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TRICK ROOM「いちご・マフラー・密室」前編

目次

第1話 現実

 十二月二十五日の未明、△△市の公園の電話ボックス内で、ミギワ サトシさんが死亡しているのが発見されました。現場は駅から郊外へと少し離れた位置にあり、近くに飲食店等も無いことや、遺体の身体全体をマフラーで包まれていたこと等、不審な点が多いことから自殺、他殺、両面から捜査が行われているとのことです。
 それでは次のニュースです。




第2話 イントロダクション

 店主が取り出したのは、一組のカードだった。
 見ると様々なイラストが描かれていた。
「これは『キャット&チョコレート』というボードゲームのカードだ。様々なトラブルを、手札のアイテムカードを使用して切り抜ける提案をする。その提案が皆に受け入れられればそのトラブルカードはポイントとして手に入れることが出来る。こんな風に」
 店主は持っている手札をこちらに公開した。
 『門松』、『本』、『ライト』
 場のトラブルカードには、『彼女とのデートに遅刻した。どうする?』と書かれている。
「彼女とのクリスマスデートに行くバスを、『本』を読みながら待っていたら、銀行強盗が逃げていくのを見かけたので、近くの『門松』で殴って捕まえたんだ。ついでに取調室で『ライト』片手に自白させてきた。これは警視総監賞ものだよ! まぁ、辞退してきたけどね。という作り話をして誤魔化す!」
「却下。クリスマスデートに行ってるのに門松が出ているのはおかしい。現行犯逮捕なら自白なんか要らないだろ」
 それに警視総監賞は一般人は対象外だ。カードの数だけ矛盾点があるなんて、大した悪い見本だ。
「そんな適当な言い訳じゃ、絶対に許さないわ」
 隣にいた『溺愛』はイタズラをする前の猫のような顔をしてこちらを見た。二つ結びの髪の先が揺れる。
「Sさまならどれだけ遅れても許しちゃうけど!」
 彼女の渾身のハグ&タックルを、キャスター付き椅子を前に少し進めることでスッと避けた。
 『怠惰』のトレードマークである栗色の長髪が少し揺れ、ほのかな香水の香りがする。その香りが『溺愛』の目の前を通り過ぎた。
 彼の香りを身にまとったような、ボディタッチにしてはあまりにも迂遠な接触だったが、それだけで『溺愛』はとても幸せそうだ。
「それが、今回の問題と何か関係があるのか?」
「大アリだよ、『怠惰』」
 店主の顔の上半分は包帯で巻かれていて、相変わらず表情が読めない。唯一見える口元をニヤリと歪めながら、三枚のカードをテーブルに並べた。
 『いちご』、『マフラー』、『密室』。
「いつも好き勝手に問題を作っている君たちにとっては、ちょうどいい縛りだろう?」


 ◆◆◆


 ここは『TRICK ROOM』という名の、はたから見ればただの雑貨店である。この店では秘密裏に、現実で起きた殺人事件の謎を解く、というゲームが行われているのだ。
 その出題者は犯人。ゲームの参加者プレイヤーはその殺人事件の謎を解く。
 推理狂の犯人プレイヤーが、思いついたトリックを実現させて実際に人を殺す。警察の目をかいくぐり、自称名探偵たちの鼻を明かす。
 犯人サイドと探偵サイドの推理合戦。それがこの店のエンターテイメントとして成り立っている。莫大な資産を持つ好事家たちの娯楽によって。
 僕は、『怠惰The Sabotage』と呼ばれている。隣にいるのは『溺愛The Drown-down』。どいつもこいつも、この店ではもう一つの名前があり、それで話をする。
 ただまぁ、この店の特色や僕らの関係性は、ここで謎を解くことに何ら関係がない。
 リアルがどうあれ、ここでは一人の殺人鬼プレイヤーであり、一人の探偵プレイヤーなのだから。
 いつもは何の縛りも無しに、出題者の好きに構築したトリックを披露する出題形式だったのだが、今回実験的に変えてみたのがこの『キャット&チョコレート』方式だった。
「で、この三枚のカードを必ず使用して、出題しろって?」
『いちご』、『マフラー』、『密室』のカードを見て僕は訊ねた。
『怠惰』はカーキ色のロングカーディガン&ジーンズ。スリッポンを引っかけてラフなスタイル。『溺愛』は白地に赤いイチゴ柄のスカートと薄ピンクのダッフルコートを着ていた。
 もういくつ寝るとお正月。
 寒くてこたつで丸くなりたいところではあるが、こればっかりはやめられない。このゲームは他のどこでもできない、僕のような推理狂にとっては垂涎の催しだからだ。
 どんなミステリーよりもリアルで、
 どんな謎解きゲームよりも難解だ。
 ここではトリックが全てにおいて優先される。
 人命よりも、動機よりも、怨恨よりも、フェアで美しいトリックこそが素晴らしい価値を持つ。
「そ。ある程度の縛りがあった方が、お互いぐっと難易度が上がって楽しめるだろう?」
 何が楽しいのか、店主の口元は相変わらずニヤリと歪んだ。
「出題者サイドの縛りがきついだろ。三つの大きなヒントをこちらに提示しているんだから。回答者こっちは逆に、そのカードの内容が謎の解決に重要だってハナから分かってて挑むんだからさ」
 僕は当然の指摘をした。
「そうよね。完全無欠密室不可能殺人をしましたー。現場に『いちご』と『マフラー』が落ちてましたーっていう、キーワード消化だけの事件だったら、作る方は簡単だけれど、解く方からしたらつまんないわよね」
 『溺愛』はバタバタと足を揺らした。スカートでそんなに暴れるなよ。見え……いや、なんでもない。
「その通り。お題の消化だけして、トリックに活用しないのは、それはもう論外だよな」
 あまり言うと自分の首を絞めることになるような気がしてきたが。実験的取組みの裾野をあまり縛り上げるのもよろしくないか。
「じゃ、雑談もそこそこに。とりあえず挑戦しとく?」
「なんだ、もう問題があるんだ」
「あるよ」
 店主はにやりと笑った。
 冊子を二部、カウンターテーブルを滑らすように投げて寄越してきた。
 表紙には【死が降りかかる夜】と書いてあった。
「いくら探偵サイドに有利だからって手加減しないよ?」
「もちろん。全力を出してくれてかまわない。何せ実際に人が死んだ事件だ」
「いちご」に「マフラー」に「密室」なんて合わさった事件があれば、報道されそうなものだけれど。
 いや、事件を解くのに先入観は禁物だ。
 渡された小冊子を前に、僕はいつものルーティンをした。
「それじゃあ、極上の謎。いただくとしますか」




第3話 問題編 死が降りかかる夜

『死が降りかかる夜』  出題者 『混濁The Fluid


◆◆◆


「ふわぁ~あ、せっかくの聖夜だってのに、台無しだよな」
 目の前に広がる光景に辟易した。

 百歩譲って、クリスマスに勤務していることは良いとしよう。俺たちの仕事は平日休日祝日だなんて関係が無いからだ。事件が起きれば捜査する。それが警始庁捜査一課の刑事ってものだ。
 しかし、だからといってよりにもよってクリスマスイブの夜に人が死ななくたっていいじゃないか。仏さんの無念を晴らしたい。その気持ちがいつもより一層強く感じられた。
 しかし、この人はどうして死んでしまったんだ? 凍死か?
 目の前に横たわる遺体。まぁ、既に検死に回されているため、例によって白テープで囲われたシルエットのみである。
「被害者は右和みぎわ 左利さとし。会社員です。死亡推定時刻は昨夜の1時頃ですね。第一発見者はジョギング中の男性です。それが5時頃ですね。目撃者は今のところ見つかっていません」
 部下のコバヤカワの報告を聞いた。
「それにしてもなんだお前、そのダッフルコートは。まるでクリスマスツリーだな」
 コバヤカワが着ていた明るい緑色のダッフルコートは、目に痛く、赤いネクタイと相成って、クリスマスカラーでさらに痛々しかった。
「クリスマスコーディネートを意識してみました! 気付いてもらえて良かったッス!」
 しまった。スルーしておけばよかった。
 話を変えるために、遺体の状況を近くで撮影した写真を確認することにした。
 被害者は電話ボックスの中で、床にうずくまるように倒れていた。全身にはロングマフラーが巻かれていた。
 電話ボックス内には、ケーキ屋で買ったと思われるケーキの箱が横倒しになっていて、歪に崩れた箱の隙間からショートケーキのホールが覗いていた。
「終電を乗り逃して歩いて帰る途中に電話ボックスに立ち寄って、寒くてうずくまっていたら凍死、という感じか? それなら俺たち捜査一課の仕事じゃないな。事故死、はたまた自然死、か」
「いえ、先輩。この遺体は変死なんです。死因は窒息死ですから」
「窒息死? このマフラーで首が絞まったとかか?」
「いえ、首に絞められた跡はありませんでしたし、抵抗の跡もありませんでした。特に外傷らしいものもありませんでしたし、現場には凶器らしきものは見つかりませんでした」
「窒息といってもなぁ」
 電話ボックスのドアを開こうとすると、遺体の白テープのシルエットの上をドアが通過した。このことから、遺体があった当時はこのドアを開くことは出来なかったと推測できる。と言っても多少、10cm程度ならば開くようだ。
 電話ボックスのドアは特殊だ。折りたたむように開く。遺体が邪魔をして完全には折りたためないために、開かないのだ。人の出入りは難しいか。
「これは……密室殺人事件か!!」
「いえ、遺体発見当初はドアが少し半開きになっていたとのことですので、密室事件でも密閉事件でも無いッス。それに、殺人と決まった訳でもないッス」
 なんだ。おもしろくない。
「電話ボックス内の酸素が薄くなって死んだ……なんてことは考えられないよな。天井には通気口があるみたいだし、塞がってなどいないからな。それに、ドアも開かないと言ったって多少の隙間はある。たとえこの隙間を塞いだところで、窒息死するほどじゃないだろう」
「そうッスね。それに被害者の胃を調べたところによると、睡眠薬の類いは見つからなかったようです。もし閉じ込められたとしても、それなりに抵抗すれば脱出するのは難しくないと思われます。が、そもそも抵抗の跡が残ってないッスもんね……」
 折りたたむように開くそのドアと壁との間には多少の隙間がある。ドアの隙間を注視していたら、気になるモノが目に入った。
「なんだ? これは」
 明るい緑色の繊維がへばりついていた。
「犯人の痕跡かもしれない。鑑識、これを調べておいてくれ」
「すみません先輩、それ、僕のです」
「は?」
 その繊維は、目に痛いほどに緑色のクリスマスツリーのようなダッフルコートの繊維らしかった。
「ドアに寄っかかったときにくっついてしまいました。どうやらドアの付近がべたついていたようです。電話ボックスのドアと壁との間、床と壁との間の四隅にガムテープで封がしてあった痕跡があるということが分かりました!」
「なるほど。……大事な証拠品でもある電話ボックスに寄りかかるんじゃない!!」
 俺はコバヤカワの頭をはたいた。
 ガムテープはただのイタズラだろう。

 ……さて。

 電話ボックスに残された緑色の繊維を丁寧に剥がすように指示して、俺は現場の電話ボックス内を調べることにした。
 折りたたまれたドアを開けた。
 中からひんやりとした空気があふれ出てきた。ほんのりと寒気がする。
「む。電話線が抜けているな」
 電話ボックスの床に、電話線が転がっている。電話線が引っこ抜かれていたようだ。
 電話線が自然に抜けるはずはない。被害者が抜いたのか。第三者が抜いたのか?

「電話線が抜けたのは何時だ?」
「被害者が死ぬ1時間ほど前、とのことッス!」
「電話しようとしてもできなかった、ということか……?」

「遺体発見時、ショートケーキは冷凍庫から出したように凍りかけていました。また、マフラーにも霜がかかっていたようです。遺体を発見した当初、遺体はひんやりとしていて凍死だと思われていましたが、検死官の調べたところ、窒息死で間違いないということッス」

「凍死ではなく窒息死。自殺でも他殺でも方法が分からないな。事故……? いや、ならガムテープの跡は……。むむ。寒すぎて呼吸ができない時があるよな? 肺が凍り付いていたんじゃないのか?」

 こういうどっちつかずな事件が一番やっかいだ。落としどころが掴めない。

「コバヤカワ、昨夜の気温は寒かったのか?」
「いえ。昨晩の気温は5度前後で、氷点下を下回ることはなかったと、気象庁に確認しましたよ」

「それなら凍ることもないよな」

 それならひんやりとした遺体は何なんだろうか。凍りかけたショートケーキは、霜がかかったマフラーは何を意味するのか。

「真実は、人知を超えた先にあるのかもしれないな」

「先輩、何かひらめいたッスか?」

 部下がきらきらした目で俺を見た。
 俺は、苦々しい顔でこう続けるしかなかった。

「クリスマスにぼっちで死んだ幽霊に殺されたんじゃないか?」

 孤独な夜は寒いからな。
 電話ボックスの中は寒気がしたし。
 霊感が無い俺ですら感じ取れる何かが存在している、そんな気がした。

「じゃあ先輩はいっつも凍死しちゃいますね」と口を滑らせた部下の頭を警察手帳ではたいた。

 問題編 おわり




第4話 推理編 重たい夜のとばり

 問題編の冊子を読み終えて、僕はひとまず一息ついた。
「クリスマスの深夜に変死事件か」
「ま、ここで出題されてる時点で『殺人事件』なのは確定なんだけどな」
 店主は要らない茶々を入れた。
「容疑者が誰も提示されていないことをみると、今回は『ハウダニット』の問題ということだね」
 『ハウダニット』は、どうやって殺したか。つまりは殺害方法を問う問題のこと。
「この遺体がどうやって殺されたのかってこと?」
「そういうこと。凶器も発見されていないと言っていたしね」
 電話ボックス内でうずくまるように倒れていた男。死因は窒息死。
「窒息死って、絞殺とは違うの?」
「絞殺は紐などの索状物で首を絞め、窒息させて死に至らしめる方法のこと。窒息死は主に呼吸が阻害されることによって、血液中のガス交換ができずに血中酸素濃度が低下、二酸化炭素濃度が上昇して、内臓や身体に重要な組織が機能障害を起こして死ぬこと──」
 ここまで説明して、『溺愛』がポカーンとしていることに気付いた。
「……だからまぁ、かたや『殺害方法』、かたや『死因』ってだけだろうね。『刺殺』と『失血死』の違いみたいなものだよ」
「要するに、首を絞められたことが原因じゃないってことよね」
 そう。身体全体に巻かれたマフラーで首が絞められたわけではない、と書いてあった。
「このマフラー、新商品・・・じゃないだろうな」
「お、よく気付いたね。12月の新商品! 殺人ロングマフラー!!」
 店主が両手でマフラーを天に掲げて叫んだ。
 この店、『TRICK ROOM』は、実際の殺人事件を解き明かす形態『トリックルーム』の他にもうひとつ、雑貨屋に擬態し凶器を販売する『ギミックルーム』の形態がある。
 この店内に並ぶ日用品、衣類、漫画雑誌、食品、それらが全て、人を殺すための凶器なのである。
 店頭に並んでいる、見た目は普通のクラシックなネクタイは、実は自動的に首が絞まる凶器だ。湿らせてから乾くと繊維が縮まる革紐の特性を利用して、自動的に首が絞まるという代物だ。実際に僕も殺されかけた事がある。
 食品売り場の冷蔵庫に陳列されている市販のソフト麺とスープの素にしか見えないそれは、それぞれを別々に食べればなんて事ないが、二つを食べ合わせると毒性を発してに至る……などなど。
 トリックの実現に必要なギミックは、要望を依頼すれば、必ず形にしてくれる。
 違法以外の何物でもないこの店、TRICK ROOMが存続していることの諸悪の根源が、この終始にやけ顔の中年、店主こと『最強The Strongest』なのだ。
「そのマフラーが窒息死を引き起こしたのか?」
 だとしたら、僕たちは何も解くことが無くなってしまうわけだけども。殺害方法ハウダニットはマフラー。QED、だ。
「いや、今回はこのマフラーはただの防寒具として使われただけだ。凍傷にならないように、遺体に巻かれていただけだな」
「なんじゃい」
「人を殺すためのマフラーだけど、きちんとした使い方をすれば、人を温めることも出来る。どうだ、素晴らしいだろ?」
 大抵のマフラーはそうだよ。
 使い方を間違えば、否、僕たちプレイヤーにとって正しい使い方をすれば、大抵の道具は凶器になり得る。
「じゃ、そのマフラーは今回はあまり深く考えなくても良さそうだな」
 いや。そうは言ってもキーワードのひとつではある。
 凍傷を防ぐために巻かれたと言っていた。
 遺体発見当時には凍りかけていたいちごのこともある。
 今回のトリックには、遺体や電話ボックスの室内がまるごと冷やされてしまうような何かが使われている、ということだろうか?
「んー、でも他に、特にヒントっぽいところは無かったわよね」
「逆にノイズやミスリードのような箇所も少なかった。要点ポイントをあげてみよう」

・要点その1、死因は窒息死。
 首をマフラーで絞められたわけでもない。凶器はボックス内に残されていなかった。

・要点その2、いちごは凍りかけていた。
 遺体発見時、ボックス内のショートケーキのいちごは凍りかけていたとのこと。

・要点その3、身体全体に巻かれていたマフラーにも霜がかかっていた。
 昨夜の気温は5度前後。いちごもそうだが、マフラーに霜がかかる程度の寒さではない。

・要点その4、天井には通気口があった。
 通気口が塞がれたとしても、電話ボックス内の空気がなくなり、死にいたるまでは相当時間が必要で、一晩でそれが可能だったとは思えない。もしそうなるまえに被害者は自力で電話ボックスから逃げ出すだろう。遺体の胃には睡眠薬のような類いは検出されていないとのこと。

・要点その5、ドアの隙間にガムテープが貼られていた痕跡があった。
 事件当時ガムテープでドアの隙間に封がされていたようだ。しかしそれは床から1m程度の範囲のみで、上部は封がされていない。このことからも、電話ボックス内の空気が薄まり、窒息死したとは到底考えられない。

・要点その6、抜けた電話線。
 抜かれた電話線の先は電話ボックスの床に転がっていた。

 とまぁ、このくらいか。

「クリスマスの夜なんだから、もう少しロマンチックな殺人事件は無いものかしら」

 『溺愛』は口をとがらせた。

「それは無茶ってものじゃないか?」

 さすがの店主も苦笑いをする。

「それに、この事件だって見方によってはロマンチックなところもある。凍るほど寒くなかったはずなのに、いちごは凍りかけていたし、マフラーには霜が降りていた。まるで氷の魔法にかけられたように……」

「そう、犯人は氷の魔法を使ったんだよ」

「Sさま……」

 『溺愛』はうるうるとした瞳で僕を見つめる。

「ロマンチックな雰囲気を無理やり作ろうとするな」

「その自信に満ちた顔。『怠惰』は『殺害方法』が分かったようだね」

「あぁ。それは密室にのみ使える死の魔法。そして、魔法のように、証拠は跡形もなく消えてしまうんだ。凍てつく冷気だけを残してね」

推理編 おわり

解決編へ続く





第5話 解決編 凍てつく死の魔法

「氷の魔法? まさか瞬間冷凍機付きの電話ボックスだったってこと?」

 『溺愛』は店主に詰め寄る。
 なんだそりゃ。

「いやいや、確かにトリックのためにそういう舞台装置を作ることもある。あるが、今回はそんな電話ボックスは納品してないよ」

 店主はきっぱりと否定した。
 情報開示は推理の重要な材料だ。今回、店主が他に店の商品を紹介していないところを見ると、今回の事件に他に怪しげな商品は無いと言って良いだろう。

 怪しげな商品は無い。ただし、特殊ではない一般的な道具は必要だ。

「違うね。犯人は、電話ボックスの天井、屋根の部分に大量のドライアイス・・・・・・を乗せたんだ」

 ドライアイス。固体の二酸化炭素のことだ。

「ドライアイス? 電話ボックスを冷やしてどうなるの?」

「冷やすのが目的ではないんだ。電話ボックスを『二酸化炭素で埋め尽くす』のが目的だったんだよ。被害者は窒息死で死んだ。窒息死、正しくは『二酸化炭素中毒』で死んだんだ」

 >窒息死は主に呼吸が阻害されることによって、血液中のガス交換ができずに血中酸素濃度が低下、二酸化炭素濃度・・・・・・・が上昇して、内臓や身体に重要な組織が機能障害を起こして死ぬこと──

「電話ボックス内の酸素を減らしたんじゃなくて、二酸化炭素を増やしたことで、被害者は窒息死したってこと」

「でも、電話ボックスの中は多少の隙間はあるでしょう? すぐに漏れちゃうんじゃない?」

「二酸化炭素は重たい気体だから、天井の通気口から下に降りてくる。被害者が電話ボックスの中に入る頃にはある程度床の方に二酸化炭素がたまっていたはずだ。そこに、『抜けた電話線』の罠がヒットする」

「抜けた電話線? 床にケーブルが転がっていたってやつ?」

「そう。被害者は電話をしに電話ボックスに入ったはずだ。しかし受話器を取っても不通。理由を探すために電話線を確認すると、床に電話線が転がっている。すると、自然に顔を床に近づけさせることができるわけだ。床付近に沈殿している二酸化炭素をもろに吸い込むことになり、昏倒する」

「そんな簡単に昏倒するモノなの?」

「濃密な二酸化炭素は30秒~3分間、吸い込むだけで昏倒すると言われている。それは一般的な部屋の中での話であって、電話ボックスのようなコンパクトな部屋の場合、ドライアイスの濃密な二酸化炭素をさらに効果的に吸い込ませることが可能だろう。昏倒して床にうずくまった被害者は、逃げることができず、さらに多くの二酸化炭素を吸い込むことしかできなくなる。そしてそのまま『窒息死』で死にいたる、というわけさ」

 ドライアイスの凍てつく冷気は、どこかに不必要な痕跡を残すかもしれない。被害者の死後、凍傷を防ぐために身体全体をマフラーで巻いたこともそのことに起因する。

 そのため、冷気を逃がすために殺害後はドアを少し開け放っていたはずだ。

 このトリックは殺す際は密室でなければならないが、それでは殺害後も冷気と二酸化炭素が残ってしまう。殺害の痕跡を少しでも消すために密室であってはならない・・・・・・・・・・・
 しかし思ったよりも発見が早く、いちごがドライアイスの冷気で凍っていたし、マフラーに霜がかかっている状態で発見されてしまったんだろう。
 いや、発見が早いより何より、もう一つの犯人の大きなミスが僕にとって大きなヒントに繋がっている。
「えー、でもドライアイスから出てくる二酸化炭素って白くて誰が見てもわかるじゃない? 床に白いもやもやが溜まってる電話ボックスに入ろうとするかしら?」

「ドライアイスから白い煙が出てくるってのは、ドライアイスの周りにある空気が冷やされて固まって白くなるだけで、あれ自体は二酸化炭素じゃ無い。気体の二酸化炭素自体は無色透明なんだよ。固体の二酸化炭素は白いから紛らわしいけれどね」
 ドライアイスを水につけたら、化学変化で白い煙が大量に出てくるけれど、今回はただ天井に置いてあるだけ。それなら固体の二酸化炭素が『昇華』によって気体に変わるだけだから、自然に無色透明の二酸化炭素だけが、天井の通気口から電話ボックスの床に溜まることになる。
「無色透明の、気体の二酸化炭素だけなら、目に見えるほど白くはなかったんじゃないかな」
 ドライアイスは約-79度。常温に出しておくだけで、充分に気体へと昇華する。
 実際に、キャンプなどに使うために持って行ったドライアイスの入れ物のフタが車内で開いていたことに気付かずに、そのまま二酸化炭素中毒で亡くなってしまった例も聞いたことがあった。

「Sさまって、理系男子? ちょっと追いつけてないかも」

「人殺しの知識は大抵あるよ。『溺愛』も毒薬の知識はあるだろ? それの延長線上さ」

 というか、この世に人の殺せない物質は存在しない。
 謎を解くためには、知識は欠かせない武器である。
 人を殺すためには、知識は欠かせない凶器であるのと同じように。

「殺害方法は『ドライアイスによる二酸化炭素中毒』。これでファイナルアンサーだ」

「……」

 店主が神妙な面持ちで僕の回答を受け取った。

 しかし、顔の上半分は包帯で隠れているし、口元は組んだ両手で隠れている。実は両手の下では相変わらずにやけているかもしれない。

「……正解だ!!」

「すごーい。Sさまっていっつもスピード解決よね!」

 どさくさに紛れて抱きついてきた『溺愛』を合気道の要領で引っぺがした。

「ったく。これは簡単な問題だと思うよ。というか、いちいち犯人のミスが目立つよね」

「犯人のミス?」

「目撃者の早い発見はさておいて、必要最低限のドライアイスを天井に置いておけばいいものを、多分、必要以上に大量のドライアイスを天井に仕込んであるはずだよ」

 >  折りたたまれたドアを開けた。
 中からひんやりとした空気があふれ出てきた。ほんのりと寒気がする。

 『問題編 死が降りかかる夜』より

 ドアを開けた際に「ひんやりとした空気があふれ出てきた」とある。

「死亡推定時刻が1時。遺体発見が5時。それからさらに数時間が経っているであろう、警察が調べている時に、まだひんやりとした空気があふれ出てくる・・・・・・・・・・・・・・・・・のは、天井にまだドライアイスが仕込んであるからに他ならない。電話ボックスの体積を調べて、多めに見積もっても体積分程度の二酸化炭素を発生させれば殺人には事足りるはずだ。それを多く仕込み過ぎたから、いちごは凍るわマフラーに霜は降りるわ、『冷気』が重要なキーワードであることはまる分かりだったよ」

「天気がもう少し寒ければそれもごまかせたはずじゃない? 運が悪かったのよ」

「別に聖夜に合わせなくても問題ないトリックだったろう。よりトリックを究めるのならば時節よりも天気を見て実行日を決めるべきだった」

 電話線の罠があれば、ガムテープのような美しくない小細工も必要なかったのではないかとか、キーワードの『いちご』と『マフラー』もただ置いてあっただけで、特にトリックに使われていなかったことが減点対象である。

「『怠惰』は辛口だねぇ。『混濁』は今回の『キャット&チョコレート』出題方式の一番槍を買って出てくれた功労者なんだぜ」

「問題を作ればいいってもんじゃない。せっかく他人の命を賭けてんだから、甘い問題を僕たちは望んでいないんだよ」

「出題者の『混濁』は、クリスマスのロマンチックな雰囲気を演出しようとしてくれたんだと思う。Sさまだって、ドライアイスのことを氷の魔法・・・・だなんて言ってくれたし、そうでしょ?」

 ぐ。
 それを言うな。

「で、これで終わりか? それなら僕は帰るぞ」

 僕は誤魔化すように話を変えて、椅子を立ち上がり伸びをした。

 正直まだ全然物足りない。これならミステリー小説の積ん読を読み明かした方がマシだ。

「年越しの謎解きはまだ終わらないさ。第二問としゃれ込もう」

 店主は再び小冊子を二冊取り出した。

「また『いちご』、『マフラー』、『密室』の事件なのか?」

「そうだ。今度こそ、恥をかくかもしれないぜ?」

 店主から冊子を受け取る。

「どうだか。次こそ極上の謎、だといいけれど」

 僕は椅子に座り直した。

 出題者は最近出題が無かった、『TRICK ROOM』参加者プレイヤーの古株の一人。『空欄The Null』だった。




後編へ続く




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