#1 殺意の朝
きっかけは夫の浮気。
ずっとそのことを問いただす機会を伺っていた。
今日言うつもりはなかったのに。
あの人の指に結婚指輪が無かったのを見つけてしまった。
あの人と、何を話したか覚えていない。
気がついたら、あの人が倒れていて、動かなくなっていた。
ちょっと突き飛ばしただけなのに、たまたまテーブルの角が頭に当たって、打ち所が悪かった。私が悪いの?
なんか、気持ちがスッキリとしちゃった。
だって、私は悪くない。あの人が勝手に死んだだけ。
もう二度とあの人の顔を見なくて済むんだから。清々したわ。
さ、お化粧の続きをしましょう。
今日は友達とランチに行くんだから。
帰ってきてから、後始末をしましょう。
◇
帰宅する。
電気を点けたら、あの人が倒れていた。
あ、そうだった。そういえば。死んでたんだったわ。
友達と話しているときに一時も思い出さなかった。
これ以上放置してると臭いそうだし、さっさと通報しましょうか。
その時、本当に、偶然に、なんだか気になったの。
左手は開いているのに、右手だけ握っている。
右手の隙間から、見たことのある金属質が見えた。
あらやだ。この人ったら。
ちゃんと、私のこと、捕まえようとしてるんだ。
もしかしたら、あの時まだ生きてたのかも。
怖いわ。
死後硬直っていうのがあるのかと思ってたけど、そんなに力は要らなかった。右手を広げたら、あの人の結婚指輪があった。
元通りに左手の薬指に入れようと思ったけど、入らなかった。指が太くなっているのかも。これも、死んだからなのかしら。ふうん。そういうものなのね。
とりあえず指紋を拭いてから、少し考えて、ベランダから投げ捨てちゃった。もう、必要ないし。
後は特に何もおかしなところはなさそうだったわ。
私が出かけている間、お掃除ロボットがあの人の周りをお掃除してくれてたみたいだし。あの人が買ったお気に入りのロボット。名前までつけてたわね。気持ち悪い。
さ、電話しましょう。あまり時間をおくのもおかしいだろうし。
あまりに驚いて、声が出なかった、ことにしましょう。
大丈夫。私ならできるわ。こう見えて大学では演劇部だったのよ。
悲劇のヒロイン、演じられるわ。
だって、今朝までは。
浮気男と結婚した悲しい妻を演じられていたのだから。
#2 失意の昼
地元新潟県で、友人の糸魚川拓が自宅で亡くなったという。
ちょうど近くに来ていた事もあって、警察署の遺体安置所で遺体を確認しに行った。
以前パンナコッタ殺人事件の事件解決に協力したことがあり、遺体確認だけではなく、さらっと事件の内容を教えてもらうことができた。
6月某日。被害者は自宅のテーブルの角に頭をぶつけて死んでいた。自宅の鍵は開いており、自宅に置いてあった現金20万円と、アクセサリー類が盗まれていたという。強盗殺人、事故、両面で捜査が行われているという。
彼は謎解きクリエイターチーム『アンサーインザダーク』代表を運営していて、彼の作った謎のテスターをすることもあった。創作上のダイイングメッセージについて議論を酌み交わすこともあった。
そう、ダイイングメッセージ。彼が謎解きクリエイターであるのなら、何らかのダイイングメッセージを残していてもおかしくはない。
そのことを警察に伝えたが、遺体現場にはそれらしいダイイングメッセージは無かったという。お掃除ロボットが遺体の周りを掃除していて、ゲソ痕も見つからなかったという。
ふむ。とにもかくにも、まずは現場百遍だ。
僕は糸魚川宅に行くことにした。
#3 悪意の夕
Mystery Exhibition1、短編部門の読書期間が開始した。
新作も既作も多数投稿されていたが、やはり新作の方が多い。8千字程度ならプロットがあれば1日程度で書けてしまうから、書きやすい部門ではあるだろう。
その中のタイトルに、目を引いた物があった。
『お掃除ロボット専属トリマーの朝は早い』という小説だ。
先ほど警察から、友人の遺体の周りをお掃除ロボットが掃除していた、と話を聞いたばかりだった。ので、友人宅へ向かう電車の中でその小説を読むことにしたのだった。
本文は簡潔だった。
以下の通り。
「
糸魚川、お掃除ロボット、強盗殺人。
謎1、この事件は殺人事件である。犯人は誰か?
謎2、犯人の名前を指すメッセージを突き止めよ。
」
3つのキーワードをネット検索しても、特定の事件は現れない。
でも、僕が知っている一つの事件が、このキーワードに深く関わっている。
新潟県に糸魚川という名前の川は無い。友人が住んでいるのは糸魚川市でも無い。このキーワードは友人の名前だ。
遺体の周りにお掃除ロボットが徘徊し、証拠を全て消し去っているという情報を、警察は伏せている。これは事件関係者しか知らないはずだ。
にも関わらず、その事実を知っているということは、この作品の作者は事件の関係者だということだ。被害者の家族か、犯人か? まさか警察関係者が秘匿している情報を使って徒に作品を書くとも思わない。
この事件は単なる空き巣による強盗殺人事件ではないのかもしれない。謎2の『犯人の名前を指すメッセージ』の存在。それが存在するのなら、ダイイングメッセージに他ならない。友人の最後の遺志を見つけ出さなければならない。僕ならそれができるかもしれない。
今から向かう糸魚川宅の奥様へは、警察を通して連絡をお願いしてある。友人として話を伺おう。警察の捜査で見つからなかった盲点に、そのメッセージが隠されているはずだ。
創作仲間の何人かから「生きてるか~」的な生存確認のメールが届いていたが、今はそれどころではない。今僕は現実に、友人の死を悼み、友人の死の謎を解明する。そちらの方が優先だ。
返事は後に回そう。捜査開始だ。
糸魚川宅へはバスを乗り継ぐ。もうすぐ降りるバス停だ。降りるボタンを押し込む。
自己紹介が遅れたが、僕の名前は菱川あいず。推理小説を書いていて、ある時は探偵で、今回のMystery Exhibition1の選考委員でもある。
#4 敵意の夜
玄関の扉の鍵穴を覗く。鍵穴には、こじ開けたような跡や小さな傷は見つからなかった。もし強盗だとしたら、ピッキングのようなものではなく、あらかじめ合い鍵を手に入れていた可能性が高い。
もしくは……。
チャイムを鳴らして、名前を告げると、扉が開いた。奥様が出迎えてくれた。
「このたびはなんと言ったらいいか……、お悔やみ申し上げます。僕は糸魚川の友人の菱川あいずと申します。偶然訃報を知ったものですから、挨拶をさせていただきたくて、突然の訪問申し訳ありません」
「いえ……、わざわざありがとうございます。今……掃除の業者が来ているので、もう少しだけお待ち頂けますか? こちらへどうぞ」
奥様の顔はやつれ、くたびれている印象を受けた。
通された部屋はリビング。ソファに座った。テーブルの類いが見つからない。被害者はテーブルの角に頭をぶつけたはずだ。ざっと見回してみると、部屋の中はがらんとしている。事件から数日と経っていないはずだが。
帽子を被った青年と目が合った。掃除の業者だろうか。彼はこちらに軽く会釈をして、奥様の方へ向き直る。「糸魚川様。それでは、家具類、電化製品類の運び出しはこれで完了しました。一旦、ゴミ置き場に置かせて頂いて、翌朝運び出しますので、よろしくお願い致します」
「はい。ありがとうございます」
「それとこれが、今回回収させていただいた、お掃除ロボットの吸気口にからまっていました」
掃除業者が金色のネックレスを取り出した。
「あぁ、私の……ですね。ありがとうございます」
「細長いものはお掃除ロボットの吸気口に絡まりやすいので、一応中身を確認させて頂きましたが、あとは長い糸くずというか……、平べったい毛糸のようなものが入っていただけでした。ご確認頂きますか?」
「いえ、結構です。壊れて動かないのでしたら不要です。まとめて処分してください」
「かしこまりました。それでは失礼致します」
清掃業者は生ゴミのような残り香をほんのりと残し、去って行った。おそらく、一刻も早く業者をこの場から追い出したかったのだろう。奥様は「お待たせ致しました」と僕へ向き直った。
「警察に伺いました。空き巣に入られたとのことですね」
「はい。私が出かける時は鍵は掛けたと思います。もしかしたら、彼が忘れ物をしたとかで家に戻り、鍵をあけたままの状態の時に空き巣が入ってきて、二人が部屋でかち合って、争って……。……本当に、空き巣って怖いですね」
「そうですね。今、二人と仰いましたが、警察から空き巣が単独犯だと聞いていたのですか? 複数いるパターンも考えられると思いますが」
「いえ、私の想像です。そうですね。早く捕まえて欲しいです。じゃないと私、安心して眠れません」
言った言わないの証拠は探しても意味がない。僕は別のベクトルで聞き出すことにした。
「彼が、何らかのメッセージを残していた可能性があります。たとえば、何かを握っていたとか、ありませんでしたか?」
警察からは、メッセージらしき証拠は見つかっていないと聞いていた。しかし、メッセージらしき痕跡はあったと聞いている。
被害者の右手に指輪のようなものを握り込んでいた跡があったという。指輪のサイズは14号。ちょうど被害者の薬指の大きさと同じであり、おそらく結婚指輪を握り込んでいたのではないか、とまで聞かされていた。
しかし、結婚指輪は被害者の指から抜き取られ、空き巣に盗まれたらしく、実物を鑑定できなかった。
遺体発見現場から通報までの間に、証拠を隠滅した疑いがある。彼のダイイングメッセージ『結婚指輪』が示している、婚約相手。被害者の妻、糸魚川 茜が犯人ではないかと推理していた。
「いえ、私は何も気付きませんでした。あの人が倒れているのを見て、少しの間気が動転して何もすることができませんでしたが、怖くなってすぐに警察を呼びました。あの人には何も触っていません。あとは、お掃除ロボットも壊れて動かなくなってしまって。何も力になれなくて、ごめんなさい」
嗚咽混じりで奥様が目元を拭う。
一応警察はマンションのゴミ置き場にあるゴミ袋を全て開けて調べたようだが、盗まれたアクセサリーは発見されなかった。被害者の結婚指輪も発見されていない。わかりやすいところに隠されては居ないだけで、たとえばベランダから投げ捨てられていたら、それを見つけるのは至難の業だろう。
遺体発見現場はお掃除ロボットにより水拭き掃除がされており、壊れたロボットの内部にはまだら模様の毛糸、テープヤーンが入っていただけだったという。壊れた、というのはその糸くずが入っていたせいで、取り除けばまだ動くと説明したが、奥様は事件の後、被害者が持っている物を全て処分したかったようだった。
また、事件の数ヶ月前から、奥様は自身の友人たちと、被害者の浮気について話をしていて、『殺してやる』という旨の発言が幾度かあったという。
動機もあり、機会もあるが、証拠が無い。被害者が残したダイイングメッセージが見つかれば……。いや、ダイイングメッセージがある、という確証はどこにもない。あの、架空の、小説に残された謎が真実であるのなら。それだけが、真実を突き止めるか細い糸口だった。
#5 如意の未明
警察の力を借りて、マンションのゴミ置き場の鍵を開けてもらった。
今は朝5時。僕の推理が正しければ、ここに証拠が眠っている
今朝、回収業者が引き取りに来るまでのわずかな時間。僕は被害者の部屋にあったお掃除ロボットを探し出して、内部を探索した。まだら模様の毛糸くず。それを引っ張り出した。
「その糸くずが、何かの証拠なんですか?」
眠気眼の警察官を前に、僕はその毛糸くずを僕自身の指に巻き付けた。
被害者の結婚指輪のサイズ、14号はたまたま、僕自身の左手の薬指と同じサイズだった。まだら模様の毛糸くずをある特定の太さの棒に巻き付けることで、言葉が浮かび上がる。スキュタレー式暗号である。
太さが違えば円周の長さが変わり、文字が浮かび上がらない。ほどけばただの糸くずになり、ゴミに埋もれてしまうのだ。
僕はその毛糸くずに浮かび上がった、『あかね』の文字を見つけ出した。
「なんと……、こんなことが……」
「被害者は、あいつは、犯人である奥様に証拠を隠滅されること可能性を考えたのでしょう。右手に結婚指輪を握るだけでは、隠滅されてしまえば弱い。咄嗟に、毛糸くずを指に巻き付け、メッセージを書いてからほどき、お掃除ロボットに吸い込ませたんです。被害者がメッセージを、犯人に見つからないように隠滅したんです!」
「ゴミの中にメッセージが隠されているとは……、菱川さん、さすがです。おみそれしました」
「いえ、普段からあいつが謎解きを作っているクリエイターだったからこそ、ダイイングメッセージを考え合った僕だったからこそ、この可能性に気付くことが出来ました」
死の間際、僕のことを考えてくれたのだろうか。僕は、彼の遺志を見つけ出すことが出来た。それは、ある人の、ある言葉のおかげだった。
「この証拠は警察にお渡しします。必ず、犯人を捕まえてください」
「はっ。任せてください。ご協力ありがとうございました!」
#6 弔意の朝
僕は奥様にある人の連絡先を聞いた。
清掃業者の青年だった。
彼が、僕に「お掃除ロボットに糸くずが巻き込まれていた」と聞かせてくれなかったら、彼の最期のメッセージに気付くことは出来なかったからだ。
結局、彼が回収する手はずだった被害者宅の家具類は、証拠として全て警察が押収することになったので、朝の仕事がなくなった彼は、被害者宅の近くにある、とある公園を指定した。
砂丘公園という、砂場とブランコ、滑り台と水飲み場だけの小さな公園。朝も早いので、誰も遊んでいない。半分埋まったカラフルなタイヤに腰を掛けて、青年は待っていた。
「おはようございます。菱川さん」
自分が認知されていたことを疑問に思った。
「あれ? 僕と会ったことあります?」
「まぁはい。少し前に、あなたが飲み歩いていたときに、質問をしたことがあります」
「あぁ、道を教えてくれた方ですか、あの時はお世話になりました」
うっすらと覚えているような。何を聞かれたっけ。
「それで、俺に何か用ですか?」
「いえ、ありがとうございました。あなたの一言のおかげで彼の、最期のメッセージに気付くことが出来ました」
「あぁ、そのことですか。部外者の俺が言ったところで、ゴミとして処分されることは目に見えていましたから。あなたが発見し、発言した方が物語になる、そう思っただけですよ」
「やはり、あなたがあの作品を書いたんですね?」
事件の関係者で、犯人でも無く、警察でも無い、お掃除ロボットが事件の核であることに気付くことが出来た人は、彼だけだ。
『お掃除ロボット専属トリマーの朝は早い』の作者は彼だった。
「この物語の、いえ、この物語たちの主人公はあなただったから。お礼を兼ねて謎を提供したんです。楽しんで頂けましたか?」
彼が言う主人公というのは、タイトルの『お掃除ロボット専属トリマー』が僕だったということだろう。全く、こんな現実に即した物語を書くなんて恐ろしい。
おかげで朝早く起こされてしまった。あくびが出るほど眠い。
……はぁ。
あっという間の1日だった。友人を失った喪失感を感じる暇も無かった。今謎解きの達成感と、友人を失った喪失感とが虚無を生んでいた。
そういえば、僕のミステリー仲間から来ていた複数の連絡に返事を返すのも忘れていた。
友人の死はとても辛いが、彼の最期の作品を世に出すことが出来た。
僕の探偵役は、ここらで閉幕。
さぁ、次は読者の世界に浸るとしよう。
Mystery Exhibition1はまだまだ、始まったばかり。
ここからミステリーの楽しさは広がっていく。
創作から現実へ、現実から想像へ。
縦の意図と横の意図は、紡ぎ、伝え、繋がっていく。
あぁ、もう。お酒が飲みたくなってきた。
目の前の彼と、ミステリー談義をしたい。
朝から? なんて、無粋だ。
今このときを逃したら、きっと後悔する!
僕は昂ぶった気持ちを抑えつつも、彼からの問いに回答を応える。
それは、友人の残した謎への弔いの回答でもあった。
「うん。楽しかった! ミステリーは、謎解きは、探偵役は、最っ高のエンターテイメントだよ!」
了
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