朝をさがして

 私の家族の名は父が朝嗣、兄が朝哉、姉が朝日といった具合にみな「朝」の字を含む法則があるのだけれど、べつに命名に縛りのあるような由緒正しき家系に生まれたとかそういうわけではなくて、ただ屋良姓の人は名前に「朝」の字を使うという慣習が地元にあるだけだ。
 試しにネットで屋良と検索すると、屋良朝ナントカという有名人が何人もヒットする。
 彼らは私の親戚ではない。地域に根付く謎の慣例に親が従った結果、名前が似通ってしまっただけの赤の他人である。
 もちろん私の名前だってその例には漏れない。
 私の名前は屋良十月十日。
 一見「朝」は入っていないように見えるかもしれないが、「日」と「月」をくっつけて「明」にし、日偏の上下に「十」を添えてやると立派な「朝」になる。
 命名したのは父。姉の出生届を出した直後にこのパズルを着想したそうだが、時すでに遅く、泣く泣く命名を次の機会に譲った。そして二年後、私が誕生したことで満を持して十月十日という名前を付けたのだという。
 ふざけやがって。
 この名前を付けられたことで、私の人生がいかに惨憺たるものとなってしまったか。
 音の響きの違和感も最低だが、妊娠期間を示すこの慣用句が思春期の幼稚なセンスと絡んだとき、どんな悪意が発生するかは想像に難くないだろう。
 私は父が憎い。私を馬鹿にする兄や、この名から間一髪逃れた姉、そして私より遅れて生まれた妹と弟が心底憎い。
 だが、いまこのときにおいて最も憎いのは、まもなく誕生する新しい家族。
 末妹だ。
 聞くところによるとヤツの名は「ふたえ」というらしい。
 ふたえ……十月十日と比べ、なんと平凡で掴みどころのない響きだろうか。
 許せない。
 屋良家に生まれておきながら、その名に「朝」の字をねじ込まれずに済むなんて……そんなことあっていいわけがない。
 絶対、どこかに「朝」の字が隠されているはずである。
 私は妹の萌と弟の冥主の知恵を借りて、末妹の名に隠された「朝」の字を探し始めた。
 二人を私の部屋に連れ、室内中央からややズレた位置に鎮座する丸テーブルの周りを囲わせる。
 しかし、二人は用意した紙に「ふたえ」と書き込んで以降はまったく暗号に向かう気配がなく、時間だけが流れていた。
「ねえ~。もうパーパーに答え訊いたほうがよくない~?」
 真っ先に音を上げたのは冥主だ。
 テーブルに向かい始めて一時間。早くも痺れを切らしてしまった。
 もちろん父に訊くのではダメだ。
「あいつに訊いたら、『朝』の字が巧妙かつ自然に隠されているのを認めたことになる。だから、自力で暴いてやらないといけないんだよ」
 そうして初めて、お前もこのクソ慣習からは逃れることのできない哀れな子供だと突きつけることができるのだ。
 私の返答に冥主はブツクサと不平を言った。
 一方の萌は文句ひとつこぼさないが、同時になんの意見も述べようとしない。
 そろそろ一発気合をを入れてやろうか……そんな私の視線に気づいた萌は、ガタガタ身体を震わせ目を泳がせた。
「なんかあるのか?」
「あっ、あのっ……、朝っ、朝だけっ、パーパーの目が二重になってるときがあるからっ、それで……」
 頬に平手打ちして黙らせた。
「お前は本当に間抜けだなっ。それじゃ出来の悪いなぞなぞだっ」
 ワンセンテンスごとに萌の顔をぶつ。
「私やっ、お前やっ、冥主の法則を考えたら分かるだろっ。『朝』の隠しかたはっ、必然性のない意味の変換やっ、連想ゲームっ、同音異義語に頼ったものじゃないんだって! それは『朝』という字を使ったパズルじゃなきゃダメなんだっ。つまりフェアな謎解きになってるんだよっ」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」
 冥主は私と萌のやり取りをぼんやり見ている。弟は共感能力に欠けるところがあって、自身が不利益を被らないうちは、たとえ身内だろうと他人がどんな目に遭ったところで気にならないらしい。
 私は冥主をぶったことがないので、どれだけ萌をいたぶったとしても印象が落ちることはない。
「いい? お前の名前も暗号になってるんだよ。くさかんむりを真ん中で折って二つの『十』を作るんだ。残った『明』の日偏の上下に『十』を置くと『朝』になるだろ?」
 萌は激しく首肯する。
「冥主も同じだ。『冥』の字を分解してわかんむりと『日』と『六』に分けるんだ。わかんむりの由来はかたちが『ワ』の字に似ているというものだから、わかんむりは『ワ』として捉えていい。
 次に『主』を点部と『王』に分ける。『ワ』と点部を組み合わせると『夕』の字になるだろ?
 これで『六』『王』『日』『夕』の字が揃った。揃ったらどうするか分かるか?」

「あっ、あっ、あっ――いだっ!」
「和同開珎だろうが!」
 和同開珎とは、マスの上下左右に配置された漢字から空欄に記入する漢字を導き出すパズルのことだ。上下左右の漢字と組み合わせることで、四つの熟語が完成するような語をあてはめなければならない。
 左を「六」、上を「王」、右を「日」、下を「夕」とすると、マスに入る字は「朝」になる。そうすることで「六朝」「王朝」「朝日」「朝夕」が現れるからだ。

 子供の名前を脳トレとしか捉えていないことがよく分かる、素晴らしい名前だ。
 もっとも本人はこの名を気に入っているようだが。
 冥府の主と書いて、冥主。これが小学四年生の感性に訴えかけるのだろう。
 そうでなくとも最近は風変わりな名前が増加傾向にあるようなので、この程度は弟の世代では許容範囲らしい。
「前にも教えてやったのにさあ――出てこないってことはさあ――響いてねえんだよな、要するに。つまり私のことを普段から舐め腐っていて、何を言っても上の空ってことなんだよなあ!」
「ち、違いますぅ!」
「じゃあ冥主の名前で行うパズルはなんだか言ってみろよ!」
「あっ、あっ、わ、和同開珎――!」
「生意気に答えてんじゃねえ!」
 萌を蹴り飛ばす。
 ダメだこいつ。マジで話にならねえ。
 いくら三人寄らば文珠の知恵と言っても、やはり小学生の知恵では限界がある。
 だが知恵の足りないガキに暗号を解かせてこそ「朝」の字はちっとも隠れてないと示すことができるのだ。
 ジレンマだよなぁ。
 とは言え解けないよりも悪い事態はない。
 ここは意固地にならず、自分でも考えを出してみようか。
 先程まで萌が意味もなく握っていたペンと紙を手に取り、「ふたえ」の字を睨む。
 私や妹のような分解・再構築パターンを試してみるが、どうしたって「朝」のかたちにはならない。
 次に着目したのは、ひらがなであることだ。
 ひらがなであることに特別な意味があると考えたわけじゃない。むしろ漢字表記であることに意味があるが、それではあからさまなのでひらがなにしたのではないか、という発想だ。
 二恵、二枝、二江、二重?
 前半の二つはちゃんと名前っぽいが、後半はどうだろう。二江はまだマシだが、まさか二重という名前を付けるはずはない。
 だが、そのまさかをやってのけるのが父なのだ。娘に十月十日と名付けておいて、二重とは名付けられないなんて法はないだろう。
 よって、あらゆるパターンの漢字表記を考慮する必要がある。その上で、さいど分解・再構築を試みる。
 しかし結果は芳しくない。
「クソッ」
 そんなに単純じゃないか。
 考えてみれば、十月十日、萌と来て、次は冥主だ。言葉遊びの凝り具合はエスカレーションしている。今度の暗号も冥主と同等、いやそれ以上の難易度と想定したほうがいいかもしれない。
 冥主と同等か……。
 和同開珎?
 思いつきにしがみついてみたが、頭がこんがらがるだけだった。
 ネットで「朝」「熟語」とキーワード検索し、辞書サイトに載っている一覧を眺めても答えは出ない。
 ああ、苛々する。
 しばらく暗号と格闘していると、室内に音楽が鳴り響いた。
 冥主がベッドに勝手に寝転がり、私の携帯ゲーム機で遊んでいる。
「ちょっと、音うるさい。頭ん中がごちゃごちゃするでしょ」
「いいじゃん、こんくらいで変わんないって」
「実際に集中が途切れたから言ってんの!」
「こんなことで途切れるくらいなら、そもそも集中じゃないってことでしょ」
「それ私のだから! 勝手に触んないでよ!」
「いま使ってないからいーじゃん」
 殺す。
 冥主の足首を掴んでベッドから引きずり下ろした。冥主の身体が一瞬浮かび、地面に叩き付けられる。弟悲鳴。その弾みでゲーム機が床に転がった。
「ああ!」
 慌ててゲーム機を拾い、画面を確認すると、液晶にヒビが入っていた。
「お前さあ! ふざけんなよ!」
 私は冥主の腹を踏みつけた。
「弁償しろ! クソがっ、クソがっ!」
 弟は大声で喚き立てた。できるだけ大きな声を出すことが主旨の大会にでも参加しているかのように。その絶叫がより大きく甲高くなるにつれ、こいつは私を不愉快にするためにわざと大声を出しているのではないかと思えてきて、いっそう胸のムカつきが酷くなる。踏みつける勢いも増していった。
 死ねっ。
 死ねっ。
 死ねっ!
 死ねっ!
「ねーねーやめて!」
 腰に衝撃。バランスを崩し、ベッドの上に着地する。
 萌が私に突進してきたのだ。
 そして冥主の前に出て両手を広げる。
「冥主をいじめないで!」
 私に散々叩かれて腫れた頬には涙の筋が浮かんでいる。だけどそこにあるのは恐怖ではなく……なんなんだ? こんな萌の表情、見たことがない。
 だがひとつ分かったことがある。
 萌は冥主を守ろうとしているのだ。
 あー、はいはい。
 やっぱりフツーの名前を付けられた人間はフツーの人生を歩んでフツーに立派な人格を形成していくんですね。
 十月十日みたいにおかしな名前を付けられた人間は頭が悪くって顔もブスで性格も何もかも終わっていて可哀想って、そう言いたいんですよねええええええええ。
 私は萌のもとまで駆けて、その勢いのままか細い首筋を掴んだ。途中で冥主を踏むが、こんなチビどうでもいい。萌は仰向けに倒れ、私が押し倒した格好となる。マウントポジション。萌の首を絞めた。
 すると私の両手首を掴み、足をジタバタさせた。必死にもがいているようだが、体格差ってもんがある。萌に私の手を振りほどくことはできない。まぶたにギュウっと力を込め、口をパクパクと開け閉めするその顔はじつに滑稽だ。
 次第に萌の動きが変わっていく。最初は私への抵抗で暴れていたのが、いまは堆積する苦痛を少しでも発散するために暴れているように見えた。
 いま、こいつは私に歯向かったことを後悔しているのだろうか。一時の使命感から勇敢と蛮勇をはき違え、身の丈に合わない善を為そうとして無意味に死ぬことになった己の愚かさを詰っているのだろうか?
 はは、いい気味だ。
 頼むからとっととくたばって私をもっとスッキリさせてくれ。
「やー妹に何してる!」
 邪魔が入った。力任せに萌から引きはがされた。萌は大きくせき込んで、嫌味ったらしくくたばり損ねたことを主張した。今度こそ殺してやる――そう思った瞬間あたまが真っ白になって尻もちをついていた。
 父が私の部屋にいた。冥主の泣き声を聞いて駆け付けたのだろう。クソッ、さっさとあのガキの息の根を止めておくべきだったんだ。
「やー、ふらーか? もーえー殺す気か?」
 父は私の襟を掴んで何度も何度も顔を叩いた。口の中が切れて血の味が広がっても攻撃は止まらない。
「ふざっ……けんなよっ! わたっ……わたひが悪いんかっ!?」
 父の動きがピタリと止まる。そこで私はがむしゃらに右手を振った。私の平手が父のこめかみに当たる。が、それこそ体格差というやつだ。父の身体は小動もしない。むしろ火に油を注いだだけで、父の折檻は激しくなるばかり。
「やー親に手を上げたんか!?」
 私の前髪を荒々しく掴んで頬を何度も殴った。五回目で一番大きな衝撃があって勉強机からはみ出ていた椅子を巻き込んで横転。髪の毛がブチブチっと抜けて生え際がヒリヒリ痛む。私も父も肩で息をしている。
「わーは昔おとーに散々殴られたけど、一度も殴り返したことはないんど。お前のにーにーは偉かったよ、わーに殴られても絶対やり返さなかった。お前と違うばーよ」
 はあ……?
 こいつは何を言っているんだ……?
 自分は殴っておいて、やり返されなかったことを偉いだの偉くないだの評価できる立場にあんのか。
 きっと萌や冥主にも合点が行ってないだろうと思い視線を向けるが、二人は事の成り行きを静観するばかりで私への暴力を止めようという素振りはなかった。むしろ私を見る目は冷たくて、父の行いは正当な報いなのだと処罰感情が満たされているようですらあった。
 どうやら私の味方はいないらしい。
 なんだよそれ……。
 顔面をタコ殴りにされ髪の毛を引きちぎられ意味不明な説教まで受けてんだぞ、こっちは。
 ああもう、情けなくって悔しくって、涙が出てきた。
「なんだば! 私ばっかこんなっ……ぜんぶ私が悪いば!?」
「やーが悪いに決まってるだろ!」ビンタ。
「なんで私ばっかり責められるばぁ! いつもいつも私ばっかり! インチキ! インチキインチキ!」
「うるさい! 泣き止まんと死なすよやー!」 父は私を引きずって風呂場に連行すると床下に埋まっているタイプの使っていない浴槽のフタを開けてそこに私を突き落とした。
「そこで反省しろ!」
 フタを被せると光が遮られて真っ暗になる。
「クソジジイ! てめえの勝手で私を作っておいて、都合が悪くなったらこんなところに閉じ込めんのか!?」
「本当に死なそうか? 俺がいないとやーは生まれてないんど! 生きていられるのも俺が食わせてやってるからなんど! もっと親に感謝しろ!」
「はあ!? 誰が生んでくれって言ったば! こんな糞な人生なんだったら最初っから生まれんければ良かったわ! お前が悪いんど! お前が冗談で付けた名前のせいでぜんぶ台無しだばーよ! 返せ! 私の人生返せよお!」
 ガラっと音がして急に光が射した。次の瞬間私の顔面に蹴りが入って、再び闇に鎖される。
 私はひとりですすり泣いた。
 浴槽の中は何も見えず自分という輪郭も溶けて背中と腕と尻と足に浴槽の当たる感触と思考だけが確かだった。
 だからこそ暗闇はものを考えるのにうってつけだった。
 私は孤独に耐えるため、思考を絶やさなかった。
 そしてひとつのとっかかりを得た。
 私たちの名前は、「朝」という答えを導くための問題文となっている。だから、末妹の名前もその例に倣うものだと信じていた。
 果たしてそれは正しかったのだろうか。
 否。
 逆に考えてもよかったのではないか。
「朝」の字が入ることは前提なのだから、先に答えを知っていることでしか解けない問いを出題したってアンフェアじゃないのだと。
 つまり、答えこそが問題となっている逆説。
「朝」が問題文で、名前が回答なのだ。
 この方向で解けるという予感があった。
 浴槽の中でどれくらいの時間が経ったか。
 私はひたすら考え続けた。
 父がしおらしい声で夕飯時を告げても、シャワーの音が響き始めて浴槽に熱気がこもり呼吸困難に陥って意識が薄れかけても、決して浴槽から出ず暗号解読に没頭した。
 何度目になるだろうか。風呂場の戸を開ける音がして、父の猫なで声が耳を犯した。
「トーカ。お願いだからパーパーに顔を見せて? 全部パーパーが悪かったよー」
 こんなのは無視するに限る。
「パーパー反省してるんだよ。名前のこと。本当にごめんねえ、パーパーが最低だったね」
 いまさら反省されても困るんだよ。お前には今後とも面白半分の名前を量産してもらわないといけないんだから。
「もうすぐふたえが生まれるって。一緒にマーマーのところへ行こう?」
 そんなことより考えなければならないことがある。
 出かけるならさっさとそうすればいい。いい加減てめえの都合に私を巻き込むのはやめてくれ。
 父は下手に出て私の説得を続けたが、時間が押していたのだろう、諦めて母が入院している病院へと向かった。
 不意に閃きが訪れたのは――先刻の朝食の報せを勘案するに――翌日のことだった。
 そもそもそのときの私は何か尋常じゃなかった。
 ゾーンに入った状態と言うのだろうか。異様に頭が冴え、これまでの人生で見聞きしてきた数々の物事が怒涛の伏線回収のように関係付けされていった。
 すべてのことに意味があるという確信。この世界のあらゆる意味と意味とが次々に接続され、森羅万象を把握した感覚。その電撃にも似た全能感に、全身が粟立つ。
「分かったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 快哉を叫び、浴槽のフタに頭をぶつけながらも立ち上がった。
「うわあ!?」
 ちょうど父がシャワーを浴びていた。中年のだらしない裸を見せつけられる嫌悪感はあったが、タイミングは悪くない。
「分かったんだよ、ふたえの由来が!」
「は……?」
「つまりこういうことだろ。朝――」
「いや、ちょっと落ち着け。ふたえに名前を付けたのはパーパーじゃなくてマーマーだから。俺に訊かれても分からんよ」
 あっそう。
 私は風呂場を出、全速力で産婦人科に駆け付けた。
 食事も睡眠もとらず落ちくぼんでいるでいること必至の顔に喜色を浮かべ、シャワーも浴びずボサボサになった髪を振り乱して一心不乱に街を走った。
 受付をすり抜け病室に到着した私は、仰天する母の声を無視してまくし立てた。
「『朝』を横に倒すんだ! そうして『月』と『日』を連結することで、五つのマスができあがる。ほら、このかたち。見覚えがあるでしょ? そう、五字熟語の穴埋め問題だ!

 二つの『十』は五字熟語を絞る役目なんだな。配置の仕方は、『朝』の元々のかたちを見れば分かる。『十』『日』『十』の並びだから、『十』と『十』のあいだには二マス間隔があるはずなんだ。
 つまり『十〇〇十〇』もしくは『〇十〇〇十』に当てはまる五字熟語を述べよ、という問題文となる。

 その回答に必要なのが『ふたえ』なんだ!
 ふたえは二重と書く。だけどそのまんま『二重』を当てはめても一マス余るよね。だからここでは『二重』という字の意味に着目する。『二重』という漢字を素直に捉えると、『二つの重』になるでしょ? だから『重』の字は二回使ってもいいんだ。
 この条件に当てはまる五字熟語はひとつしかない。『十重二十重』だ! そもそも『十〇〇十〇』か『〇十〇〇十』まで絞った時点で答えは『十重二十重』しかないけどね。ほら、論理が輪となってきれいに閉じた!」
 私の勢いに母は終始圧倒されていたが、言い切ると恐るおそるといった調子で口を開いた。
「もしかして……ふたえの由来についての話?」
「そうだよ」
 それ以外にあるか?
「ふたえって名前の中にも、『朝』の字が入ってるってこと……?」
「何言ってんの。そうしたのはマーマーでしょ」
 はあ、と母はため息をついた。
「すごい偶然ね」
 …………。
 は…………?
 なんて……?
「あんたのパーパーは子供の名前に『朝』の字を入れることにこだわっていたけど、マーマーは屋良家の人間じゃないからね。『朝』の字を使うこだわりなんて全然ないのよ。でも、自然とそうなってしまうものなんだね……運命って本当にあるのかもしれないねぇ」
 目の前が真っ暗になった。
 フタを閉じた狭くて汚い浴槽の中よりずっと深くて黒い闇が眼前に顕現した。
 偶然……?
 私の論理は、ただのこじつけ?
 確かに、よく考えてみれば私の回答は「朝」の字が論理に組み込まれているというだけで、「朝」の字を使った名前を示しているとは言い難い。それに「二重」だから「重」を二回使ってよいという理屈もスマートではなかった。
 要するに。
 煮詰まった末に出たナンセンスな妄想……。
 牽強付会な……狂人の理屈……。
 パラノイア性の……たわ言……。
 母は何かを語っていたようだが、私の耳には入らなかった。
 おぼつかない足取りで病室を出る。
 ふらふらと白昼夢を見ているような心地で院内を彷徨い――いつの間にか辿り着いたそこは、
 新生児室。
 躊躇なく入る。
 ずらりと並ぶ赤子の中から妹を見つけた私は、その小さな仰向けの身体を優しくひっくり返した。







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