずだよ、レモン」
 シャワーの水が流れる音を、扉越しに聞いていた。


第四話 問題編③『Reveal horse legs.―馬脚をあらわす―』

 橙は大浴場から上がり、台所の冷蔵庫にある牛乳瓶を取り出した。
 腰に手を当ててぐびぐびといっきに飲み干す。
 あぁ、牛乳は美味しい。
 若いときはコーヒー牛乳を我慢して飲んでいた。
『風呂上がりはコーヒー牛乳』という風潮があった。コーヒーが苦手な俺は無理して飲んでいた。
 ある日、牛乳を飲んでみたら世界が変わった。どうして俺は無理して苦くて甘いものを飲んでいたんだ。こんなに美味しいものは他にない。風呂上がりは牛乳だ。
 台所に行くために廊下を歩いていたら、レモンちゃんとすれ違った。

「レモンちゃん」

 話しかけたが、レモンちゃんは返事もせずに通り過ぎていった。
 何やら、思い詰めたような顔をしていたような。
 ほかほかと赤く火照っていた。風呂上がりだろうか。オレンジのシャンプーの香りがしたから。
 風呂上がりだというのに、どうしてあんなに険しい顔をしているんだ。牛乳をごちそうしてやりたくなった。俺はレモンちゃんの後を追うことにした。
 えぇと、レモンちゃんはどっちにいったのかな。
 部屋の方じゃ無かったし、居間かな。
 レモンちゃんはいつもこたつで宿題をやっている。
 1人の部屋でやるよりも、捗るんだとか。
 宿題をやるだけでも偉いよ。俺はいっつも友達の宿題を書き写させてもらってばかりだったから。
 俺は台所にある牛乳をひと瓶持って行った。隣に置いてある貯金箱に牛乳二つ分の料金を入れた。

 居間を覗くと、レモンちゃんがいた。
 レモンちゃんとダリンが二人きりでこたつに入っていた。

「…………」

 俺は、空気がとても張り詰めていたのが気になって、牛乳瓶を持ったまま、居間の入り口に立ち尽くした。


◆◆◆


 私は居間のこたつに入り、ノートと鉛筆を持ってきて宿題をしていた。
 こたつの隣にはダリンさんが座っている。
 ダリンさんは私のふとももに左手を置いている。こたつ布団に隠れて、暖かいこたつの中で、私はダリンさんの手のひらを感じていた。
 気持ちが悪い。
 気持ちが悪い。
 気持ちが悪い。
 それでも私は逃げられない。気持ち悪がってはいけない。
 ダリンさんはきっと、私のことを元気づけてくれようとしているんだ。宿題を見守ってくれているんだ。悩む私を支えようと思ってくれているんだ。そうに決まっている。

 だって、
 私は、
 まだ子供だから。

「こたつ、とても好きです」
ダリンさんが、私の耳に顔を近づけてささやく。

「レモンの身体を、温められるから」

「お、こたついいねぇ。俺も入らせてくれよ」

 突然橙おじさんが居間に入ってきた。
 私のふとももにあったダリンさんの手のひらの感触が消えた。
 そのことが私の中にあった〝気のせいだ〟という言い訳を乱暴にかき消した。
 ダリンさんは、橙おじさんに知られたくなかったんじゃ無いかって。私を触っていたのを。私に近づいていたのを。
 そのことがとても気持ち悪く感じた。
 こたつの中にいるのにとても寒い。

 薄ら寒い、凍えるほどの殺意。
 母の彼氏に感じたような、最大級の侮蔑。

 ダリンの真意が露わになったのを感じて、恐怖よりも殺意がまさった。


◆◆◆


「自分の部屋で冬休みの宿題の続きやるから」

 レモンは逃げるようにこたつから出た。
 こたつの上にはノートも鉛筆も置きっぱなしだ。それでもレモンは居間を飛び出して背中を向けた。

「こんなところでも勉強とは、レモンちゃんすごいや。お兄さんにも手伝えることがあったらいつでも言ってくれよ!」

 レモンの背中に声を掛ける。

「うん、ありがとう。橙おじさん」

 レモンは顔だけ振り向いて返事をした。

「おじさん、か。まぁ、そうだよな」

 片手に持っていた牛乳は手持ち無沙汰になった。
 まぁ、もう一本飲んでしまうか。俺の身体は大きいから、2本飲んだって平気だ。うん。

 俺は、こたつに1人残っていたダリンに話しかけた。

「ダリン」
「なんデスか?」
「気付かれないと思ってんのか?」

 こいつはレモンにつきまとっている。それは俺も、清美だって気付いていた。いくらイケメンでも、怪しい外国人に変わりは無い。
 レモンちゃんの表情。こいつとレモンちゃんを近づけるのは危ない。それがさっきの数分で気付いた。八朔さんにも伝えよう。
 こいつがここにいられるのも、今日までだ。

「レモンちゃんはかわいい、かわいい、女の子ですよ。それだけです」
「俺がいつ〝レモンちゃん〟のことを話した?」
「…………」
「これ以上レモンちゃんに近づくな。くそ野郎」

 ダリンと目が合った。奴の目はひどく暗い色をしていた。
 不思議なことに、さっき一瞬だけ目が合ったレモンの目と同じ色をしていた。


◆◆◆


 さほど悪天候というほどでもなかったが、雪山の近くはそれなりに交通の便が悪い。スタッドレスタイヤを装備して、現場にたどり着いたのは事件があった翌日の夕方だった。

 コテージ『俺ん家』で殺人事件が起きたという。
 警始庁捜査一課の刑事、ヒゲミヤは部下のコバヤカワと現場に到着した。
 鑑識が撮影した現場写真には、こたつに入ったままテーブルにうつぶせに倒れた外国人の写真、テーブルに置かれたノート、みかんの拡大写真などがあった。

「殺されたのはダリン、宿泊客か。背中をひと突き。少し生きながらえていたみたいだな。こたつのテーブルにダイイングメッセージもある」

 テーブル上のノートには『Snowman’s head』と書かれていた。

「『Snowman’s head』? 英語ですね」
 
「『雪だるまの頭』? ねぇ」

 ノートは事件関係者のレモンという中学生がテーブルに置き忘れたものだったらしい。彼女が書いた字ではないそうだ。
 どうやら、被害者が鉛筆で書いたものらしい。
 その鉛筆は、少し状況が変わっていた。鉛筆はミカンに〝突き刺さって〟いたからだ。

 この部屋には果物が4つ転がっていた。
 『ハッサク』、『きよみ』、『ダイダイ』、『レモン』の4つ。
 『レモン』以外はミカンの品種だ。ぱっと見違いは大して無いようなものだ。大きさが少し違うくらいで。

 こたつの上には『ハッサク』の上に『ダイダイ』が乗っていた。まるで雪だるまのように二段重ねになっている。
 『レモン』はそのすぐ後ろに転がっていた。
 『きよみ』には鉛筆が突き刺さっていて、こたつの下に転がっていた。『きよみ』は掴んだように形が変形していた。
 鉛筆が突き刺さっているといっても、削られた部分が刺さっているのではなく、削られていない、持ち手の部分が刺さっている。不思議な形だ。鉛筆自体は5センチ程度で、3センチ程度が『きよみ』に刺さっていて、2センチ程度が『きよみ』から飛び出ている。

「どうしてみかんに鉛筆が刺さっているんでしょうか?」
「被害者が死の間際、字を書くために鉛筆を掴んだが、短すぎて掴めなかったんだろう。みかんに一度突き刺して、みかんを鉛筆の持ち手にすることでグリップ力を強くしてを掴みやすくしたんだ。『きよみ』のミカンは掴んだような形に変形しているし、被害者の指紋が検出されているらしいしな」

「まぁ、被害者の指紋って言ったら、果物4つ全部に付いてますけどね」
「…………」

 ヒゲミヤは自分に都合が悪いことはスルーすることと決めている。
 自分の推理に集中することにした。

「『Snowman’s head』、『雪だるまの頭』という意味なら、答えは簡単だ。テーブルの上に積み重なったミカンの雪だるま。その頭は『ダイダイ』、つまり犯人は立花 橙だ!!」

「こたつの上に乗っているみかんを『雪だるま』に見立てていたってことですか! 『見立て殺人』かつ『ダイイングメッセージ』なんて、これはすごい事件ッスね!!」

「ダイイングメッセージを解いた俺は、輪を掛けてさらにすごい刑事って事だ! さぁ、後は証拠集めだ。立花 橙が怪しい外国人であるダリンを殺す動機があったのか調べに行くぞ!」

「ハイッス!!」


問題編   完
推理編 に続く


第五話 推理編 『Tu, eres mi media naranja.―あなたは片割れのオレンジだ―』

 問題を読み終えて、一息ついた。
 全部で三編。タイトルと各エピソード。その章題には全て『あらわ』という単語が隠されている。
 これは何を意味するのか。
正義The Justice』のことだ。特に意味は無いのかもしれない。

「どう? 『怠惰The Sabotage』、『正義』の作った問題は」
 店主はにやにやと笑いかけた。
 僕は素直に感想を話した。
「『みかん』、『暗号』、『鉛筆』。一見バラバラなキーワードも、きちんと含まれた良い問題だ。『Snowman’s head』ね。ダイイングメッセージが『英語』ってのも、珍しいんじゃないか?」
 要所要所、『正義』の伝えたいテーマがチラホラするけれど、僕にとってはあまり興味のあることでは無い。割愛だ。

 さて、今回のミステリーにおけるテーマは『暗号』。

 暗号は一見すると意味がわからないが、伝えたい特定の誰かに向けられた文のことである。今回のこの『Snowman’s head』という文は、直訳すると『雪だるまの頭』と訳してしまうが、すぐに『だからどうした』と思うに至る。
 この暗号における『伝えたいこと』は『真犯人が誰か』ということだ。被害者が死の間際に伝えることはそれだ。
 もし犯人が近くに居た場合、そのまま犯人の名前を書きしるせば、犯人に隠蔽されるか、消されてしまうおそれがあった。
 犯人に気付かれることの無い、一見して意味不明な文章にこそ、紛れもない真実が隠されている。ミステリーにおける暗号、『ダイイングメッセージ』は垂涎モノの素晴らしい謎だと言える。

「問題編❸にある刑事の推理通り、現場に残された『雪だるま』はテーブルの上のミカンのことなのかもしれない。その場合、『雪だるまの頭』に該当するのは二段目に重ねられた『ダイダイ』というミカン。立花 ダイダイが犯人、ということか?」

 真の解答が問題文に書かれている。推理戦術〝直線推理〟を得意とする『正義』が僕たち解答プレイヤーにそんなことを仕掛けてくるか、というメタ推理はこの際置いておくとして、選択肢の一つとして保留にしておく。
 ただ、この回答は一つ穴がある。
「もしヒゲミヤという刑事の推理通り、テーブルに積み重ねた雪だるまを模したミカンが犯人を指し示していたとすると、かなり安直だ。せっかく暗号なのに『誰がどう見ても』そうとしか考えられない。もし僕が橙で、テーブルの二段目に『ダイダイ』のミカンが積み重なっていれば、他のミカンにすり替えるか、その雪だるま自体を崩してしまうよ」

「ダイイングメッセージは死後のメッセージ。死人に口なし。死者は死後自分のダイイングメッセージに干渉できない。しかし犯人は違う。好き勝手に改竄し放題だよな」

 この店の店主である『最強The Strongest』はニヤニヤと笑った。

「そういうこと。そして実際にはテーブルの上にはミカンの雪だるまが積み重なっていた。一段目には『ハッサク』、2段目には『ダイダイ』が。この事実が〝被害者が想定した改竄なしの状態〟なのか、〝犯人が改竄した後の状態〟なのか、僕たちには特定することができない」

 もしかしたら被害者ダリンが積み重ねたときは2段目に『ハッサク』があったかもしれないし、なんなら部屋に転がっていた『レモン』や『きよみ』が2段目になっていたかもしれない。犯人による改竄か、被害者が犯人に隠すためにわざとその雪だるまを崩したのか、やはり僕たちには特定することができない。

 暗号という謎には、その回答を特定させる『鍵』がある。その『鍵』を見つけ出さなければ、解答はわからないままだ。
 被害者が殺されたときに、2段目には何のミカンが乗っていたのか。それを推理する材料はこの問題編に書きしるされていなければならない。仮にも〝読者への挑戦状〟を謳っているのだから、問題なく書きしるされているだろう。ならば、それを見つけ出さなければこの暗号を解くことは出来ない。

 いいね。
 単純な事件だけれど、暗号は難解だ。
 誰もが被害者を殺しうる。
 要は暗号を解けばいいわけだ。

 1段目が何のミカンであるかは大して重要では無いだろう。ミカンの中でも大きめな『ハッサク』を2段目にする場合、たとえば鉛筆を突き刺した『きよみ』を1段目にしていれば、飛び出た鉛筆の長さの分だけ『ハッサク』を下から支えることが出来る。下からミカンを支えるための鉛筆だったのかもしれない。
 刑事の推理通り、文字が書きにくいから刺した。その説明もわからないではないが、鉛筆の持ち手側をミカンに突き刺す方が大変だ。
 やはりこの鉛筆にも何らかの意味がある。
 死の間際に意味の無いことをする余裕は無いだろう。

「問題編❷にて、レモンと清美が雪だるまを作っている。清美が土台の雪玉を作って、レモンはその上に雪玉を置いている。そして、その光景を被害者のダリンは見ていた。ダリンにとって、『雪だるまの頭』を作ったのは、『レモン』……。そう考えることも出来るか?」
 テーブルの上で積み重なっていたミカンはたまたま、レモンが積み重ねて遊んでいた時のまま残っていただけ、という推理。

 確証がない。
 特定できない。
 犯人が誰なのか。

「Tu, eres mi media naranja.」

『最強』がやけに流暢な発音でそらんじた。
 なんと言っているのかは分からなかったが、問題編❷の最後の方に出てきた言葉だろう。

「『最強』、その言葉を知っているのか?」
「あぁ。スペインのことわざだよ。愛情に満ちた言葉さ。『あなたは私の半分のオレンジだ』という意味だ。切り分けたオレンジ同士は、もう片方としかぴったりくっつくことはない、運命の人ということさ。ダリンにとって、レモンがまさにそれだったってことさ」

 テーマ『みかん』に引っ掛けたオシャレな言葉だよな。と、店主は言う。
 重要なのは『みかん』の品種が名前に含まれている、という部分だけだと思うが。みかんの香りのシャンプーも謎解きには不必要な情報だ。
 そのことわざも。意味を問題文に書いていないのなら、不必要な情報なのだろう。

「意味がわからないと伝わらないな、外国語は暗号みたいなものだ」
「冷たいな。意味がわかった今となっては、真意が分かるだろう?」

 ぴったりと当てはまるもの。
 そう。切り分けたオレンジ同士のように、ぴったりと合てはまる符合があるはずだ。真犯人を特定する『Snowman’s head』。この暗号に当てはまる犯人。

 レモンと清美が作っていた雪だるま、それを見たダリンの言葉。

「────っ!!」

 僕は目を閉じる。
 そうか、そういう意味だったか。

 暗号の鍵。それは巧妙に隠されていた。
 一度意味がわかってしまえば、もうそれしか考えられない。

 真犯人は、特定された。

 そんな僕を見ながら、店主は肩をすくめた。
「言わなくてもわかるさ、わかったんだろう? 犯人が」

 僕の真意は隠しきれずに、笑みとして〝あらわ〟れていた。



解決編につづく


第六話 解決編『Snowman’s head.―雪だるまの頭―』

 僕は謎が解けた余韻に浸っていた。
「お前が笑うと気持ちが悪いな」
 店主は真顔で言った。
「シンプルな悪口はやめてくれないかな」
 いつも笑っているくせに真顔で言うなっての。

正義The Justice』は僕の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「出題者として聞こう。犯人は誰だ?」

「不知火 清美。彼女が犯人だ」

「根拠は?」

「もちろん、ダイイングメッセージの『Snowman’s head』だよ」

 問題編の冊子をパタパタとうちわのように仰いで、店主が口を挟んだ。

「こたつの上のミカンは『ハッサク』と『ダイダイ』だっただろう? 雪だるまの形状になっていたのは二つに一つ。そのどちらかが犯人じゃないのか?」

「あれは被害者が積み重ねたモノか、レモンが手遊びで積み上げたモノか、犯人が真意を隠すために再構築したモノか、そんなことは特定できない。特定する必要が無いんだよ」

「必要がない?」

「あぁ、犯人は別にいるからね」

「別って。不知火 清美の『きよみ』はテーブルの下に転がっていたじゃないか。雪だるまの頭なんかじゃあないだろう」

 『正義』は僕の推理を黙って聞いている。この流れは間違っていない。間違っていれば、彼は即座に僕の推理を一刀両断するだろう。

「問題編❷に、レモンと清美が雪だるまを作っているシーンがあっただろう? その光景をダリンが見ていた」

「そうだな。でも、その時に『雪だるまの頭』を作っていたのは『清美』じゃなくて『レモン』だったじゃないか」

「そう。そのときに、少し違和感があることをダリンが話していた。読み返してみると良い」



>「おー、あともうひとふんばりで完成デスネー。雪を集めるの手伝いましょうか? かわいいスノーマンになりそうデスネ。レモンちゃんには負けますが」

(問題編❷から 抜粋)


「? 特に何もおかしくないだろう?」

「そうだな。その文の少し前を見てみてくれ」


>私は今朝がた降っていた新雪を使って、柔らかい頭の雪玉を作って、土台の上にのせた。
>あとは目や口、手などを枝や石ころで作ったら完成だ。力が必要なところはもう終わったので、腰を伸ばして一息つくことにした。


「もう2人は雪だるま作りのほとんどの行程を終わらせていて、目や口などの石ころや枝集めをしていた。それなのに、ダリンは雪を集めるの手伝いましょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・と言っている。これはおかしい」

「おかしいか? それが何だっていうんだよ」

「日本の雪だるまと、外国の雪だるまは形が少し違うんだ。日本の雪だるまは頭と体の2段重ね。外国の雪だるまは『頭』『胴』『足』の三段重ねなんだ」

 二段重ねの雪だるまを見て、ダリンは〝もう一段積み重ねる必要がある〟ことを『雪を集める』と言ったのだ。

「外国の雪だるまの頭には、ニンジンが鼻として突き刺さっている。ダリンはニンジンの代わりに、短い鉛筆で雪だるまの頭に刺さっている『鼻』を〝あらわ〟したんだ。
 犯人によってみかんの順序が入れ替えられてしまったとしても、テーブルの下に転がってしまったとしても、鉛筆が突き刺さっているみかんは一つしか無い。順序を考える必要は無い。鉛筆が刺さっていたみかんこそが、〝雪だるまの頭〟、ダリンが本当に伝えたかった犯人! 犯人は『きよみ』こと不知火 清美。彼女が犯人だ!」

「ファイナルアンサー?」

「あぁ」

 店主は険しい顔で溜めに溜めて、解答を先延ばしにした。

「……正解だよ」
 出題者である『正義』がぽろっと返事をした。

「『正義』! これでも推理ゲームなんだからさぁ! エンターテイメントとしての盛り上げ方があるんだってばぁ!」

「ふん」

 謎が解けたら、感想戦だ。

「短いなりにまとまっていた。極上の謎だった。うっかりこの僕も、謎に溺れるところだったよ」
「この謎の正解率はそう高くないだろうな。『怠惰』でこれほどなんだから。解答プレイヤーの中で、『最高The Marvelous』は得意そうだけど、『幻密The Airy-tale』は解けないだろう。あいつは堅物だから」

 謎解きに置いて〝堅物〟なことを言い訳にするようなプレイヤーはここには居ない。誰よりも謎解きに真摯な『幻密』は相当悔しがることだろう。

 渡航歴があったり、海外の文化に詳しかったりしたら、もう少し早く正解にたどり着いていたかもしれない。

「エンターテイメントとしても優れていた。これ、グルーミングが題材だね。か弱い少女を籠絡する怪しい外国人。でもま、ダリン自身もレモンと同じような悩みを持ち、乗り越えていたのかもしれないと、思えたりもする。『正義』にとっての〝正義〟が何なのか、何か考えでもあるのかい?」

「ねぇよ。法律で裁けない奴を葬る、それだけだ」

「ダリンは君にとって悪か?」

「レモンがダリンに殺意を持っていたのは事実だ。清美も、橙も、八朔も、ダリンに殺意を持っていた」

「それでレモンは救われたのかな? 君の〝正義執行〟で」

「さぁな」

「救われていないよ。君の正義は誰も救えない」

「あぁ?」

 僕は言葉を選ぶ。
 より彼を揺さぶるような。
 より彼を傷つけるような言葉を。
 彼のような鋼の心を変えるには、
 優しいキレイ事なんて必要ないからだ。

「人殺しで誰かが救われるなんてお門違いだ。人殺しは人殺し。正義でも何でも無い。君は正義をはき違えている」

 彼の存在を否定する。
 彼の正義を否定する。

「ここでは人殺しはエンターテイメントなんだ。ダリンが死んで、謎が残されて、それを解いて、あー楽しかった。それだけ。誰かが救われたり、報われたり、元気になったり、物語が終わる、ハッピーエンド、なんてことは無い」

 ダリンが死んでも、レモンは生きる。
 清美が逮捕されても、清美は生き続ける。

〝正義〟が行使されていても、〝問題〟がなかったことになんてならない。レモンは一度己に芽生えた否定しようがない〝殺意〟を持ち続けることになる。
 だって、レモンの問題は何もなくなっていない。母の彼氏は生きている。レモンの〝殺意〟はドクドクと脈打って生きているのだから。

「今度はレモンの母の彼氏を殺すかい? 次のテーマが楽しみだ」

「『怠惰』、お前には〝正義〟が無いのか?」

 僕は否定する。
 
「無いね。僕を否定できなくて残念だろう。仮にあるとしたら、〝正義〟で誰かが救われる事なんて無い、っていう信念があるくらいさ。人殺しで何かを変えることは出来ない。だから、〝エンターテイメント〟として確立しているんだよ。楽しさを付与しないと、つまらない。人殺しをゲーミフィケーションさせて、社会の流れをコントロールしているんだ。正義に〝正義〟という意味を、人殺しに〝悪〟という意味を持たせて、踊らされているのが君だ。意味なんて無いんだよ」

「〝何の意味があるのだろう。そう考えることが大事なんだ〟」

 彼は、誰かに聞かされた借り物の言葉を口にした。

「それは、誰の言葉だい?」

「…………さあな」
『正義』は背を向けた。

「俺の〝正義〟は俺が決める」

「それがいい」

 誰に何を言われても。
 誰に何を否定されても。
 誰に何を拒絶されても。
 誰も救えなくても。
 状況を変えられなくても。
 
 それでも自分を形作るモノ。
 それが信念。〝正義〟であるべきだ。

 正義に意味なんて必要ない。
 救うための人殺しなんて言い訳だ。
 人殺しは、人殺しなのだから。

『正義』きみはきっと地獄に落ちるよ」
「ここより地獄なところは無ぇよ。じゃあな、『怠惰』」

 『正義』は螺旋階段をのぼっていった。店の外に出るための唯一の経路。
 正義と欺瞞に溢れた現実世界に帰る手段。

「救われたみたいだな」
「ん? 誰が?」

 店主がぽつりと、誰に言うでも無くつぶやいた。
「『正義』だよ。まるで憑きものが落ちたような顔をしていた。復讐と憎しみの心が〝洗わ〟れたんだろう」

 こんな問答ひとつで洗われるだろうか。

「正義の心なんて、不自由だからね」

 僕は昔の僕自身を思い出しながら、なんとなくそう思った。
「もっと僕みたいに〝怠惰〟に、自分のために生きるべきだよ」

 僕の真意は彼に伝わらなかっただろうが。

 生きている限り、考える時間はある。

 〝正義〟とは何であるか。
 誰かに殺されるまで、自分なりの答えが出るまで考え続ければいい。
 
 それが、生き残った者の宿命だよ。


最終話  現実

 ダリンの親はフランス人と日本人だったが既に離婚していた。彼は家出同然で家を飛び出していて、彼の家族は全員連絡が取れず、遺体を引き取るものはいなかった。
 そのことを聞いたレモンという少女の要望で、その遺体は、母国に還ることなく、コテージの敷地内に埋葬されることになった。




露《あらわ》   完





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