大正浪漫系女子探偵と七支刀の殺人

 電車内の吊り革広告『南武デパートのクレジットカード、デザイン変更、新しいカードへの「切替申込」が必要です!』。
 電車に揺られながら、わたしはぼんやりと奇妙な感慨に耽っている。
(一体、あの意味は何だったのだろう……)
 わたしは電車が、駅に到着すると、のそりと体を震わせて、ホームに飛び出した……。

目次

          1


 うら若き高校生であり、大正浪漫系女子探偵であるわたし、風鈴坂ふうりんざかつむぎは、奇妙な殺人事件が発生したという話を聞いて、自転車に曲乗りしながら、現場へと向かう途中だった。
 受験勉強の傍ら、私立探偵をはじめてからまだ二ヶ月しか経っていなかったけれど、それなりに日本警察には、実力が知られている希少な存在なのだった。
(事件があれば、わたしは自転車に曲乗りで、そこに駆けつける!)
 わたしが曲乗りで勝てない人は、志賀直哉くらいだと思う。

 横浜に住む資産家であり、会社を運営すると共に高名な画家でもある立花豪たちばなごう氏は、センセーショナルなスキャンダルが報道されて、一ヶ月前に自宅の浴室で手首を切って、自殺したばかりだった。その豪氏の邸宅で、今度は、立花豪氏の弟、壮司そうじ氏が殺害された。七支刀で胸を貫かれていたという。七支刀しちしとうといえば、七つに切先が分かれている歴史的な宝刀だ。これは立花豪氏のコレクションだったそうだけど、いずれにしても、これほど奇妙な殺人事件が発生したということだから、これはもう、天才探偵であるこのわたしの出番なのである。
 わたしは、自転車を華麗に漕ぎながら、山道をすいすいと進んで、横浜からだいぶ外れの山奥にある、大正時代に建てられたという文化住宅風の邸宅に入ってゆく。なるほど、美しい建物である。まるで白鳥のようだ。反対にそこから横浜の街を見下ろすこともできる。
 大正浪漫系女子探偵のわたしが、黒髪を可憐に結い上げ、美しい袴姿で玄関に現れると、動揺した人々が次々と挨拶に出てきた。
 こんな可憐で、色白の美少女が、本当に天才探偵なのか、と疑いの目を向けているようだった。
 スーツに身を包み、品性に溢れている老執事が、その人々の中でも代表をつとめるように、
「あなたは大正浪漫系女子探偵の……」
 と言いかけたが、わたしは食い気味に口を開いた。
風鈴坂ふうりんざかつむぎです。天下の難事件ということで、天秤座高校の授業を抜け出して自主的に解決しに参りました……!」
 とせっかくなので、お嬢様らしい雰囲気でなよびかに語りかけつつ、丁寧にお辞儀をすると、人々の間に、尋常ではない緊張が走っているのがわかって、わたしはとても愉快になるのだった。
「絡繰人形館の六連続猟奇殺人を解決したという……」
「そうです。そのわたしが、このわたしです」
「なんと、これは頼りになりますな。どうぞ、どうぞ、よろしければ、中へ」
 という幾分、ふざけた会話を交わした後(わたしがいえる立場にないけれど)館内へと通される。玄関の横には洋間がある。これがつまり、昔ながらの応接間というやつなのである。ソファーがふたつ並んで、頭上にはシャンデリアがある。わたしは、ふんふんふん、と鼻息荒く、室内を鑑賞する。老執事はアールグレイの紅茶を出してくれた。たっぷりの砂糖とミルクも用意してくれている。わたしは砂糖を山盛り三杯すくい、カップに放り込みながら、ぼそりとこう尋ねたのである。
「今回はなんでも異常な、見立て殺人だったそうで……」
「ええ。よろしければ、こちらを見ていってください……」
 と執事は、新聞記事などを取り出し、説明を開始する。わたしはなにか勘違いしているような呑気な会話をひとつふたつ交わし、ソファーに深々と座り直した。それから、わたしは、事件の話を静かに聴き始めたのだった。
「殺人が起こったのはまさにこの応接間です。ちょうどあなたが座っているソファーの足元に、被害者の立花壮司さんの死体が仰向けに転がっていました。それが一昨日の朝のことです……」
 そんなことを言われても、探偵であるわたしはぎょっとしない。
「現場には不自然な点がたくさんあったそうですね?」
「ええ。被害者である壮司さんの胸には七支刀が刺さっていました。七支刀ですよ。今の時代になかなか聞かない物騒な名前でしょう」
「ええ。とてもおっかない凶器ですよね。新聞記事でも七支刀殺人と謳われていましたね」
「ええ。不気味なこと限りなしなのです。実は、それだけではなくて、死体の隣の床には、子猿のぬいぐるみが置かれていました。おさるのジョーンズ君という漫画のキャラクターです。そして本来、瀬戸内の美しい海を描いた絵画がかかっていた壁には、『道』というタイトルの絵画が代わりにかけられていました。反対に、元々の絵は倉庫にしまわれていました。そして机の上の天球儀の太陽と、壁のカレンダーの日付には、クレヨンで赤い丸がぐるりと描かれていたのです」
 どう考えてもおかしな状況だけれど、一体、なにを見立てようとしたものだろう。
「それらはすべて、豪さんのものだったのですね?」
「ええ。現場に元々あったものもあれば、倉庫からわざわざ持ち出されたらしきものもあります。『道』という油絵は本来、倉庫で保管されていたはずのものです」
「一体、どういう意味でしょうね。これはまあ、言うなれば見立て殺人だとは思うのですが……。そもそも豪さんはなんでもスキャンダルで、自殺されたんですよね……」
「ええ。今から一ヶ月前のことでした。とある旧家の御婦人との不倫が発覚しましてね……。一体誰がそのことを漏らしたのか……。マスコミが一斉に袋叩きをしたので、豪さんは耐えかねて自殺してしまったのでしょう。遺書はついに見つかりませんでした」
「豪さんには子供がいなかったから、弟の壮司さんが会社を継ぐ話になっていたのですよね。ところが、今回は壮司さんが殺されてしまった……。さて、犯人は誰か……? という問題ですね。七支刀で殺した理由も不明ですね……」
「ご主人様……つまり豪さんの絵画における代表作は『風林火山』という作品でした。それは孫子の思想のひとつで、戦術における変幻自在さの重要性を自然に喩えて表現したものです。豪さんのこの作品は、数年に一度しか公開されない幻の作品と言われています。もしも、犯人が、豪さんの死のことで、見立て殺人を行ったのなら、『風林火山』をもとに演出することもできたはずです。それが今回、七支刀というのは、まったくの謎です。七支刀というのは、豪さんのコレクションではありますが、ずっと忘れられていたものなのです。また、おさるのジョーンズのぬいぐるみの意味も不明ですし……」

 そこで執事は、はっとして振り返った。背後のドアの影に突っ立っていた一人の青年が、わなわなと震え、真っ青な顔をしていたのだ。
「風林火山! おお、風林火山! あの豪先生の大傑作! この弟子のわたしでも噂でしか聴いたことがない幻の名作!」
 わたしは、不気味に思って、執事にそっと尋ねた。
「彼は一体誰です」
「ご主人様のお弟子さんのひとりで、あまりにもご主人様のことが好きすぎるあまり、ある日、突然押しかけてきて、三年余りもこの邸宅に居候をしている芸術学部の学生です。三毛みけ蘭二郎らんじろうとふざけた名前を名乗っていますが、本名は山田正男で、千葉県の出身だそうです……」
 してみるとなんとも怪しい人物なのだった。わたしはまじまじとその姿を遠巻きに見つめていると、その蘭二郎という青年は、丸眼鏡をかけて、青白い顔を浮かべながら、息を乱している。
「豪先生の死は、この世界の美意識の崩壊を意味している……。見よ、落ちてゆく日が真っ赤な血に染まっているのを……」
「それは夕日であります」
 と執事はすかさず言った。
「夕日なものか、馬鹿者め。血だ。血だ。鮮血のもとに色彩は赤一色に統一されるのだ。この世は染め上がるのだ。すべての終わりだ!」
 青年はそう叫びながら、床に転がると、のたうつように体を震わせた。
「落ち着きなさい! お客様の前ですぞ!」
「客なものか! 見た目はお嬢様学校の華やかな女生徒。しかし本当は、呪われた真相を貪るために現れた素人探偵だ! その名は、風鈴坂紬! 今すぐ出てゆけ! 出てゆけ!」
「なんでわたしが出て行かなきゃいけないんですか。紅茶もまだ飲み終わっていないのに!」
 わたしがそう叫ぶと、悶え苦しむ三毛蘭二郎をきっと睨んだ。蘭二郎はうめき声を漏らしながら、壁を伝うようにして、応接間から出て行った。
「あの芸術学部の学生は、豪先生亡き後、ずっと今の調子なのです……」
「おそろしいことですね。でも、なんだか、憐れで可哀想な人……」
 わたしはお嬢様ぶってそう言って、静かに小高い胸の上で十字を切った。

 わたしはその後、豪氏の書斎を尋ねた。自殺した当日からほとんど手がつけられていないという話だった。机の鍵のついている引き出しの中をあさると、そこには南武デパートのクレジットカードのデザインが切り替わるということで、申し込みのご案内が記されたチラシが無造作に入っていた。切替申込と大きく記されたチラシをめくると、その下には茶紙が幾重にも敷かれていて、これらの紙類は、なにかの下敷きにされていたようである。
「ここには元々、何が入っていたのですか?」
「ここには元々、豪先生の代表作であり、長年秘密にされていた名画『風林火山』が秘密裏にしまわれていたのです。それが、なんと、豪先生が亡くなると、壮司さんが勝手に持ち出して、美術館に売り払ってしまった。まるで自分のものと言わんばかりでした。そりゃ、家中に動揺が起こりましたよ。しかし、壮司さんのやることに口応えできる人はひとりもいなかったのです。そればかりでなく、このことは口してはならない事態でした。マスコミは勿論、先生の狂信者である蘭二郎君にもこのことは秘密にされました。まあ、なんといいますか、ここ一ヶ月余りの、壮司さんの暴虐ぶりは目に余るものがあったということなんです……。実のところ、あのスキャンダルをマスコミに売ったのは、壮司さんだったのではないかという噂があるのです……」
 してみると、壮司が殺害されたのは、天誅だったのかもしれない。いや、待て待て……。わたしは頭を悩ませる。名画『風林火山』はこのようにして無くなってしまった。そこに何か、事件の鍵がある気がする。
「その風林火山の絵画がここに入っていたことを知っていたのは誰ですか?」
「豪先生と血の繋がりのある方々と、わたしだけです。蘭二郎君だけは、この邸宅にこの名作があることを知ると見たい見たいと騒ぎ出してうるさいだろうから、とずっと秘密にされていました」
「なるほど。よくわかりました」
 その時、ひらめくものがあった。
 しばらくして、わたしは書斎のシュレッダーの中から微塵切りにされた紙ゴミを丸ごと取り出し、机の上でパズルのように並べることにした。しばらく苦戦していると、次の文章が浮かび上がった。

『わたしは今ここに死ぬ! わたしの人生の無念! しかし、わたしの愛の秘密を世間に売り払ったあの裏切り者を誰か代わりに呪ってはくれまいか!それも芸術的に! わたしの鍵のかかった机の引き出しの中のある四文字の通りに、その裏切り者の死を憎しみと美とで飾り立ててはくれまいか! その裏切り者の胸を切り刻んではくれまいか!無情!無情!なんという無情だろうか!』

 どうやら情熱的な遺書のようだった。豪先生のものだとして、これがどうして、警察の目を逃れて、いまだにシュレッダーの中に残っていたのか。この遺書がシュレッダーにかけられたのは、自殺よりも最近のことだったのだろうか……。わたしはぼんやりと考えて、遺書を見つめているうちに、ようやく意味がわかってきた。そして犯人がわかってしまったのである。

           2


 大正浪漫系女子探偵のこのわたし、風鈴坂紬、皆を集めて、
「さ、さて!」
 と一言、可憐な声を出したのはその日の夜のことだった。
「さあ、事件の真相を語ってくだされ」
 と老執事がわたしに言う。
「ちょっと待って、ちょっと緊張しちゃって……」
 わたしは冷や汗をかいていた。人前で喋るのがかなり苦手なのだ。そのため、この推理ショーの一時間前から何度もトイレに行っている。そして深呼吸をして、ようやくこの状況にこぎつけたのだった。
「いつまで待たせるんだ! 早く! 真相を喋らないか!」
 と青年、蘭二郎が震えた声を上げる。このわたしを煽ってきているのである。
「あの、ですね……」
 わたしは手を握りしめると、煽るやつは粉砕すればいいと思い切って、ゆっくりと喋り始めた。
「皆さん。今日はようこそおいでになりました。わたしは大正浪漫系女子探偵の風鈴坂紬です。今回の事件はずばり『見立て殺人』でした。しかし謎であったのは、一体、犯人が何に見立てようとしていたのか、我々にはまったくわからなかったという点でした。それでは、こちらの遺書をご覧ください」

『わたしは今ここに死ぬ! わたしの人生の無念! しかし、わたしの愛の秘密を世間に売り払ったあの裏切り者を誰か代わりに呪ってはくれまいか!それも芸術的に! わたしの鍵のかかった机の引き出しの中のある四文字の通りに、その裏切り者の死を憎しみと美とで飾り立ててはくれまいか! その裏切り者の胸を切り刻んではくれまいか!無情!無情!なんという無情だろうか!』

「この遺書は豪先生のものと見て間違いありません。そして、文中にある、この『鍵のかかった引き出しの中にある四文字』とはすなわち、彼の代表作の絵画『風林火山』を意味しているのです。豪先生の遺言はつまり、『風林火山』に見立てて、壮司さんを殺害してくれ、というものだったのです。ところが、この遺書を発見したとある狂信者は、鍵のかかった引き出しを開けることができませんでした。そして、そこに何が入っているかも知らなかったのです。そのうち、壮司さんによって、『風林火山』の絵画は売り払われてしまいました。そして、その引き出しには、下敷きにされていたチラシと茶紙だけが残ってしまったのです。ここではじめて、狂信者は引き出しを開けることができました。さて、一体どうなるでしょうか……? そこには「クレジットカードの『切替申込』のチラシ」が入っていました。狂信者は意味不明だったことでしょう。しかし、狂信者はちゃんと先生の遺言を守ろうとしたのです!」
「ななな、なんてことだ!」
 蘭二郎が叫んで、床に跪き、雄叫びを上げた。
「先生の、先生の、本当の御意思は……!」
「そうです。あなたは馬鹿みたいな勘違いをしていたのです。あなたは、あろうことかチラシの『切替申込』の四文字の見立てを行ったのです」
「なんてこった!」
「それではひとつひとつ見ていきましょう。まず『切』の字ですが、分解すると『七』と『刀』です。そのため、凶器を七支刀にしました。次に『替』は『夫夫(それぞれ)』と『日』からなります。このため、『それぞれの日』と読み解くことができます。そこで天球儀の太陽と、カレンダーの日付に、クレヨンで印を残したのです。『申』は、十二支の『さる』です。そのため、あなたはおさるのジョーンズのぬいぐるみを現場に用意したのです。そして、最後にあなたは壁の絵を『道』という絵に変えた。何故か? 『込』の見立てなのです。この字は『しんにょう』と『入』からなる字です。『しんにょう』は道などの移動や場所を表すものであり、そこに『入る』ということ、まさに『道』の絵画は絶好の見立てでした」
「こんな馬鹿な……」
「ええ。まったく馬鹿なことです。でも、こんな馬鹿な勘違いをするのは誰でしょう? もし、机の中に『風林火山』の絵画が入っていたことを知っていたら、とてもしないはずの勘違いなんです。そして、この中でそのことを知らなかったのはたったひとり……」

 わたしが犯人の名前を言いかけた瞬間、三毛蘭二郎は叫び声を上げて、わたしは裏切ってしまった、先生の遺言を、と早口で言ったと思うと、突然走り出し、狂ったような声と共に、窓ガラスを突き破って姿を消した。
 わたしたちはあっと叫ぶと、窓ガラスへと駆け寄ったが、その先は漆黒の闇である。恐ろしい雨が世界を閉ざしていた。それでも、三毛蘭二郎が三階から地面まで一気に落下したことは明らかだった。
「死んだのかしら……。いえ、でも、きっと、あまりにも馬鹿馬鹿しい真相で横転したのね」  とわたしは不吉な冗談を述べたけれど、笑う人はひとりもいなかった……。









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