そんなのパンナコッタだって迷惑こうむる

 そのパンナコッタは、どこかオカシカッタ。
 あまりにも、あまりにも、美味しすぎたのだ。
「美里、これ──」
 俺は、パンナコッタをデザートに作ってくれた彼女に問いかける。
「おじさんのためだけに作った、お手製だよ」
 パンナコッタは、白く、つややかで、もろい。スプーンですくうとまるで生きているように震え、バニラの香りがやさしく鼻腔をくすぐる。口に入れると一瞬で溶け、舌の上に甘やかな余韻を残す。
「それ、お母さんのレシピなの」
 どうりで、どこか懐かしい味がしたと、光彦は思った。パンナコッタをもうひと匙、口に含む。舌の感覚が麻痺をして、壊れてしまったかと思うくらい甘美な味がした。
 ──美味しすぎて、涙が出そうだ。 
 美里は15歳。中学二年生だ。離婚した父親は行方知らずで、母親を滑落事故で亡くし、身寄りがない子だった。「カワイソウだ」そう思った私は、独り身の気軽さもあり、彼女を養子として引き取った。
 彼女の母親である雪と私は、いとこ同士である。親戚として、美里の面倒を見ることは自分自身の責務だとも思った。責任を果たさないといけない。
 美里は全く手がかからない。わがままや文句を言わず、礼儀正しく、静かな子だった。本が好きで、休みの日は図書館に勝手に行くので、放っておいても問題ない。家事も手伝い、料理が得意な少女。養子を受け入れる時は、親族やご近所から心配されていたが、徐々に懸念も少なくなり、評判の「いい子」として受け入れられていた。きっと母親の教育が良かったのだろう。
 俺は、再びパンナコッタを口に運んだ。やはりオカシイ。完璧すぎる味だ。だが──完璧さは、時に不穏をはらむ。スプーンを持っていた手が震えていくのを感じた。
 約1ヶ月前、光彦の兄、孝一郎が亡くなった。死因は青酸中毒。自宅である現場には、遺書などは残されておらず、争った形跡もない。警察は自殺と他殺の両方を視野に入れて捜査を進めていたが、特に大きな進展は見られなかった。
 孝一郎は、自殺をするような人ではない。それは弟である自分が、よく分かっている。彼は勝気な人で、自責より他責思考が強い。弟の俺とは対照的だった。
 警察の捜査が終わり、一人暮らしだった兄のアパートを片付けていた。そこで、奇妙なものを見つけた。ゴミ箱の中のプラスチック容器。洗われているようで、中に何が入っていたのかは分からない。その容器に強い既視感を覚えた。
「美里」
 パンナコッタを食べる手を止め、俺はぽつりと口を開いた。
「この前の、兄貴の話さ。思い出させて悪いけど、死因が毒だったって警察が言ったの、覚えてるかい?」
「うん」
 美里は小さく頷いた。
「怖いよね」
 そう言いながら彼女は薄く笑っていた。
 俺は言葉を継ぐ。
「兄貴の部屋さ、デザートの容器があったんだ。今、目の前にあるのとそっくりな」
 美里の沈黙。ほんの一瞬、彼女のまつげが震えた気がした。
「美里、兄貴の部屋、行った?」
「……行ってないよ」
「そっか……」
 次にどちらが口を開くか、重苦しい緊張感が2人の間を流れた。パンナコッタが、形を保っていられず、崩れていく。
「美里が、兄貴のところにパンナコッタを持っていった、ってことはないよね?」
 口を開いたのは、俺だった。
 美里は笑みを消した。こちらを真っ直ぐに見つめる彼女の目には、何の感情も感じられない。その顔に、俺は見覚えがあった。母親の雪そっくりだ。
「ねえ」
 美里はゆっくり言葉を吐き出す。
「お母さん、なんで死んだの」
「……どういう意味?」
 美里の声は淡々としていた。
「お母さんが死んだ理由、光彦さんは知ってたんだよね」 
 俺は背筋が凍っていくのを感じた。舌が喉の奥に滑り落ち、気道を塞いで、話すことを阻止しているようだった。冷や汗が止まらない。やはり、彼女は知っていたのだ──。
「あれ、滑落事故じゃなかったの。光彦さん、知ってるよね。だってあの日、お母さんは、いつものように孝一郎さんに脅されて車でどっか行ってたもんね」
 恐れていた瞬間がやって来た。それと同時に奇妙な安心感も沸いた。──これで俺は、もう隠さなくていいんだ。兄の犯罪を。兄が美里の母親にやっていた性暴力を。金をせがんでいたことを。
 おかしな安堵とは裏腹に俺の手は、小刻みに震えていた。その手を何とか制して、パンナコッタを食べ進める。もう少しで食べ終わる。これで俺は償えるんだ。救われる。もう苦しまなくていい。
 美里、ごめん。雪、ごめん。守れなくて。兄の罪を隠し通そうと思って、監視をするために美里を引き取ったのは事実だ。美里への贖罪の気持ちもあった。俺は、兄とは違う。
「そんな、パンナコッタにごめんなさいするなんて。そんなの、パンナコッタにだって迷惑な話よね」
 俺は、無意識に「ごめん」と口走っていたようだ。美里に言われて、ハッとした。
「また作るから。パンナコッタ。ずっと、ずっと、食べ続けてね」
 美里は笑っている。
 きっとこのパンナコッタには、毒が含まれているのだろう。舌が痺れている。しかし、きっとこれでは死ねない。毒は微量のものに違いない。
「……ごちそうさまでした。また……作ってくれな」
 カップの底には、残ったわずかなパンナコッタが愉快そうに揺れていた。




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